災害の概況と球磨川水系球磨川の水害ハザードマップ川辺川ダム川辺川ダム効果の推定日本自然保護協会意見書<参考>鹿児島の被害

 2020年球磨川水害

 災害の概況と球磨川水系

XRAINを用いた12時間積算雨量(防災科研,2020)大雨警報危険度分布(2020/07/04 06:30 気象庁)
球磨川流域地形分類図(国交省,2006)産総研シームレス地質図(赤線:活断層)
 2020年7月3日~4日にかけて熊本県南部地方は梅雨末期の集中豪雨に見舞われ、球磨川流域では水害が発生、甚大な被害が出ました(芦北方面では土砂災害も発生していますが、ここでは省きます)。熊本県の7月5日14時現在の情報では、人吉地域において、死者9名、心肺停止16名、行方不明9名の人的被害が出ています。球磨川は11箇所で越水氾濫、1箇所で破堤したそうです(その後もう1箇所破堤箇所が見つかったそうです)。「川内川の水害」や「甲突川の水害」でも紹介したように、人吉盆地は袋谷地形をなしており、典型的なボトルネック型の水害が発生するところです。鹿児島でも同じタイプの災害が発生しますので、他人ごとではありません。ネット情報ではありますが、参考までにまとめてみたいと思います。
青井阿蘇神社周辺の
水位(熊大,2020)
 球磨川は標高1,489mの銚子笠を源流とする幹川流路長115km、流域面積1,880km2の一級河川です(国交省,2006)。最大の支川は流路長62km、流域面積533km2の川辺川で、途中の人吉盆地で合流しています。人吉盆地は九州島の背骨九州山地に位置しています。九州山地にはジュラ紀付加体(秩父帯)や白亜紀付加体(四万十帯)など古期岩類が北東-南西方向に分布しています。したがって、山脈も河川もその方向は地層の走向と同じく北東-南西方向になるのが自然です。適従河川subsequent riverと言います。それが人吉盆地を過ぎると突然北上するのは何故でしょう。人吉盆地の形成と深く関わっています。人吉盆地は断層運動によって形成された構造盆地で(南縁には活断層もあります:地図の赤線)、後期中新世(700-800万年前)に誕生しました。前期鮮新世(約500万年前)になると、熊本・鹿児島県境付近に肥薩火山岩類が活動し始めます。そのため川はせき止められて古人吉湖が形成され、湖成層が堆積します。川は肥薩火山岩類分布域の北東縁に沿って強制的に曲げられてしまいました。球磨川渓谷です。硬い古期岩類を穿つわけですから、大変切り立った急流になります。今では川下りの名所になっています。人吉盆地の成因については、産総研サイト大阪市大原口先生のYouTubeをご覧ください。
 このような地形のところに、2020年7月3日夜から翌日朝にかけて天草→芦北→人吉と西から東へ線状降水帯が次々にやって来ました。この線状降水帯の位置が球磨川本流上空にピッタリ一致したのも不運でした。防災科研のレーダー雨量の解析によると、12時間で400mmを超す積算雨量だったようです。熊大現地調査によると、過去最大と言われた昭和40年大水害の2倍ほどの水位があったそうです。蛇足ながら、線状降水帯は結局、大気の流れによりますから、それは大地形に影響されます。大局的には日本列島の背骨の方向(基盤である古期岩類の走向)とほぼ平行になるのは当たり前なのです。当然、適従河川と一致する例が多くなります。
 • 7月9日、気象庁は今回の豪雨に対し「令和2年7月豪雨」と命名しました。
 • 7月14日現在の人吉・球磨地区の人的被害は、死者43名、行方不明1名です。


 球磨川の水害

 現地はまだ孤立しているところも多く、とても調査に行ける状況ではありませんが、国土地理院が衛星画像を解析して、いち早く浸水域を発表しました。下図の青色タイルの部分です。これで見ると、人吉盆地の中だけでなく、下流の峡谷部でも浸水があったようです。支流の合流点や河川の屈曲部などに浸水域が多いように見受けられます。多くの高齢者が心肺停止状態で見つかった特別養護老人ホーム千寿園は球磨村渡にありますが、ここは人吉盆地の末端、まさにボトルネックの部分に当たります。しかも支流の小川が合流しているところでもあります。本流の水が滔々と流れていますから、支流の水はそこで堰き止められ溢れることが多いのです。バックウォーター(backwater)現象と言われます。西日本豪雨における倉敷市真備町がその好例でした(「災害と避難」参照)。
 球磨川の破堤箇所は2箇所でしたが、治水地形分類図を見ると旧河道と一致しているようです。越水(堤防から水が溢れる)・溢水(堤防のないところで溢れる)箇所も11箇所に上っています(地図の位置は報道のキロ標によりましたから、概略の位置です)。河川が凸状にカーブしているところを、ショートカットした例が多いようです。橋梁も道路橋が10橋、鉄道橋が3橋流失しましたが、道路橋の多くは1980年代以前に建造された比較的軽い上部工を持った鋼製だったようです。流木などの圧力に弱かったのかも知れません。専門家の調査でやがて原因が分かるでしょう。鉄道橋は1908年建造の近代化産業遺産が2橋(JR)と1937年建造の国登録有形文化財が1橋(くまがわ鉄道)です。いずれも貴重な文化財でしたから残念です。
球磨川治水地形分類図と地理院浸水推定区域(青色タイル:2020年7月4日20時作成)および防災科研12時間積算雨量(赤ポリゴン:330mm~)
:破堤 :溢水・越水 :流失橋梁 :特養ホーム千寿園 :川辺川ダム :市房ダム)…マーカーをクリックすると、名称がポップアップします。

