マスムーブメント表層崩壊地すべり転倒崩壊・落石土石流地球温暖化と土砂災害

 土砂災害

 マスムーブメント

 重力によって直接起こる岩石や砕屑物質(土壌・岩屑など)の斜面下方への移動をマスムーブメントmass movement, mass wastingと言います。その運動様式によって次のように分けられています。このうち、1と2がわが国で言う地すべり、3が土石流、4が崩壊や落石に当たります。わが国ではlandslideを地すべりと訳して、緩慢な動きをイメージしますが、外国では違った意味で捉えられていますから、外国人と話をする際には気をつけましょう。
  1. 匍行landcreep…動きが緩慢で運動領域と不動領域の境が不明瞭なもの
  2. 滑動landslide…動きが急速で運動領域と不動領域の境が明瞭なもの
  3. 流動flow…水を多量に含む急速混濁乱流
  4. 崩落fall…粉体移動ないし個体落下
 一方、わが国の国交省は土砂災害を次の3つに分類しています。
  1. 地すべり…緩斜面をマスとしての形状を保ったまま、緩慢に移動する現象
  2. がけ崩れ(山崩れ)…急斜面を急速に滑落する現象
  3. 土石流…渓流に沿って土石が急速に流れ下る現象
 土砂災害防止法(土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律)第二条では、
「土砂災害」とは、急傾斜地の崩壊(傾斜度が三十度以上である土地が崩壊する自然現象をいう。)、土石流(山腹が崩壊して生じた土石等又は渓流の土石等が水と一体となって流下する自然現象をいう。第二十六条第一項において同じ。)若しくは地滑り(土地の一部が地下水等に起因して滑る自然現象又はこれに伴って移動する自然現象をいう。同項において同じ。)(以下「急傾斜地の崩壊等」と総称する。)又は河道閉塞による湛水(土石等が河道を閉塞したことによって水がたまる自然現象をいう。第六条第一項及び第二十六条第一項において同じ。)を発生原因として国民の生命又は身体に生ずる被害をいう。
と定義しています。

