災害教訓の伝承

 災害教訓を伝える

高地蔵(うつむき地蔵)高地蔵分布図徳島河川国道事務所
昭和三陸記念碑1993年8・6水害記念碑1997年針原災害慰霊碑
「櫻嶋燒亡塔」(桜島安永噴火)牛根麓稲荷神社埋没鳥居(桜島大正噴火)
 誰しも災害に遭うと、二度とこんな目に遭いたくない、子孫にはこのような思いはさせたくないと思うものです。そこで災害の教訓を後世に伝え、次の災害に備えて欲しいと願って、さまざまな試みが行われてきました。
 ユニークなのは暴れ川で有名な四国三郎吉野川の高地蔵(うつむき地蔵)です。台座の高さが2mも超す高地蔵が各地に安置されています。台座の高さがその地点の洪水高さを示しています。こんなに高いとお参りしてもお顔が見えません。そこでここのお地蔵様はうつむいているのです。
 多くの場合、記念碑が建てられます。しかし、災害の記憶が風化すると、やがて邪魔物扱いされ、区画整理や道路開通などの際、神社や公民館・公園などに移転させられます。昭和三陸津波では津波到達点を示すところに無数の記念碑が建立されました。その高さを目安に必死で逃げて欲しいと願ったのです。ところがまったく別の場所に移された例さえありました。右の写真は、大船渡市越喜来(おっきらい)の昭和三陸津波記念碑です。「長く大きく揺れる地震は/津浪乃警報と心得/直ちに近く乃高地へ避け/一時間位はその塲を離れるな」と的確に書かれています。でも草藪に埋まり、東日本大震災で洗い出されるまでは、知られていませんでした。寺田寅彦(1933)が『津浪と人間』で、「そうしてその碑石が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津浪がそろそろ準備されるであろう」と喝破した通りになりました。
 石でも風化して碑文が読めなくなる場合もあります。垂水市にある桜島安永噴火の「櫻嶋燒亡塔」は、碑文が読めません。やはり石碑では限界があります。被災した実物を残すことが重要です。「百聞は一見にしかず」なのです。桜島黒神の埋没鳥居は有名で観光資源になっていますが、垂水市牛根の埋没鳥居は、森林の中に埋もれ、地元の人でもあまり知られていませんでした。大正噴火100周年に当たって公園として整備され、やっと陽の目を見ました。こうしたハードも大切ですが、結局、災害の教訓を伝える強い持続的な意志を持つことが一番重要なのではないでしょうか。防災教育が一番大切なのかも知れません。
日本三大暴れ川:
 • 坂東太郎(利根川)
 • 筑紫治郎(筑後川)
 • 四国三郎(吉野川)

 東日本大震災の震災遺構

たろう観光ホテル(保存決定)南三陸町防災庁舎(保存検討中)
津波被災遺構保存の提言(PDF原図)雄勝公民館屋上の大型バス(撤去済み)大川小学校(保存決定)
3.11伝承ロードのリーフレット表紙
 2011年東日本大震災が起きた時、大阪市立大学原口強准教授が被災地域全域の調査に当たり、岩松はそのデータを毎晩受け取ってGISデータに変換、ウェブにアップロードしてきました。被災状況が目に浮かぶようでした。その作業をしながら思い出したことがあります。1964年新潟地震の際、世界で最初の地震地盤災害図を作成するお手伝いをした時のことです(「遺跡にみる地震の痕跡」参照)。行政や自衛隊は一刻も早い復旧を目指して奮闘しています。ボヤボヤしていると、地震の痕跡が消されてしまいます。自衛隊より一歩先に現地に行って調査しなければなりません。先陣争いが繰り広げられました。そんなことを思い出しているところへ、岩手県立博物館主任学芸員(当時)の大石雅之氏から、被災遺構が撤去されそうとのメールが入りました。現地は戦場のような状態で、首長さんも文書など読む暇もないだろうと思いましたので、急いで友人知人に声をかけて、パワーポイントを作り、A4判1ページの写真を主としたビジュアルな提言書を作成しました(左上図)。これを大石さんに送り、遺構が壊される前に首長さんたちに手渡して欲しいと依頼したのです。恐らく震災遺構保存運動の一番最初の動きだったと思います。
 当時は被災直後、肉親を失った悲しみから、遺構など目にしたくないから、一刻も早く撤去して欲しいとの意見が大勢だったと思います。陸上に乗り上げた漁船(気仙沼市)や民宿屋上に載った遊覧船(大槌町)、公民館屋上に載った大型バス(石巻市雄勝町)などは、危険だとか邪魔とかの理由で撤去されましたが、震災後数年経って、いくつか遺構保存が決定されたところも出てきています。また、多くの語り部が活動しています。また各地で震災の教訓を後世に伝える施設震災伝承館も建設されました。これらの諸施設がアライアンスを組んで、3.11伝承ロード推進機構が設立されました。