 ハザードマップ

 球磨川は水害で有名な河川ですから、ハザードマップは国交省や人吉市などで従来から整備されていました。その方法は、100~200年に1回(計画規模)の大雨を想定して浸水想定区域を割り出していたのです。つまり昭和の雨量統計に基づくものでした。しかし、地球温暖化に伴って極端気象が頻発します。そこで、2015年国は水防法を改正、1000年に1回(想定最大規模)の豪雨に基づくとし、市町村ハザードマップも改正するよう促しました。しかし、毎日新聞2020年9月3日の報道によると、球磨川・筑後川流域で「ハザードマップ未更新」は23市町村の6割に達するそうです。理由は更新に要する費用捻出にあるようです。実際、人吉市の総合防災マップ(右図)も従来方式によるもので、市のホームページにはその旨注記が書かれており、新方式が掲載されている国交省八代河川国道事務所にリンクが張られています。
人吉市総合防災マップ詳細図No.2(人吉市,2017)
 下記は新方式に基づくもので、2020年3月17日からはハザードマップポータルサイトでweb-GISにより公開されています。これに上記地理院浸水推定区域の輪郭線(青色)を重ねて見ます。見事に一致していることが分かります。また、内山・壇上(2020)の現地調査によっても裏付けされています。つまり、危険は正確に予見されていたのです。
 なお、従来方式(計画規模)と新方式(想定最大規模)との違いを比べてみてください。例えば、人吉市と球磨村の境界馬氷(まごおり)川左岸の瓜生田(うりゅうだ)地区は、人吉市の防災マップでは浸水想定区域なっていませんが、国交省ハザードマップでは浸水想定区域なっていす(実際、浸水しました)。これを以て、人吉市は責任を追及されるでしょうが、たとえ、改訂版が配付されていたとしても、避難状況に大きな変化はなかったでしょう。西日本豪雨はじめ災害の度に、被害想定区域に留まって犠牲になっている人があまりにも多いと指摘されているからです(「災害と避難」参照)。最大の大敵は「正常化の偏見(楽観性バイアス)」です。今後、社会学的心理学的検討が課題となります。
ハザードマップポータルサイト洪水浸水想定区域(想定最大規模)(:特養ホーム千寿園,:人吉市役所)

 川辺川ダム

名称家屋損壊
・流出
床上浸水床下浸水
昭和40年7月洪水1,2812.75110,074
昭和46年8月洪水2091,3321,315
昭和47年7月洪水642,44712,164
昭和57年7月洪水471,1134,044
平成11年9月洪水-320
平成16年8月洪水-1336
平成17年9月洪水-4673
平成18年7月洪水-4139
平成20年6月洪水-1815
平成23年6月洪水-44
過去の水害(八代河川国道事務所)公衆温泉脱衣所に記された洪水水位
 球磨川の水害は今回だけではありません。梅雨や台風に伴う豪雨でしばしば発生しています。人吉市内の公衆温泉の脱衣所に洪水水位が記録されています。写真では4回の印がありますが、一番高いところでは天井近くです。
 これに対し、手をこまねいていたわけではありません。先ず考えられるのが拡幅です。しかし、左岸側には国の史跡人吉城があります。鎌倉時代から幕末まで700年も続いた相良氏のお城で日本でも稀な史跡です。鎌倉から明治まで続いた大名は他に島津氏と毛利氏しかいませんが、毛利氏は安芸から長州へ移転しています。一方、右岸側は国道445号と中心市街地が平行して立地しています。市街地を守るために市街地を削るのは矛盾です。河道を掘削して深くし、流量を増やす方法もあります。しかし、これは下流の洪水を助長する可能性もあります。そこで考え出されたのが、広大な集水域を持つ支流・川辺川の水を一時溜め込んでピーク流量を減らすことです。こうして相良村四浦に川辺川ダムを建設する構想が生まれ、五木村頭地で付帯工事から着工されました。しかし、湖に沈む人たちの生活権はもとより、環境・農業用水・漁業権などさまざまな立場からの反対運動がありました。
川辺川ダム予定地(国交省)
これを受けて熊本県は、川辺川ダム事業に関する有識者会議を設置すると共に広く県民の意見を聴取しました。その結果、2008年9月樺山知事が「現行の川辺川ダム計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を極限まで追求すべきである」との考えを表明しました。
 それでは、もしも川辺川ダムが完成し機能していたら、今回の水害は防げたのでしょうか。防災科研の発災時積算雨量図を見ると、400mm前後の赤色の部分は、市房ダム下流の球磨川本流と川辺川ダム建設予定地直上に存在します。つまり、たくさん雨の降ったところはどちらかと言えばダムの下流部分なのです。したがって、洪水を防ぐだけの降水を補足できたかどうかが問題となります。各地に水位観測所があるはずですが、洪水時には破損して欠測になることもしばしばあります。しかし、最近はレーダー雨量計が進歩しましたから、雨量も面的に取得できるようになりました。今後定量的で厳密なシミュレーションを行えば、きっと分かることでしょう。
<注> 鹿児島市の西之谷ダムは、新川の水害を防ぐために支流西之谷川に設置した洪水調節ダムです(「シラスダム」参照)。川辺川ダムと同じ発想です。