 風化土層の表層崩壊

• 崩壊輪廻
 中学校理科で教わった「植物遷移」を覚えておいででしょうか。裸地→草本の侵入→松など日向を好む陽樹の侵入→広葉樹など日陰を好む陰樹の侵入→極相林になるというものです。これは地面から上の植物の変遷についてのお話です。地面から下ではどうなっているのでしょうか。岩石も風化していきます。枯草や落ち葉が腐って腐葉土ができますし、ミミズやダンゴ虫から土壌微生物に至るまでたくさんの動物も活躍して土壌の団粒構造を作ります。先の植物遷移に応じて、だんだん肥沃な土壌が形成され厚くなっていくのです。フカフカの肥沃な土壌ということは、力学的には劣化(弱化)を意味します。斜面の傾斜と風化土層の厚さとの関係で、どこか閾値(しきいち)を超すと崩れます。これが崩壊(山崩れ・がけ崩れ)です。そして、また裸地が出現するわけです。
 地質学では昔からこれを「崩壊輪廻」と言ってきました。したがって、崩壊は、風化しやすさなどの違いはあるものの、地質とは無関係にあらゆる岩石種で発生します。写真は地頭薗隆鹿大教授から頂戴したものです。輪廻の考えから言えば、緑豊かに大木が繁っている広葉樹のところがそろそろ危ないところです。なお、この輪廻に関連して、小出博(1955)は、「地すべりには免疫性がある」と述べました。地すべりは一度すべるとしばらくは安全というわけです。
 「堆積輪廻」という言葉をご存知でしょうか。浸食→運搬→堆積を繰り返すというものです。崩壊や地すべりは浸食現象のうちの大規模なものの一つです。崩れた土砂(崩積土)は土石流や洪水によって効率よく下流に運ばれます(運搬)。こうして私たちの住む平野が形成されたのです(堆積)。したがって、山崩れや土石流は、ある意味ではなくてはならない自然現象なのです。コンクリートですべての山や崖を現状のまま維持し続けることができると考えるのは、不老不死を願った秦の始皇帝と同じ夢想に過ぎません。もしも現状の完全固定に成功したとしたら、土砂の供給が無くなるわけですから、海岸浸食によって私たちの住む平野は無くなってしまうでしょう。自然界は微妙な動的バランスを保っているのです。
 なお、もう一つ大きな輪廻もあります。W. M. Davisの「地形輪廻」です(これを浸食輪廻と訳す人もいます)。原地形→幼年地形→壮年地形→老年地形→凖平原と繰り返すというものです。鹿児島のシラス台地は、火砕流の堆積原面が残っていますから、まだ幼年期の段階なのでしょう。
シラス崩壊
 前述のように、風化土層の表層崩壊は地質の如何に関わらず発生します。たとえば、出水山地の四万十層群では、以前はしばしば崩壊が発生し、国道328号線のトンネルが出来るまでは、よく不通になったものでした。また、1993年の鹿児島豪雨災害では、姶良カルデラ壁で無数の崩壊が発生しました。写真は竜ヶ水周辺の崩壊です。
 しかし、前述のように鹿児島県本土の6割はシラスで覆われていますから、鹿児島で一番多い表層崩壊は、何と言ってもシラス崩壊です。シラスとは火砕流堆積物の非溶結部を指す鹿児島の方言ですが、一番広く分布しているのは約3万年前に姶良カルデラから噴出した入戸火砕流ですので、狭義には入戸火砕流堆積物の非溶結部を意味します。地質時代が若いのと、非溶結のため、もともと軟らかく鍬でも掘れるくらいですから、少し風化すると崩れます。
 左の写真は鹿児島市武の1986年災害ですが、鹿児島市武や城山の崖は縄文海進時の海食崖ですから、浸食が進んで傾斜40~50度くらいですので、80~100年経って風化土層の厚さが数10cmになると崩れます。写真左手下の緑は西郷屋敷跡です。ここから平地になっており、山の手の閑静な住宅だったのでしょう。右手は緩やかなスロープになっています。崖錐と言い、がけ崩れ土砂の堆積地形です。ご先祖様はここが危ないことをよく知っていたのでしょう。この崖錐は薪炭林として放置するか、せいぜい畑として利用し、宅地にはしませんでした。三畝法と言います。シラス崖から順に畑3畝、家3畝、田3畝としたのです。敬して遠ざかる作戦です。こうすれば、がけ崩れが起きても、人命が失われることはありません。ところが戦後、とくに高度成長期以降、ここに住宅が進出してきたため災害が頻発するようになりました。人間のほうが危険なところに近寄りすぎたのです。
 右の写真は鹿児島市喜入町前之浜の崖です。ここは現在の海食崖ですから急傾斜で70~80度あります。したがって、厚い風化土層を持ちこたえることは出来ないので、20~30年に1度、風化土層の厚さが20~30cmになると崩れますが、土量がごく少量なので、待ち受け擁壁程度の対策で十分です。

