災害と地質地形土木建設と地質地盤地質地盤情報の公開法整備の必要性

 知的公共財としての地質地盤情報

 災害と地質地形

新潟地震地盤災害図(新潟大・深田研,1964)
 皆さんは自宅を新築したり購入するときに何を基準に選ぶでしょうか。不動産屋さんの新聞広告には、「交通至便・陽当たり良好・学校至近」といった文字が躍ります。地質や地盤に関する情報は皆無です。実際、千葉県浦安市は東京都心から近くて便利な高級住宅街として発展してきました。しかし、東日本大震災では激甚な液状化災害を蒙りました(「鹿児島の埋立地2」で浦安市液状化災害に触れてあります)。右図は新潟地震地盤災害図で、世界で最初に作られた地震地盤災害図です。液状化という語はまだありませんでしたので、砂泥噴出孔と記されています。液状化したところや建物被害の多かったところは、信濃川や阿賀野川の旧河道、あるいは砂丘湖跡・後背湿地と見事に一致していました。一方、海岸砂丘や旧砂丘列上の建物にはほとんど被害はありませんでした。
 新潟地震は1964年でしたが、その後も高度成長の波に乗り、全国各地で乱開発が行われます。自然の渚は埋め立てられ、臨海工業地帯が造成されましたし、人口の都市集中に伴って、都市近郊の丘陵地帯は宅地化されました。地質地盤情報に無関心なまま、無秩序に利便性だけを追い求め、地質的に問題のあるところへ進出したのです。まさに「知らぬが仏」の状態でした。こんなことで良いのでしょうか。
 高度成長期は幸いにして地学的に平穏な時期でしたが、最近は「大地動乱の時代」に入ったのではないかと言われています。孫子の兵法では「彼を知りて己を知れば、百戦して(あや)うからず(知彼知己、百戰不殆)」と言います。災害の場合、「彼」とは、災害hazardそのものに関する諸々の知識です。「己」とは自分たちの住む地域の成り立ち・特性、つまり地質・地形です。今、地震や津波のことなどhazardに関する知識の普及啓発はかなり進んでいますが、地域の成り立ちとその後の変遷については、ほとんど関心が払われていません。未だに「知らぬが仏」の状態です。

 土木建設と地質地盤

殉職碑(作業員の雨合羽に注意)
御殿場線と丹那トンネル(土木学会)地質断面図と事故発生箇所
 防災面だけではありません。地質の悪いところに構造物を建てるのには、杭打ちや地盤改良などコストがかかります。経済的にも大きな損失です。地質のことに無頓着で手痛い目に遭った典型例が丹那トンネル掘削工事でした。日清(1894-1895)・日露(1904-1905)の戦争を経て、大陸をにらんで、兵員や物資の一刻も早い東京から博多への輸送が急務となっていました。弾丸列車構想が生まれます(現在の新幹線です)。当時の東海道線は現在の御殿場線で箱根山を迂回していました。最急勾配は1/40と急勾配で補助機関車の連結が不可欠でした。距離と勾配の問題を一挙に解決する名案が出されました。箱根山をトンネルでくり抜く案です。1909年、鉄道院建設部長野村龍太郎氏の発想だと言われています。後藤新平総裁の裁可を得て、1918年着工されます。当初計画では工期7年、工費900万円の予定でしたが、結局、工期16年、工費2,500万円、犠牲者67名にのぼる世紀の難工事になりました。断層に関連する出水事故や落盤事故などが多発しました。雨合羽を着て濁流の中での作業だったようです。おまけに工事中の1930年北伊豆地震まで発生、丹那断層が動いて、掘削中の坑道が8尺もずれるという世界で稀な事件もありました。鐵道省熱海建設事務所(1933)は工事誌『丹那トンネルの話』で、次のように述べています。
渡邊 貫(1898-1974)
 工事着工から5年後、鉄道省は地質学の重要性を痛感、1923年に東京帝大理学部地質学科卒業生渡邊(とおる)(1898-1974)・広田孝一・佐伯謙吉らを採用します。当時の地質学科卒業生は鉱山会社に就職するのが通例でしたから、2年前に内務省土木試験所に入省した高田昭と共に、土木方面に進出した先駆けでした。とくに渡邊は『地質工学』などの大著を著し、地質工学の父と呼ばれます。土質力学の創始者Karl von Terzaghi(1883-1963)とほぼ同年代に活躍しました。1930年には鉄道省に土質調査委員会も設置しています。
 地質学の有用性を痛感した鉄道大臣は、1930年、鉄道地質研究10ヶ年計画を提唱しますが、時代は戦時色を強めていき、基礎研究・基礎調査をおろそかにして力尽くで物を造る方向に進みます。竹槍精神です。
 資源も同様でした。鉱徴のあるところは、むやみと狸掘りをしました。「石油の一滴は血の一滴」のスローガンの下、人命の危険も顧みず石油の坑道掘削まで行われました。

