はじめに地形地質土石流前兆現象と教訓針原集落の立地蛇足:2003年水俣災害

 1997年出水市針原川土石流災害

 はじめに

 1997年7月6日から梅雨前線が華南-北部九州-東北地方に停滞、太平洋高気圧の周辺を回って高温多湿の亜熱帯の大気が、前線に向かって流れ込み、南九州に大雨をもたらしました。とくに、甑島の地形に起因する強制上昇で生じた帯状降水雲のため、出水では最大時間雨量62mm、9日の日雨量275mmの豪雨となりました(守田,1998)。その結果、出水市針原川において、最大幅約80m、長さ約190m、最大深約30mの深層崩壊が発生しました。この崩壊土砂が針原川本流にあった溜池で水を得て土石流化、完成間近だった砂防ダムを乗り越え、直進して針原集落を一呑みにしました。そのため、死者21名重軽傷者13名、住家全壊18棟半壊1棟、床上浸水4棟床下浸水17棟、非住家全壊11棟同一部損壊2棟の被害を出しました。砂防ダムがなかったら、もっと大きな被害になったことと思われます。文部省自然災害総合研究班では突発災害の研究チームを結成し(研究代表者下川悦郎鹿大教授)、研究に取り組みました。以下は、その報告書の要約です。いちいち引用文献を挙げなかったことをお許しください。末尾に全文を置いておきますので、詳しくはそちらをご参照ください。

 地形地質

崩壊地全景
シームレス地質図(産総研)と地すべり分布図(防災科研)針原川土石流全景崩壊堆積物とそこに残る条線
 針原地区は、鹿児島・熊本県境に位置する矢筈岳の西麓にあたります。矢筈岳は鮮新世~更新世の矢筈岳火山岩類(山本,1960)からなります。肥薩安山岩類あるいは新期北薩火山岩類とも呼ばれます。崩壊地付近の地質は基盤の凝灰角礫岩とその上に載る安山岩溶岩からなります。大局的には両者の境界部付近から崩壊が発生しています。凝灰角礫岩が難透水層の役割を果たし、溶岩が水を含んでいたのでしょう。崩壊地底部から多量の湧水が認められました。
崩壊地の地質横断面図(出水市,1999)
 また、矢筈岳西麓には北東-南西方向のいわゆる水俣南断層群(活断層研究会,1980)と呼ばれるリニアメント群が平行して7~8本走っています。この断層群を境に西側が落ち、山麓緩斜面をつくっていることが多いようです。崩壊地は、このリニアメントの延長部に位置しています。シームレス地質図の断層位置とは少し違いますが、平行ないし雁行していくつもあるのでしょう。
 実際、崩壊地を仔細に見ると、崩壊地に向かって右側の面は安山岩で、鏡肌様の平滑面(N50~80°E,35~55°NW)が認められます。一方、崩壊地の大部分は強風化安山岩と恐らく赤色風化による玉ねぎ風化に伴うコアストーン起源の円礫を含む崩積土のようです。底面、つまり不整合面はN60゜~80゜Eで、真西へ15゜~20゜の条線が付いています。古いマスムーブメントに伴う摩痕だと思われます。復旧工事で掘削したら、左側に安山岩が露出しましたので、単純化して言えば、断層谷を埋めた旧期マスムーブメント堆積物が、水を得て再活動したものと考えて良さそうです。その際、佐々ほか(1998)はすべり面液状化が発生したと述べています。

 土石流

崩壊から土石流への移行過程(針原川土石流災害記録誌編集委員会,2001)
 地頭薗・下川(1998)の水文地形学的研究によれば、山麓緩斜面には多量の地下水が貯留されており、針原川でも崩壊地からの湧水が、本川流量の過半を超えていたそうです。したがって、この大量の地下水が崩壊の誘因になったものと思われます。このように崩積土(約16万m3)はもともと水を多量に含み流動性に富んでいた上に、下流の農業用溜池で約3,500m3、砂防ダムで約1万m3(水抜き孔から多量の出水があったとの目撃情報もありますので、かなり湛水していたようです)の水を得て、極めて流動性に富む泥流型土石流となって、一気に集落を襲ったものと考えられます。家屋の破壊状況を見ても、巨礫の衝突で破壊されたものより、掃流が1階を通過したような状態のものが多かったように思われます。
 針原川土石流災害記録誌編集委員会(2001)は崩壊が複数回あったとして、下記のように、もう少し詳しく崩壊から土石流への移行過程を考察しています。