ボラすべり
 ボラとは軽石を指す鹿児島の方言ですが、今では降下軽石のことを指すようになりました。火砕流は流れたものですから、水と同じく低きにつきますが、降下軽石は空から降ってきたものですから、雪と同じように、野にも山にも地形に平行に積もります(マントルベッディングと言います)。斜面に平行に積もった降下軽石は厄介です。火山から噴き出したとき、重いものは近くに落ち、軽いものは遠くへ飛びますから、同じ場所には同じような大きさの軽石が積もります。隙間を細かな火山灰が埋めていないので、スカスカですから、地下水の格好の通路になり、すべりの原因になりやすいのです。そのため、大雨や地震で表層すべりを起こします。1976年災害では高隈周辺に積もっていた桜島ボラ(主として大正ボラ)が無数にすべりました。左は二川の県道72号線で起きた桜島大正ボラの表層すべりで、右は牛根の港が流れてきたボラで埋め尽くされた様子です。一番新しいのがこの大正ボラですが、安永ボラや文明ボラもあります。もっと古い1.3万年前の桜島ボラもあります。薩摩半島に広く分布しているので、薩摩降下軽石と名付けられました。同じ1976年災害で、鹿児島市内唐湊の学生下宿がこの薩摩降下軽石で埋まり、鹿大生4人と大家さん1人が犠牲になりました。
 蛇足ですが、園芸店で売っている鹿沼土は群馬県赤城山の降下軽石が栃木県鹿沼市に積もったものです。鹿児島風に言えば赤城ボラです。
 その他、入戸火砕流が流れる直前に姶良カルデラから噴出した大隅降下軽石もあります。主として大隅半島に広く分布します。この3万年前の大隅降下軽石に起因する事故が2005年鹿屋市吾平町で起きました(写真)。凹型斜面でボラが厚く堆積したところに高盛土したために発生したのです。他に、鬼界カルデラ起源のアカホヤ(7,300年前)や池田湖起源の池田降下軽石(5,700年前)などもあります。このように年代も噴出源も異なるはさまざまな降下軽石が県下一円に広く分布していますから、要注意です。
マサ土崩壊
 マサ土(真砂土)とは花崗岩の風化した砂を言います。花崗岩は主として石英・長石・雲母などからなっていますが、とくに雲母が風化しやすいため、残った石英や長石の粗い砂になります。花崗岩地帯の海岸が白砂青松になるのはこのためです。鹿児島県では北から、紫尾山・高隈山・大隅半島・屋久島と前述の約1,500万年前の花崗岩が広く分布します。写真は1997年鹿児島県北西部地震の時に無数に崩れた紫尾山花崗岩地帯の様子です。なお、遠くに見える高い山、紫尾山本体は花崗岩の熱で焼かれて(熱変成と言います)硬くなった四万十層群のホルンフェルスですから、崩壊は起きていません。このように表層崩壊は大雨でも地震でも発生します。

 地すべり

 前述の定義のように、地すべりでは土塊がマスとして形を保ったまま、大規模にゆっくりすべるマスムーブメントの一種で、大雨や融雪などによりすべり面で水圧が高まった時に、有効応力が低下してすべると言われています。古くは小出(1955)が地すべりを、第三紀層地すべり・破砕帯地すべり・温泉地すべりと3大別しました。分類基準がマチマチで分類の体をなしていないと批判されていますが、日本の地すべりはほとんどこの中に含まれるため、便利なので今でも使われています。第三紀層地すべりは北陸などに多い軟質の泥岩に見られるものです。泥岩中に含まれるモンモリロナイトなど粘土鉱物が災いの元です。ただし、第三紀Tertiaryという言葉が国際地質学連合IUGSで使用しないと決められましたので、今後はどうなるでしょうか。小出の言う第三紀は新第三紀Neogeneだけを念頭に置いていますから、新第三紀層地すべりとでも呼ぶのでしょうか。鹿児島で新第三紀層があるのは種子島の茎永層群くらいです。破砕帯地すべりは結晶片岩や蛇紋岩の地すべりです。大昔、結晶片岩は“動力変成作用dynamic metamorphism”で出来たなどと言われていたので、破砕帯地すべりと名付けられたのでしょう。でも動力変成作用は今では死語ですから、ここのところだけ変成岩地すべりと呼ぶ人もいます。鹿児島には変成岩はほとんどありません。温泉地すべりは温泉王国鹿児島に典型例が見られます。
 なお、2004年新潟県中越地震で大規模な地すべりが多発し、地震も造地形運動の大きな要素の一つだと再認識され、急速地すべりがあることも分かりました。
温泉地すべり
防災科研地すべり分布図県道1号の地すべり
 温泉地帯では、地下の熱水(100℃以上)や温泉水(100℃以下)あるいは火山ガスなどにより、岩石は熱水変質を受け、粘土化します。一括して温泉余土と呼ばれますが、熱水の性質により、形成される粘土鉱物も異なります。酸性の場合にはカオリナイトが、弱酸性~中性ではモンモリロナイトが卓越すると言われています。
 鹿児島で典型的な温泉地すべりが見られるのは霧島丸尾・林田温泉です。どこがすべり面かわからないほど全体が粘土化しており、まさに匍行landcreepにあたります。硫黄谷から林田温泉に行く県道で地すべりが発生、一時交通止めになったことがあります。水抜きをし、蒸気を逃がして何とかすべりを食い止めています。丸尾滝のバイパス橋梁は、この温泉変質帯に悩まされ、14年もかかった難工事でした。