 地質地盤情報の公開

増上寺から見た東京タワー
 丹那トンネルの教訓が継承されないまま、戦後を迎えます。工学部土木工学科も建築学科も地質の素養のない学生を世に送り出します。一方の理学部地質学科は資源に固執し、土木建設とは距離を置きました。したがって、地質が等閑視されたまま、“力尽くで”いろいろな構造物が造られていきました。本格的に地質が問題になったのは東京タワー建設の時でしょう(1957年着工、1958年竣工)。パリのエッフェル塔より高く、高さ333m、当時の自立式鉄塔としては世界最高でした。重量は約4,000tもあります。当然、基礎をどこに置くかが問題となります。本格的な地質調査をした結果、東京層を支持層にすることが決まりました。1954年発足したばかりの深田地質研究所が主として関わったのだそうです。この頃から、日本は高度経済成長期に入ります。地質コンサルタントが業として成り立つようになり、多くの地質コンサルタント会社が誕生しました。
 しかし、工学的あるいは政治経済的にサイトが決まり、その後、ボーリング等が行われ、支持力を決定、詳細設計が行われるのが通例となりました。やはり力尽くで建設する戦前の風潮が引き継がれたのです。しかも、地質コンサルタントには守秘義務が課され、地質地盤情報が公開されることはありませんでした。なぜそうなったかは詳らかではありませんが、対価を払って得たデータは施主の財産だ、との発想があったのかも知れません。サイトは別の要因で決まっていて動かせないので、都合の悪いデータは敢えて公開しないという思惑があったのでは、との意地悪い見方もあるようです。
産総研コンソーシアム提言国交省検討会提言地質図Navi
 いずれにせよ、国民の血税を使って取得した貴重な地下の地質地盤情報が埋もれたままになっており、国民は「知らぬが仏」のままその上に住んでいる状態です。このビッグデータを国土強靱化と国民の安心安全に役立てないのは、もったいない限りです。
 そこで、2000年代初頭、地質地盤情報の整備・活用の気運が盛り上がります。2007年、産総研コンソーシアムの地質地盤情報協議会と国交省の地盤情報の集積および利活用に関する検討会が、同時に全面無償公開の方針を打ち出しました。これによって、現在、官の保有するボーリングデータがKuniJibanで公開されています。なお、地質図は地質図Naviで、国土地理院の地形図類は地理院地図で無償公開されています。情報公開法が制定され(2001)、情報公開が時代の流れになってきたことも追い風となりました。

