地学と鉄道霧島山を一回り=JR肥薩線・吉都線・日豊線本土最南端の鉄道=JR指宿・枕崎線夕陽の東シナ海=肥薩おれんじ鉄道

 鹿児島の地学鉄道旅

 地学と鉄道

東武博物館鹿児島市交通局資料展示室東京ミネラルショー恐竜展(市立科学館
 世の中に鉄道ファンはたくさんいます。さいたま市の鉄道博物館や京都市の京都鉄道博物館は、いつも大入り満員です。鉄道写真愛好家も多く、それを職業としている人もいます。テレビでも鉄道旅の番組が人気です。
 一方、地学は今まで地味で目立たない存在でした。しかし、もともと子供たちは恐竜が大好きで、毎年夏休みには大恐竜展がどこかで必ず開催されますし、毎年開かれるミネラルショーも鉱物・化石マニアで超満員です。地学好きも結構いたのです。近年ではジオパークが市民権を得てきたためか、テレビでも「ブラタモリ」など、地学関係の番組が増えてきつつありますし、旅番組でも単なる絶景の紹介だけでなく、絶景のできた成り立ちを解説するようになりました。
 地学はフィールドワーク(野外調査)が原点です。地質調査で現地(フィールド)に行くためには、自動車が普及していなかった時代、鉄道を利用するしかありませんでした。したがって、昔から地学と鉄道は相性が良かったのです。岩松は、学生時代(1960年代)友人と鈍行(各駅停車のこと)に乗り、車窓から気になる露頭や景色が見えると、次の駅で降りて見学する、日が暮れると駅前旅館に泊まるといった行き当たりばったりの鉄道旅をしたことがあります。今で言えば、backpackingかbudget travelでしょうか。木賃宿では大抵富山の薬屋さんと同宿になり、いろいろな話を聞くのも楽しみの一つでした。
 鉄道と地学を結びつけた元祖は恐らく東京帝国大学農学部教授脇水鉄五郎でしょう。脇水は1893年帝国大学理科大学地質学科を卒業した地質学者でしたが、農学部に奉職したため、山崩れなど地学の応用方面にも深く関わりました。1942年誠文堂新光社から、『車窓から觀た自然界 東海道』および『車窓から觀た自然界 山陽道』を著しました。本ウェブサイトの「宝暦治水」の末尾余談に「美濃の三大川と鮎」という文章が引用してあります。
 なお、大正年間、秩父鉄道が長瀞の「地質旅行」を企画、観光客を誘致しようと試みたそうです。
 戦後1946年、小林貞一(東京大学)・藤本治義(旧制東京文理科大学)らによって、目黒書店から『地球の科學』という雑誌が発行されました。地学の普及や地学教育の資料を提供しようとした雑誌です。1948年、季刊になったのを機に、「車窓の地学」と題する一連の文章が載ります。東海道線の浜松から静岡までを槇山次郎(京都大学)、常磐線は半澤正四郎(東北大学)、北陸線(直江津から金沢まで)は石井逸太郎(旧制富山高校)が書いています。なお、この号には新野弘(東京水産大学)「潮干狩の地学」や小野寺透(埼玉大学)「さざれ石の巌となりて」などといった文章もあります。当時のそうそうたる面々が地学の普及活動にも熱心だったことがうかがわれます。今の学者先生も見習ってほしいものです。
 これらの先人が強調しているように、その目で見れば、車窓の景色も変わります。駅からのブラリ旅も単なる観光にとどめず、ちょっと別の視点で眺めて見れば、きっと面白いことが見つかります。お薦めです。
 2008年、日本ジオパークネットワーク(JGN)が誕生し、「ジオ」という言葉が普及し始めたとき、こうした鉄道旅をジオ鉄と称する動きが生まれました。現在では、ジオ鉄®公益財団法人深田地質研究所(FGI)によって商標登録されており、その定義によれば、「ジオ鉄®とは、鉄道を利用しながら沿線に広がる自然を楽しむ旅を通して、地球の成り立ちと大地の変化に想いを馳せることです」とあります。鉄道と地学の両方の愛好者の中で、これからブームになっていくのではないでしょうか。なお、ジオ鉄®と称するためには、商標法の制約を受けますので、深田研のジオ鉄利用規定を熟読してからにしてください。
余談1:地質学者とコレクション
 地質屋さんは前述のようによくフィールドに出かけます。いわば旅が商売ですから、旅先でいろいろなものを収集する人が多いようです。中には、その道で一流の人もいます。たとえば、
 •故木下亀城九州帝大教授・日本大学教授(鉱床学)→『日本の郷土玩具』(保育社カラーブックス, 1962)
 •故鹿間時夫横浜国立大学教授(古生物学)→『こけし鑑賞』(美術出版社, 1967)『こけし・人・風土』(築地書館, 1954)など
もちろん、地酒を嗜む人はたくさんいますが、まだ酒の本はないようです。全国のラーメンを食べ歩いた人もいます。
 •佐々木晶大阪大学教授(鉱物学・惑星進化学)→『ラーメンを味わいつくす』(光文社新書, 2002)
また、各地の写真を撮るのは仕事ですが、写真家になった人もいます。
 •白尾元理徳本寺住職(火山学)→『地球全史の歩き方』(岩波書店, 2013)、『火山をさぐる』(岩崎書店, 1998)など
余談2:バラになった少女
 前述の『地球の科學』に「さざれ石」について書かれた故小野寺透埼玉大学教授(応用地質学)は、コレクターではありませんが、バラの育種家として著名でした。満州からの引き揚げの際、3歳で夭折した姪御さんの“のぞみ”ちゃんに因んで名づけられた新品種「のぞみ」は桜色の小さなつるバラで、とくにヨーロッパで愛好されています。“のぞみ”ちゃんの悲しい話は先生ご自身の手で「バラになった少女」としてまとめられています。全文はここで読むことができます。