変朽安山岩の粘土化帯のクリープ
防災科研地すべり分布図平崎地すべり
 薩摩半島には、金鉱床を胚胎する新第三紀の変朽安山岩が広く分布しています。金も熱水に由来しますから、熱水変質は重要な現象なのですが、ところによっては、この変質のため地すべりを起こすことがあります。昔、坊津の今岳で地すべりが発生したことがありました。水抜きボーリングをしておさまったのですが、横穴ボーリングが目詰まりしたときに、また動き出したことがありました。最近になって南さつま市坊津町の国道226号がアチコチで地すべりを起こしています。中でも平崎地すべりが規模が大きいようです。

花崗岩の地すべり
花崗岩の地すべり(国道448号)毘沙門すべり(日置市毘沙門)
 花崗岩には立方体状の冷却節理が発達します。この冷却節理に粘土が入ってずるずるすべる場合があります。写真は国道448号線の改良工事中に大隅花崗岩の岩盤が地すべりを起こした例です。吹きつけを終わった法面が少しずつせり出してきて、一時、集落に避難勧告が出されました。
 右の写真は1993年の台風13号通過直後、わずか13mmの雨で急速にすべった日置市毘沙門の例です。全壊2戸死者2名を出しました。ここの花崗岩はマサ化していました。「地すべり」として対策工が行われましたが、必ずしもマスとしての形状を保ったまますべったとは言えないようなので、先の定義からすると、地すべりではなく大規模崩壊としておいたほうが良いように思います。

赤色風化に伴う地すべり・崩壊
赤色風化岩の地すべり(奄美大島龍郷町浦)
 奄美諸島や沖縄は亜熱帯に属します。新鮮なときには真っ黒な泥岩でも、このような暖かい地方では赤褐色に風化します。地学事典には「粘土と結合している加水酸化鉄の部分的脱水により生じ、赤鉄鉱の生成と密接に関係する」と解説してありますが、要するに酸化鉄により赤~赤褐色を呈するのです。泥岩だけではありません。緑色凝灰岩や溶岩なども赤色化します。最近の災害では、2010年奄美豪雨災害や翌年の奄美大島北部豪雨災害で、これに起因する地すべりや大規模崩壊が多発しました。本土の四万十層群なら何でもない、僅か数cmの凝灰岩が、奄美ではベトベト粘土化して、この層をすべり面としてすべった例があります。なお、奄美諸島の耕地整理に伴う土工で赤色土が海に流出し、珊瑚礁に被害を与えたことは有名です。赤色風化は熱帯~亜熱帯の風土病と言ってよいでしょう。
 一方、北薩地方の矢筈岳や長島など北薩安山岩類にも赤色風化が顕著に見られます。肥沃な土壌が形成されるので、出水ではミカン、長島ではジャガイモなどが良く穫れます。12.5万年前の温暖期(下末吉期)に形成されたのかも知れません。
深層崩壊
 最近「深層崩壊」なる言葉が流行っています。昔、地すべり性崩壊とか、クリープ性大規模崩壊と言われていたものです。九州山地や紀州山地など付加体の中・古生層によく見られます。山腹斜面が平常時にはクリープし続け、妊みだし地形が見られ、同時に山頂部には二重山稜が形成されます。時々、末端崩壊を起こし、ついに耐えきれなくなると、大規模に山体崩壊するのです。右図はそれを模式的に示したものです(岩松・下川, 1986)。 写真は岩松・下川論文に「このような地形のところは危ない。やがて崩れる。」と例示した宮崎県椎葉村本郷の妊みだし地形ですが、20年後、2005年の台風14号で大規模崩壊を起こしました(下写真)。  鹿児島には高くて急峻な山がないので、あまり見かけませんが、先般の奄美豪雨災害で、この深層崩壊があったそうです(寺本ほか、2012)。
 しかし、最近では下記のキャップロック型などメカニズムが異なるものまで、何でもかんでも深層崩壊とされる風潮があります。いささかいかがかと思います。深層崩壊の定義に関しては砂防学会でも議論されています。