 法整備の必要性

利活用の多様な展開(法整備協議会)
法整備協議会冊子学術会議提言学術会議シンポジウム法整備考える会パンフレット
 行政機関のデータは道路や橋梁の建設に伴って取得したデータですから、どうしても点と線のデータになり、面になりません。面データが得られてこそ、地下の三次元的な実態を把握することができます。面にするためには、民有地のデータが不可欠です。民有地のデータを出してもらうためには、地質地盤情報基本法あるいは公開法のような法律が必要です。たとえば、本を出版すると、必ず国立国会図書館(東京・大阪)に納品することになっています。したがって、どんな本でも国会図書館に行けば、閲覧することが可能ですし、貴重書や著作権の切れたものはデジタルコレクションで積極的に公開しています。地質地盤情報についても、このような電子図書館が欲しいものです。
 民有地の地下地質情報を公開すると地価に影響する、といった声を聞きます。しかし、損保協会などはずっと以前から損害保険料率算定会災害科学研究会などを置いて、『災害の研究』という本を毎年出版してきました。実は地価には災害危険度も既に反映されているのです。「ハザードマップ」でも述べたように、阪神大震災頃から、ハザードマップ公表のコンセンサスは得られており、国や自治体から数多く発行されています。「人の命は地球より重い」ということで、この財産価値云々の問題は決着済みです。ボーリング屋さんの仕事がなくなると心配する向きもあります。しかし、地盤の悪い兆候があれば、もっと厳密な調査を数多く実施する必要性が高まるのが普通です。Kunijibanで公開された周辺のボーリング発注が減ったという事実は聞いていません。
 それではボーリングデータなど地質地盤情報を公開するメリットはどこにあるのでしょう。上に新潟地震と丹那トンネルの例を挙げました。事前に地質に注意を払っていれば、地質リスクを回避でき、減災にも、安全安価な施工にも役立ったはずです。事前の調査費は事後の対策費に比してはるかに少なくて済み、トータルコスト縮減に貢献できます。地質・地盤情報活用促進に関する法整備推進協議会は、次のように述べています。

文献

  1. 地質地盤情報協議会(2007), 地質地盤情報の整備・活用に向けた提言―防災、新ビジネス等に資するボーリングデータの活用―. 産総研地質調査総合センター, 98pp.
  2. 地盤情報の集積および利活用に関する検討会(2007), 地盤情報の高度な利活用に向けて 提言 ~集積と提供のあり方~. 国交省, 9pp.
  3. 岩松 暉(2010), 新しい地的社会をめざして. 地質ニュース, No.667, p.8-13.
  4. 日本学術会議地球惑星科学委員会(2013), 地質地盤情報の共有化に向けて-安全・安心な社会構築のための 地質地盤情報に関する法整備-. 日本学術会議, 21pp.
  5. 地質地盤情報活用検討委員会(2015), 地質地盤情報の活用と法整備. 地質・地盤情報活用促進に関する法整備推進協議会, 47pp.
  6. 地質・地盤情報活用促進に関する法整備推進協議会(2015), わが国の地下に眠るビッグデータ・・・ 国民の安全・安心と国土強靱化のために地盤情報の再活用を !! そのための法整備を !!. 全国地質調査業協会連合会, 4pp.
  7. 日本地質学会第122年学術大会特別講演会 (長野)(2015), 地質地盤情報の利活用と法整備. 日本地質学会, 7pp.
  8. 栗本史雄(2016), 地質・地盤情報の法整備に向けた取り組み. 日本地質学会講演要旨, p..
  9. 宇賀克也(2017), 情報公開・個人情報保護実務セミナー(43)地質地盤情報の共有化と公開. 季報情報公開個人情報保護, Vol.65, No., p.43-65.
  10. 佃 栄吉(2018), リスク認知のための官民協働による戦略的地質地盤情報整備. 学術の動向, Vol.23, No.3, p.81-83.
  11. 新潟大学理学部地鉱教室・深田地質研究所(1964), 新潟地震地盤災害図, 新潟大学, 6葉.
  12. 鐵道省熱海建設事務所編(1933), 丹那トンネルの話. 工業雜誌社, 224pp.
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  15. 渡邊 貫(1935), 地質工學. 古今書院, 627pp+増補93pp.
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参考サイト:



更新日:2018/04/01
更新日:2019/10/01