 霧島山を一回り=JR肥薩線・吉都線・日豊線

は神社[霧島神宮(ニニギ:曽祖父)鹿児島神宮(ホホデミ:祖父)狭野神社(神武:子)]
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 霧島山は鉄道でぐるりと一回りできる珍しいところです。他には北海道駒ヶ岳(函館本線砂原回りと大沼回り)・箱根山(御殿場線と東海道本線)くらいでしょうか。霧島山は加久藤カルデラの後カルデラ火山として誕生した、20座くらいの火山群の総称です。たくさんの火口湖があるので有名です。火山群はおおよそ北西-南東方向に並んでいますから、見る方向によってさまざまな容姿を見せます。山麓に住む人たちにとっては「おらが霧島山」はいろいろあるのです。たとえば、日豊線の都城からは高千穂峰が円錐形に見えますが、吉都線からは夷守岳とその流れ山が見られますし、肥薩線のほうからは、栗野岳~韓国岳~高千穂峰となだらかなまさに連山の形に見えます。俗に「霧島連山」と言いますが、これは鹿児島側から見た霧島山の姿です。
 霧島は天孫降臨の神話でも有名ですし、お江戸の昔から温泉も有名でした。日本最初の新婚旅行と言われる坂本龍馬の湯治もここでした。火山は恵みももたらしますが、時には荒ぶる神になることもあります。2011年には新燃岳が噴火、溶岩ドームができました。2017年現在では、えびの高原の硫黄山が活動的で、立ち入り規制になっています。
いさぶろう・しんぺい号
 一方、鉄道ファンにも見逃せません。肥薩線には吉松と熊本・人吉を結ぶ特急「いさぶろう・しんぺい」号が走っており、日本三大車窓の一つが見られます。雄大な加久藤カルデラの景色です。真幸(まさき)駅は、スイッチバックを見ることができる珍しい駅です。また、駅名に因んで愛の鐘があり、カップルのメッカになっています。吉松~鹿児島中央間には特急「はやとの風」が走っています。錦江湾・桜島の風景が見事です。その他、宮崎~鹿児島中央間には特急「きりしま」が走っています。真っ黒いメタリックカラーが特徴です。
 ユニークな駅舎もあります。1903年(明治36年)開業当時からの木造駅舎が残る嘉例川駅です。桜も見事ですが、『百年の旅物語かれい川』(通称「かれい川弁当」)という駅弁も超有名です(土日限定)。竹皮の弁当箱に入った素朴な田舎料理です。国の登録有形文化財大隅横川駅も同じく1903年(明治36年)開業当時からの木造駅舎です。ホームの柱には第二次世界大戦中の機銃掃射の弾痕が残っています。
<注> 三大車窓
 旧国鉄が制定した車窓から見た絶景ベスト3のことです。
 •根室本線新内駅付近…狩勝峠からの十勝平野の眺望(現在は廃線)
 •篠ノ井線姨捨駅…善光寺平の眺望
 •肥薩線矢岳駅付近(矢岳越え)…加久藤盆地と霧島連山の眺望→「加久藤カルデラ」参照。

