シラス文化と災害文化

 藩政時代の災害

 シラス文化そのものについては、別項の「シラス文化」をご覧ください。ここでは災害に関連した事項だけに限ります。
茄子田の田の神
 藩政時代の自然災害には次のようなものが挙げられます。  当時は農業が基幹産業でしたし、鹿児島は南国で害虫が発生しやすく、農民にとって虫害が一番頭の痛い問題でした。まだ農薬などなかった時代、神頼みしかありません。現宮崎県えびの市を含む薩摩藩の領内には各地に田の神様(たのかんさあ)が祀られています。東北地方の鳥追いと同じように、虫踊り(虫送り)といった農村行事もあったようです。
 鹿児島は台風の通り道でもあり、梅雨末期の豪雨前線も停滞しやすいところです。風水害や土砂災害も多発しました。これに対しては、風構納物といって、補修資材を備蓄する制度があったそうです。また、「シラス文化」でも述べたように、門割制度があり、危険分散を図っていました。
富士山宝永噴火後の天地返し(神奈川県山北町)(井上,2014)霧島市牧之原のボラ山(鹿児島地方気象台提供)
 火山災害は、桜島の安永噴火がありました。溶岩に覆われたところは移住しかありませんが、軽石で覆われたところは、天地返しをしたり、ボラ山(ボラ塚)を築いたりして耕作土を確保しました。前者は、元々の耕作土と火山灰を上下逆転させることです。写真は富士山宝永噴火の例ですが、桜島大正噴火でも、天地返しを行ったと言われています。桜島島内で1ヶ所掘ってみましたが、残念ながら見つかりませんでした。後者は、畑の上に積もった軽石をどけて、畑の隅に積み上げることを言います。場所と時代によって、文明・安永・大正とボラ山の中味に違いがあります。両者とも重機のなかった時代にはすべて人力で行うのですから、重労働でした。
 自然災害に関して、祖先達は、土木技術が未発達というせいでもありますが、総じて、力で対抗するのではなく、軽くいなす、あるいは敬して遠ざかる方式を採用していました。
知覧武家屋敷群入来麓伝統的建造物群保存地区
 なお、島津藩は、豊臣秀吉の島津攻め直前は九州一帯を支配するくらいの力を持っていましたので、武士の数は極めて多かったのです。江戸時代になっても外様大名ですから、いつ徳川に攻められるかも知れません。安易に武士階級をリストラする訳にはいきません。郷士を各地に配置し(郷士の集落を麓と呼びます)、一種の屯田兵制度を取りましたが、それでも圧倒的に多い武士階級を養うために、8公2民の過酷な税制を取っていました。他藩は一般に6公4民と言われていますから、大変過酷な税制で、これは人災と言ってもよいでしょう。

 三畝制

恒吉麓(桐野, 1988)三畝制
 右図は典型的な麓の一つ恒吉麓の土地利用図です(桐野,1988)。シラス台地の上には山城があり、いざという時には立てこもって闘うようになっていました。普段は台地から低地へ下記のように利用されていました。三畝制と言います。  シラス台地はしばしばがけ崩れを起こします。そこで危険な崖下には住まず、薪炭林として放置するか、せいぜい畑として利用しました。畑三畝です。崖錐とは、崩積土の堆積地形だということをよく知っていたのです。次に住宅を建て、シラス直下の不整合面からの湧水を飲料水として利用しました(家三畝)。恒吉麓では、今でも橫堀の湧水が利用されています。最後に低地の水が得やすいところは水田にしました(田三畝)。大変理に適った土地利用ですし、災害に対しても適切な配慮です。この崖錐のところに、近年、住宅が進出してきて災害になっているのです。

 洗出

洗出バス停(鹿児島市田上)
 鹿児島市田上(たがみ)洗出(あらいだし)というバス停があります。薩摩弁では洗出(あれだし)と発音します。これは固有名詞ではなく土石流扇状地を指す普通名詞でした。したがって、あちこちに洗出という地名が残っています。この洗出は、藩政時代耕作禁止だったとのことです。土石流により被害を受けることを恐れたのでしょう。米を作ってくれる農民は、領主にとってはいわば大切な生産手段、農民を失うことは僅かな年貢の増収より痛手だったのです。だからこそ、農民は領主に対して反抗する時には、一揆・越訴(おっそ)の他に逃散(ちょうさん)という手段に訴えました。
 他に、出水市には野間之関の外側、肥後国との国境に関外(せきがい)という地名があります。ここも居住禁止だったそうです。ここは矢筈岳山麓、土石流の常襲地帯です。詳しくは「1997年針原川土石流災害」をご覧ください。

文献:

  1. 井上公夫(2014), 富士山宝永噴火後の土砂災害. 地理, Vol.59, No.5, p.42-50.
  2. 岩松 暉・原口 泉(1994), しらす文化と自然災害史. 第29回土質工学研究発表会(1994年)特別セッション講演集, p.21-26.
  3. 岩松 暉・北村良介・原口 泉・矢ヶ部秀美(1995), 鹿児島県の風土. 1993年鹿児島豪雨災害―繰り返される災害―. 土質工学会1993年鹿児島豪雨災害調査委員会編, (社)土質工学会, p.9-26.
  4. 桐野利彦(1988), 鹿児島県の歴史地理学的研究. 徳田屋書店, 518pp.
  5. (), . , Vol., No., p..
  6. (), . , Vol., No., p..
  7. (), . , Vol., No., p..
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参考サイト:



初出日:2017/04/16
更新日:2017/04/26