 川辺川ダム効果の推定(速報)

川辺川ダムの効果の推定(角・野原,2020川辺川ダムにより想定される効果(第1回検証委員会
 2020年7月13日京大防災研から川辺川ダムの効果に関する速報が発表されました(角・野原,2020)。それによると、人吉の流量はダムなしの場合約8,200m3/sであり、市房ダムのみの場合は約7,600m3/sだそうです。川辺ダムの梅雨期における洪水調節容量は市房ダムの約10倍(8400万m3)とのことですから、ダム放流量を500m3/sに絞ることは十分可能で、その場合人吉の流量は約5,600m3/sまで減少させることができ、氾濫開始流量を5,000m3/sとすれば、人吉での氾濫水量を13%まで抑えられるとしています。放流量を200m3/sにまでさらに絞ることも可能で、この場合には被害を5%まで最小化できる可能性があったとしています。なお、データは速報値であり、今後修正される可能性がある、とのことです。
 2020年8月25日、国交省九州地方整備局および熊本県により、令和2年7月球磨川豪雨検証委員会が開催されました。委員は整備局長・県知事および関係市町村長からなります。ここに提出された説明資料によれば、市房ダムで調節した後の人吉でのピーク流量は約7,500m3/sですが、川辺川ダムが完成していて調節した場合には約4,700m3/sまで低減できるとしています。

 日本自然保護協会意見書

 上記国交省の令和2年7月球磨川豪雨検証委員会では、どうも川辺川ダム復活を有力な選択肢とした方向に議論が進んでいるようです。これに対し2020年10月、日本自然保護協会はダム建設を前提としない「流域治水」を求める意見書を提出しました。気候危機時代を迎えて、ここ数年国でも流域治水へ大きく政策転換をしたのに、ダムを前提とするのは逆行だとして、次の点を十分検討するよう求めています。
  1. 水害防備林の評価と整備
  2. 遊水地の機能と土地利用のあり方の検討
  3. 土石流の検証と流域の総合的な森林管理の検討
  4. 瀬戸石ダムの被害と撤去


<参考> 鹿児島の被害

鹿屋市の日雨量(気象庁)鹿児島県長島町平尾の被災家屋
 この令和2年7月豪雨では、熊本ほどひどくはありませんでしたが鹿児島でも被害が出ました。鹿屋市では10日、2日の降り始めからの総雨量が1,126mm、年間降水量の半分に達しました。この大雨で人的被害としては、7月6日、南さつま市の新聞配達員(60歳代男性)が家を出たまま行方不明になっています(14日下流の万之瀬川で発見されました)。水害は、薩摩川内市や伊佐市で川内川水系の支川が氾濫、大隅半島でも肝属川水系で被害が出ています。土砂崩れも県下各地で散発しています。その結果、JR鹿児島本線でも土砂が流入、川内~鹿児島中央間で長期不通になっており、通勤通学に大きな影響を与えています。農業被害も深刻です。とくに長島は、人吉を襲ったと同じ線状降水帯が通過しましたので、500mmを超す豪雨となり、地すべりや崖崩れが発生しました。ここでは幸い人的被害はありませんでした。

文献:
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  9. 熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター(2020), 2020年7 月豪雨に伴う熊本県南部における災害調査速報(第2報). 熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター, 30pp.
  10. 熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター(2020), 2020年7 月豪雨に伴う熊本県南部における災害調査速報 小国町,大分県日田市周辺を含む(第3報). 熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター, 14pp.
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緊急集会「九州等の豪雨について」
(防災学術連携体 2020/07/15)
人吉盆地の形成と球磨川水害
(原口強大阪市大准教授 2020/07/13)
2020年梅雨前線がもたらした中国・
日本の大水害シンポジウム
(土木学会 2020/08/13)
検証「川辺川ダムで被害は防げたのか」
(元毎日記者福岡賢正氏 2020/08/23)
令和2年7月九州豪雨地盤災害に関する中間報告会
地盤工学会オンライン 2020/09/28)
参考サイト:


初出日:2020/07/04
更新日:2021/09/16