キャップロック型地すべり・崩壊
 鹿児島は火山国です。堆積岩の上に溶岩や溶結凝灰岩が載っているところはたくさんあります。溶岩のように硬い岩に水が含まれるのは不思議に思われるかも知れませんが、冷却節理などに多量の水を溜め込みます。その水が堆積岩に供給されて、地すべりや崩壊を起こすのです。前述の北松型地すべりがその例です。松浦玄武岩の水が下位にある佐世保層群に供給されて地すべりが起きるのです。鹿児島の場合でも、北松型ほど大規模ではありませんが、郡山町の採石場で第四紀の郡山層泥岩がすべったことがあります。
 逆に、不整合面付近から上部の溶岩や溶結凝灰岩がすべるのも、キャップロック型と呼ばれることがあります。写真と図は、入来峠付近の国道328号改修事業の際盛土したために上載荷重で、溶岩と泥岩の不整合面付近からすべった例です。現在では橋梁になっています。
谷埋め盛土造成地の地すべり
 高度成長期、丘陵部に団地を造成することが多くなり、1978年宮城県沖地震の際、盛土造成地で地すべりが発生しました。今回の東日本大震災でも頻発し、大問題になっています。国交省でも盛土造成地の公表を促しています。これに応じて、東京都や仙台市などでは公表を始めました。昔は、地価が下がると言って公表を渋っていたのですが、もうそういう時代ではなくなったのです。
 幸い鹿児島ではまだ大きな災害になっていませんが、写真のようにシラス台地を切り盛りした団地はたくさんあります。実例としては、旧入来町の町営愛宕団地が挙げられます。ここでは1993年の梅雨前線豪雨で地すべりを起こしましたし、1997年の鹿児島県北西部地震でも液状化を起こしました。雨にも地震にも弱いのです。
 どうして盛土造成地は危ないのでしょうか。山を切って谷を埋めるのですから、最初に表土から剥いで埋めます。次に風化層、新鮮な地山、と切っていくわけですので、谷ではその順に埋立てられます。つまり自然の状態とは正反対に、下のほうが柔らかい層からなる逆層序になります。当然、不同沈下しますし、地震の震動にも弱いのです。それに、もとの谷は依然として地下水の流路になっていますから、浸食にも弱いわけです。最近の工法は多少工夫されているようですが、古い団地は昔の粗雑なやり方で造成されています。鹿児島でも切り盛りマップの作成が要請されていると思います。

 溶結凝灰岩や溶岩の転倒崩壊・落石

 上述のように鹿児島には溶結凝灰岩や溶岩が広く分布しています。もともと溶岩は1,200℃くらい、火砕流は800℃くらいあったのですから、それが冷えるときに、収縮して柱状節理ができます。柱の太さは溶結凝灰岩のほうが太いようです。溶岩では、玄武岩質だと太く流紋岩質だと細いなどと言われますが、一概には言えません。この柱が不安定になると転倒崩壊(トップリング)を起こします。有名なのが北海道層雲峡の災害です。また、柱状節理は落石の素因ともなります。左写真は1997年鹿児島県北西部地震の際、旧祁答院町であった径3mを超す巨大落石です。右写真は旧川辺町岩屋公園の県指定史跡、清水の磨崖仏です。転倒崩壊の危険があるということで、現在は見学禁止になり、対岸から遠望しかできません。両方とも溶結凝灰岩です。