 前兆現象と教訓

 針原地区が停電になったのは7月10日0時42分ですし、住民による110番通報が0時49分ですから、土石流発生時刻は0時40分頃と推定されます。それに先立って、9日23時頃から、「ゴーッというような異様な物音」に多くの人が気づいています。中には不安に思って針原川まで見に行き、「川底が見えるくらい水量が減っていた」ことを確認している人もいます。恐らく23時過ぎに小崩壊が起きて、天然ダムが形成されたため、水位が下がったのでしょう。これこそ土石流の前兆現象だったですが、浸水被害だけが念頭にあったので、逆に安心してしまって、公民館長の有線放送による自主避難の呼びかけがあったにもかかわらず、帰宅してしまったのです。防災教育の重要性が再認識されました。出水市役所は17時に災害対策本部を設置し、消防本部も警戒態勢に入りましたが、23時には雨が小降りになったため、市役所職員は自宅待機とし、消防署の非番職員は帰宅させました。

 針原集落の立地

野間之関跡ガレ沢(櫓木川)
 江戸時代、薩摩藩出水筋の関所は肥後国との境界になる境川にはなく、米ノ津に野間之関がありました。その間は関外と呼ばれ(現在でも「関外」という地名が残っています)、非居住地域になっていたそうです。寸土を争った戦国大名達は、なぜこのようないわば「非武装中立地帯」を設けたのでしょうか。矢筈岳の河川はいずれも巨礫がゴロゴロしているガレ沢で、現在では土石流危険渓流に指定されています(写真は針原川のお隣の沢、櫓木川です)。河口の海岸線も扇形をしており、土石流扇状地の押し出しだと明瞭に分かります。封建領主にとって農民を失うことは生産手段の喪失を意味しますから、恐らくこの地域は危険だと知っていて、居住禁止にしたのでしょう。
ミカン畑
 前述のように、矢筈岳安山岩は赤色風化を受け、深層まで風化しています。だからこそコアストーンが土石流の材料となったのですが、一方で、風化土は大変地味が肥えていて肥沃です。ミカンやジャガイモなどの生産には最適です(長島町名産の赤土馬鈴薯も同じく風化安山岩の赤土から採れます。また長島町は温州ミカン発祥の地でもあります)。硬岩と違って、なだらかな地形も農耕には好都合です。そこで、天草や島原などから移住してきて、新しい集落が造られていったのだそうです。針原のように、川を人工的に付け替え、北側に迂回させて<注>、沢の真ん中に集落を形成したところもあります。両側の尾根にあるミカン山からの集荷には最適な場所だからでしょう。しかし、土石流は直進します。真正面に立ちはだかるように立地させてしまったのです。これが被害を大きくした遠因です。「危険からは敬して遠ざかる」祖先の知恵に学ぶべきでしょう。
<注>昭和初期の旧版地形図でも川は北側を迂回しています。古い土石流で北側に押し付けられた可能性もありますし、明治以前に改修された可能性もあります。一概に人工河川と断定できません。
(左:現行地理院地図,右:昭和10年部分修正測図)
蛇足: 2003年水俣災害
植生と崩壊表層地質図「水俣」
(溶岩はもう少し高いところに位置)
 2003年7月20日熊本県水俣市宝川内(ほうがわち)(あつまり)地区で、梅雨末期の集中豪雨により土石流災害が発生、15名の犠牲者を出しました。ここも肥薩火山岩類の分布域です。針原同様、難透水層の凝灰角礫岩の上に安山岩溶岩が載るところで、両者の境界付近から崩壊が発生しています。両地区とも、凝灰角礫岩にスギが、安山岩溶岩にはヒノキが植栽されていました。スギは水の多いところを好みますし、ヒノキは嫌います。表層地質図「水俣」は、沢底での地質調査結果を図学で外挿して作成されていたため、崩壊地周辺では多少位置がずれていましたが、植生界はピタリと一致していました。自然植生がジオ多様性を反映するのは分かりますが、これらは人工林です。不思議に思って林学の先生に伺ったところ、「林業家は地下足袋で歩くだけで、地面の湿り具合が分かるのです」との返事でした。

文献:
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参考サイト:



初出日:2016/07/29
更新日:2020/11/30