災害リスクマップ前史リスクコミュニケーションと災害リスクマップ洪水浸水想定区域への人口移動災害リスクエリアへの中長期人口移動

 災害リスクマップ

 災害リスクマップ前史

建物大破棟数炎上出火棟数上水道管被害箇所数
鹿児島県地震被害予測調査(1997)
 防災関係ではハザードマップがよく使われますが、まだ歴史が浅く高々20年くらいしか経っていません(「ハザードマップ」参照)。当初はハザードhazardという言葉自体が耳慣れないものでしたし、ハザードマップの内容自体も一般の方には理解しにくい側面を持っていました。わが身に降りかかる現実的な問題として肌で実感しにくいとの声もありました。そこで考えられたのが、被害予測図です。例えば地震災害の場合、単なる予想震度分布ではなく、予想震度に加えて、木造建造物の分布から、倒壊確率を出したり、発生時刻や風向きを考慮して、地震火災による予想類焼区域を出したり、さらには昼間人口密度や夜間人口密度から死傷者数を出したりして、地図上に表示したのです。予想される被害を示すことによって、わが事として考えて欲しいとの狙いでした。「災害について」でも述べたように、hazardとdisasterは意味合いが異なり、前者は危険な自然現象で、後者は社会的脆弱性に起因して人命や財産が失われて被害が生じる社会現象を指します。したがって、上のような被害予測図はdisasterに対応するものとして、当時はリスクマップrisk mapとも呼びました。コンピュータから小ぎれいなもっともらしい図面が打ち出されてくるので、行政では重用され、何百何十何人死者が出るから、棺桶を何百何十何個用意すると地域防災計画に書き込まれるなど、一人歩きしたきらいがありました。しかし、計算の前提にあまりにも仮定が多く、コンピュータのお遊びとされ、現実離れしたものとしか受け止められませんでした。

 リスクコミュニケーションと災害リスクマップ

木造住宅倒壊で孤立する75歳以上高齢者の分布
(中谷,2020)
 上にも述べたように災害disasterは自然的要因だけでなく、社会的経済的要因が深く関わっていますし、ステークホルダーも住民・行政・医療・研究者などさまざまな人が絡んでいます。防災が有効に機能するためには、それらステークホルダー間の意思疎通が重要です。災害・環境問題・原子力問題などのリスクをステークホルダー間で情報共有し、合意形成を図ることをリスクコミュニケーションrisk communicationと言います。現在ではこのリスクコミュニケーションの有力な手段の一つとしてリスクマップを捉える流れになっています。とくに住民との情報共有が眼目になっています。ハザードマップは研究者やコンサルタントが作成したものが原典ですから、精緻で定量的であっても、実感として捉えにくいという前述のような批判があったからです。片田ほか(2011)は、従来型洪水ハザードマップの問題点を次のように指摘しています。(a)最大浸水深が示される例がほとんどだが、想定浸水深が浅いところの人にとってはかえって安心マップになってしまい、避難につながらない。(b)流速が大きい洪水ほど氾濫水は湛水せず流下するため、概して浸水深が浅く表現される。実はこちらの方が大規模で危険な洪水である。(c)複数河川の洪水リスクを表現しにくい。大河川の低頻度大規模洪水と中小河川の高頻度中小規模洪水と混在する場合、これを1枚のマップにまとめると、結局、最大浸水深を表示することになり、大げさな危機感を煽るだけの情報と受け止められ、高頻度の中小水害に対しての備えがおろそかになる。そこで、片田ほか(2011)は、地域をある程度大まかにくくって、発生が予想される災害を平易な日本語で表現した概略表記型洪水ハザードマップを「気づきマップ」と呼んで推奨しています(「ハザードマップ」も参照)。
 右図は桜島が大正噴火クラスの大噴火をした場合、降灰の重みにより木造家屋が倒壊し、その倒壊家屋が道をふさいで75歳以上の高齢者が孤立するケースを予測したものです(中谷,2020)。もちろん、このシミュレーションにはさまざまな前提条件が仮定されています。噴火規模・噴火様式・風向き・降灰量・木造家屋の存在確率・倒壊率・道路閉塞率・高齢者の居住確率等々です。噴火現象のほうは、噴火が始まってからデータを入力しリアルタイムで計算することは可能ですが、被災物・被災者のほうは、事前調査が必要です。木造家屋がどこにあり、築年や耐震補強の有無、高齢者居住の実態などは現地調査をすれば、ある程度分かりますが、膨大な手間ひまがかかりますし、個人情報の絡みもあって、難しい側面もあります。中谷(2020)の研究は国勢調査等の既存データからの推測のようです。