 土石流

 冒頭、土石流は渓流に沿って土石が急速に流れ下る現象と書きました。しかし、河床礫が増水によって自ら動き出すことはあまりありません。上流部で溪岸崩壊があり、それが沢になだれ込んで、水を得て流動化、雪だるま式に大量の土石を巻き込んで流下する例がほとんどです。土石流で溪岸が削られると、足下が不安定になって、さらに崩壊を引き起こすことがあります。
 写真は1997年梅雨前線豪雨による出水市針原川の土石流災害です。赤色風化した矢筈岳安山岩類と古い時代のマスムーブメント堆積物との境界付近で崩壊が発生したようです。これが針原川になだれ込み、直進して針原集落を襲って21名の犠牲者を出しました。実は針原は新しい集落で、針原川は集落を迂回するように付け替えられ、川の真正面に集落が作られていたのです。両方の尾根にあるミカン畑に行くのに便利だったからでしょう。しかし、土石流は直進する性質があります。このようなところに立地するのは無謀でした。なお、薩摩藩の関所、野間之関はもっと南の米ノ津にあり、それより北、肥後との境界付近は関外と呼ばれ、人が住んでいなかったそうです。矢筈岳山麓の河川はガレ沢で土石流渓流ですから、ご先祖様は危険を良く承知していたのでしょう。針原は天草や島原からの移住者によって、この関外に新しく作られました。
 ご先祖様の知恵をもう一つ紹介します。鹿児島市田上に「洗出」というバス停があります。鹿児島弁で「あれだし」と言い、普通名詞であちこちにありました。土石流扇状地のことです。薩摩藩は武士の比率が他藩に比して極端に多い藩でしたから、八公二民と言われるくらい過酷な年貢を徴収していました。しかし、この洗出は耕作禁止だったそうです。僅かな米よりも封建領主にとっては農民を失う方が痛手だったからです。
天然ダム
 新潟県中越地震で地すべりによる天然ダム形成が大問題になりました。地震だけでなく豪雨による崩壊や地すべりでも天然ダムが形成されることがあります。2011年台風12号により紀伊半島で形成されました。このダムが決壊すると、下流に甚大な被害が及びます。鹿児島でも2014年垂水市で天然ダム決壊を想定した図上訓練が行われました。幸い今のところ大災害は発生していません。写真は旧吉松町鶴丸の地すべりの末端隆起に起因して、川内川の支流石小川がせき止められた様子です。被害は出ませんでした。なお、上述の針原川土石流でも、小規模な天然ダムができました。

 地球温暖化と土砂災害

土砂災害発生件数の推移(国交省)
 2019年12月25日国交省は令和元年の土砂災害発生件数の速報値を公表しました。それによると、集計を開始した1982年以降4番目に多い件数だったそうです。これは集計開始以降における平均発生件数の約1.8倍に当たります。中越地震に関連したものを除き降雨に起因するものとしては3位です。また、台風第19号では952件の土砂災害が発生し、台風に伴う土砂災害としては過去最多でした。
 一方、気象庁も2019年12月23日、2019年の天候と台風のまとめ(速報)を発表しました。年平均気温が1898年の統計開始以降で最も高くなる見込みで、その要因としては、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の影響と自然変動の影響が考えられます、としています。地球温暖化がモルジブなどサンゴ礁の島々だけでなく、いよいよわが国の自然災害にも具体的に影響を与え始めているようです。

文献:
  1. 千木良雅弘(2018), 災害地質学ノート. 近未来社, 246pp.

参考サイト:



初出日:2015/05/30
更新日:2020/07/01