天下の絶景


 南九州市の番所鼻(ばんどころばな)伊能忠敬が測量の際訪れ、ここ「海の池」から眺めた開聞岳の風景を「けだし、天下の絶景なり」と称賛したとのことです(末尾参照)。右写真は、全国測量出発点である東京深川の富岡八幡宮にある伊能の銅像です。番所鼻には昭和31年(1956)、当時の首相鳩山一郎の書になる「伊能忠敬先生絶賛の地」という石碑が建っています(碑文は末尾参照)。なお、この「海の池」は山幸彦が竜宮城へ往復した際の、出入口だったとの伝説が残っています。2019年4月、ここは「番所鼻の溶結凝灰岩の環状プール群」として県の名勝・天然記念物に指定されました。
 地質的には24万年前の鳥浜火砕流堆積物(非溶結)の上に11万年前の阿多溶結凝灰岩が載っており、鳥浜火砕流堆積物が柔らかいため浸食し去られた結果、上位の阿多溶結凝灰岩が陥没してできた(高橋,1999)、と言われています(右図)。南九州市の海岸には同じような成因でできた湾がたくさんあり(下図)、江戸時代には天然の良港として栄えました。
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★ 石碑裏面の碑文は下記の通りです。
伊能忠敬先生は千葉県佐原市の生れで全国を測量して最初の日本地図を完成した人であるが此の地には今から百六拾年前文化七年七月に來られて此所長手崎(番所)の雄大明媚なる風光に驚嘆し「蓋し天下の絶景なり」と稱讃されたと言うことである 後世先生の偉業を讃え此の碑を建てるものである
 昭和三十一年二月 別府區観光委員会
★ 『三国名勝図会』(五代秀尭・橋口兼柄 共編,1843)には、下記のような記載があります。
往歳大府の測量官、伊能氏、諸國を巡歴して、此地を過きし時、景勝を賞して曰く、是名所の浦なり、列國の内にかくの如くなる景勝の處は、復得べからずとて、半日許り駐滞して、この所の畫圖を寫せしとかや、凡そ開聞嶽遠眺の勝地は、坊津耳取嶺と、此所なりといふ、此地西陲にあれば、其名天下に著はれず、實に惜むべきなり

文献:
  1. 五代秀尭・橋口兼柄 共編(1843) (山本盛秀, 1905), 三国名勝図会
  2. 高橋達郎(1999), 薩摩半島南縁の海岸地形. 地理学評論, Vol.45, No.4, p.267-282.
参考サイト:


初出日:2016/08/16
更新日:2020/11/25