 洪水浸水想定区域への人口移動

都道府県別洪水浸水想定区域への世帯移動状況
(秦・前田,2020)
洪水想定区域(国交省ハザードマップポータルサイト)
 洪水に関しては、従来、100~200年に1回(計画規模)の大雨を想定して浸水想定区域を割り出してきましたが、極端気象の頻発に鑑み、2015年国は水防法を改正、1000年に1回(想定最大規模)の豪雨に基づくとし、市町村ハザードマップも改正するよう促しました。また、2020年3月17日からはハザードマップポータルサイトでweb-GISにより公開されています。このようにリスク情報のほうは確実にレベルアップし、周知方法も至れり尽くせりになったきました。しかし、情報の受け手である国民の側はどうでしょうか。秦・前田(2020)は、洪水浸水想定区域内に住む世帯数の推移を国勢調査をもとに分析しました。図を見ると、y=xの直線より上の35都道府県は浸水想定区域内で宅地化が進んだことを示しています。人口増大傾向にある関東圏だけでなく、人口減少傾向の地方でも同様な傾向があり、多くは浸水想定区域外よりも区域内の増加率が大きいそうです。従来方式の洪水ハザードマップ作成が義務づけられたのは2005年のことであり、情報がなかったわけではありません。何故わざわざ危険なところに進出したのでしょうか。やはり、危険な場所は地価が安価であり、権利関係が複雑な旧市街地と異なり、大規模に土地が取得しやすいといった理由で、宅地造成が進んだためでしょう。土木工学的な観点よりも、政治経済的な施策が求められているのではないでしょうか。

 災害リスクエリアへの中長期人口移動

日本全体(国交省,2020)鹿児島県(国交省,2020)
 2020年12月、国交省では、「総力戦で挑む防災・ 減災プロジェクト~いのちとくらしをまもる防災減災~」の取組の一環として、中長期の自然災害リスクに関する分析結果を発表しました。災害リスクに対する適切な土地利用を検討するため、都道府県別に災害リスクエリア内の人口(2015年・2050年)の推移を分析したのです。災害リスクエリアは、従来発表されてきたハザードマップから抽出し、両年ともエリアに変更はないと仮定しています。2015年人口は平成27年国勢調査、2050年人口は、平成30年国政局推計データを用いています。この2種のデータをGISを用いてメッシュ処理し、考察しています。
災害リスクエリアへの人口移動
 この間、わが国は人口減少の局面に入っており、総人口では2,517人減少します。当然、災害リスクエリアの人口も減少しますが、総人口に対する割合は日本全体で、約2.8%増加すると予測されるそうです。地震リスクエリアに限れば、約3.7%増になるとか。わざわざ危ないところへ移動する訳です。この分析では都道府県ごとに2015年→2050年の災害リスクエリアへの人口移動の増減を示しています。その県の立地条件や社会経済的要因、災害リスクとの関係など、複雑に絡んでいますが、仮に、災害リスクエリアへの人口移動の人口比だけを取り出してグラフにしたのが下図です。首都圏直下地震や南海トラフ地震の被害想定域は、ほぼ県域全体が危ないのですから、あまり変化のないのが当然かも知れませんが、それでもプラスだということが気になります。もっと気になるのが、地方県のプラスが目立つことです。人口減少社会ではコンパクトシティーをめざせと言われていますが、それが災害リスクの大きな沿岸都市域への集中を意味するのなら問題だと思います。

文献
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参考サイト:



初出日:2020/04/11
更新日:2020/12/19