 本土最南端の鉄道=JR指宿・枕崎線

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 指宿・枕崎線は鹿児島中央から錦江湾を眺めながら南下、砂蒸し温泉で有名な指宿や山川マール(山川港)などの活火山群を通り、鰹節で有名な枕崎まで走ります。指宿まではシラス台地の急峻な海食崖が続きます。梅雨時にはしばしば崩壊が発生、交通止めになります。宮ヶ浜駅から見える知林ヶ島は、トンボロです。大潮の時に島まで通じる砂州が見られます。山川駅では山川マールの縁を通ります。この付近には活火山が10座もあります(「鹿児島の活火山」参照)。山川の福元では淡黄色の凝灰岩・軽石凝灰岩を山川石(「文化地質学」参照)として切り出しています。ノコギリで切れるほど柔らかいのに、風化に強いため、江戸時代にはお殿様の墓石に用いられました。マールを離れるとすぐ、本土最南端の駅・西大山駅に着きます。活火山開聞岳(薩摩富士)を背景に写真を撮影する人が絶えません。開聞までは活火山群ですが、それからしばらくは阿多溶結凝灰岩からなる南薩台地を走ります。一面に茶畑が広がります。また、海岸側には、下位にある非溶結の阿多鳥浜火砕流堆積物が浸食されて上位の阿多溶結凝灰岩が陥没した、円形の天然の良港が続きます(「天下の絶景」参照)。終点の枕崎には中新世の火山岩類が分布し、現在稼行中の金山(「南薩型鉱床」参照)もあります。
指宿のたまて箱
 この線を走っているのは白黒ツートーンカラーのユニークな特急「指宿のたまて箱」(愛称いぶたま)です。浦島太郎の伝説をモチーフにしています。その他、真っ黄色にラッピングされた快速「なのはな」号も走っています。指宿市で毎年開催される菜の花マラソンに因んでいます。「黄色い電車」として子供たちに人気です。

 夕陽の東シナ海=肥薩おれんじ鉄道

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 九州新幹線開業に伴い、熊本県八代と鹿児島県薩摩川内を結ぶ第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」として平成14年(2002)発足しました。北薩地方の長島町は温州ミカン発祥の地です。北薩火山岩類(肥薩安山岩類)は「赤色風化」が激しく、「1997年針原川土石流災害」や2003年水俣災害のように、土石流災害も起きますが、土壌が肥沃なため、柑橘類がよく育ちます。それで「おれんじ鉄道」と名づけたのでしょう。東シナ海~不知火海(八代海)と九州西岸を走りますので、海の景色が素晴らしいのが特徴です。西側の席がお薦めです。一方、川内~出水間は白亜紀付加体(四万十帯)、熊本・鹿児島県境は中新世肥薩安山岩類の矢筈岳山麓、それから八代までは九州山地のジュラ紀付加体の中を走りますから、東側の席からは、古期岩類が作る険しい山容と鮮やかな緑、さらにはミカン畑が楽しめます。
 この鉄道の目玉は何と言っても「観光列車おれんじ食堂」でしょう。ホテルのレストランを思わせる豪華な車輌と、一流コックによる贅沢な食事が売り物です。海の景色と美味しい料理が同時に楽しめると好評で、予約を取るのが大変だそうです。
おれんじ食堂(肥薩おれんじ鉄道ホームページより)

文献:

  1. 藤田勝代(2014), ジオ鉄に託す地学普及の願い. 地理, Vol.59, No.12, p.52-59.(口絵p.5)
  2. 藤田勝代・深田研ジオ鉄普及委員会(2017), 三陸鉄道ジオ鉄マップ. 深田研, 52pp.(付図1葉)
  3. 半澤正四郎(1948), 車窓より見たる常磐線沿線の地質. 地球の科學, No.1, p.13-20.
  4. 石井逸太郎(1948), 北陸線(直江津金澤間)車窓の地學. 地球の科學, No.1, p.30-34.
  5. 石山皆男編(1938), 旅窓に學ぶ : 西日本篇. ダイヤモンド社, 679pp.
  6. 石山皆男編(1938), 旅窓に學ぶ : 中日本篇. ダイヤモンド社, 582pp.
  7. 石山皆男編(1938), 旅窓に學ぶ : 東日本篇. ダイヤモンド社, 778pp.
  8. 加藤弘徳・藤田勝代・横山俊治(2009), ジオ鉄を楽しむ―鉄道車窓からのジオツアーの提案(1.JR四国・土讃線). 月刊地球,Vol.31, No.8,p.445-454.
  9. 槇山次郎(1948), 東海道車窓の地學(濱松から靜岡まで). 地球の科學, No.1, p.1-6.
  10. 内藤一樹(2019), 地質で鉄道をもっと楽しくするアプリ「鉄道地質」の紹介. GSJ 地質ニュース, Vol.8, No.2, p.51-54.
  11. 脇水鉄五郎(1942), 車窓から觀た自然界 東海道. 誠文堂新光社, 378pp.
  12. 脇水鉄五郎(1942), 車窓から觀た自然界 山陽道. 誠文堂新光社, 125pp.
  13. (), . , Vol., No., p..
  14. (), . , Vol., No., p..
  15. (), . , Vol., No., p..

参考サイト:



初出日:2017/05/04
更新日:2020/11/24