 中越メモリアル回廊

中越メモリアル回廊ガイドマップ(中越防災安全推進機構ウェブサイトによる)
 被災遺構と語り部といった防災に重点を置いた活動から、地域おこしまでを包含した、防災と復興をセットにした活動が新潟県中越地震のあった地域で行われています。中越メモリアル回廊です。ここの活動を紹介しましょう。
 震央メモリアルパーク・木籠(こごめ)メモリアルパーク(天然ダムで埋まった集落)・妙見メモリアルパーク(男の子が車の中からスーパーレスキュー隊によって92時間後に救出されたところ)といった震災遺構と、長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」・やまごし復興交流館「おらたる」・おぢや震災ミュージアム「そなえ館」・川口きずな館という4つの拠点施設を結んで回廊を作ったのです。もちろん、途中には観光スポットや物産館・民宿なども点在しています。拠点施設には語り部もおり、防災体験学習や視察などのツアーにも応じています。震災を風化させず、震災を乗り越えて地域を発展させようとの意志が感じられます。
 現代は誰でもスマホを持ち、簡単に映像を撮ることができますから、臨場感溢れる映像に満ちています。これにVR(バーチャルリアリティ)などを組み合わせれば、災害の追体験が可能だと思いがちです。しかし、映像だけでは、いたずらに恐怖心を煽ったり、妙に現実感に乏しいものになったりしがちです。心に訴えるためには、人間による「物語」が不可欠なのです。語り部が重要な所以です。現代の民話も必要なのかも知れません。
余談:
 ずーっと前、イラク戦争の時、テレビで、アメリカ軍基地にいる短パン、Tシャツ、サンダル履きの米兵が、コーヒー片手にモニタを見ながら無人機の発射ボタンを押している姿を見たことがあります。本人はまったく安全なところにいますが、現地ではその瞬間、むごたらしい惨劇の修羅場が出現したのです。彼はそれを想像したことがあるのでしょうか。ゲーム感覚になってしまったのでしょう。バーチャルの限界を考えさせられました。


文献:
  1. 磯田道史(2014)天災から日本史を読みなおす―先人に学ぶ防災. 中公新書, 221pp.
  2. 岩松 暉(2013), 本を携えて被災地を行脚―改訂版あとがき―. 原口強・岩松暉著『東日本大震災津波詳細地図改訂保存版』, 古今書院, p.255-260.
  3. 岩松 暉・橋村健一(2014), 桜島大噴火記念碑―先人が伝えたかったこと―. 徳田屋書店, 291pp.
  4. 岩松 暉(2013), 桜島大正噴火記念碑にみる災害伝承. WESTERN JAPAN NDICニュース, No.49, p.15-24.
  5. 岩本由輝編(2013), 歴史としての東日本大震災―口碑伝承をおろそかにするなかれ. 刀水書房, 216pp.
  6. 高橋和雄編著(2014), 災害伝承―命を守る地域の知恵. 古今書院, 201pp.
  7. 寺田寅彦(1933), 津浪と人間. 寺田寅彦全集 第7巻, 岩波書店, p.
  8. 山下文男(2005), 津波の恐怖―三陸津波伝承録. 東北大学叢書, 249pp.
  9. (), . , Vol., No., p..
  10. (), . , Vol., No., p..
  11. (), . , Vol., No., p..

参考サイト:



初出日:2017/08/05
更新日:2021/07/02