地すべり
左図は阿波池田の地すべり崩積土です。40年前には中央構造線の露頭と言われていました。断層破砕帯と誤認されていたのです。現在でも、岩盤すべりを低角衝上断層と誤認して、サブダクション(プレートのもぐりり込み)の証拠とされたりすることがあります。純粋地質学ではマスムーブメントのことなど教えないため、こうした笑えぬ喜劇が生まれるのでしょう。もう少し、地表の変動にも目を向けてもらいたいものです。
崩壊は地質の如何に関わらず急傾斜地で発生しますが、地すべりは特定の地質のところに偏在します。固結度の低い軟岩がすべるタイプ(第三紀層地すべり)は北陸地方で多く発生します。結晶片岩のようなペラペラ剥げやすい片状岩でも頻発します(破砕帯地すべり)。四国の三波川変成岩地帯のものが有名です。火山地帯では温泉変質で岩石が粘土化しているため、慢性的なクリープ型の地すべり(温泉地すべり)が発生します。
霧島では温泉変質に起因する地すべりがしばしば発生します。硫黄谷の道路が地すべりを起こし、交通途絶したこともありました。本学の霧島リハビリテーションセンターでも、壁に亀裂が入ったり、洗面所の鏡がひとりでに割れたこともありました。この写真は手洗温泉の地すべりです。
長崎・佐賀両県にまたがる北松地域では、第三紀佐世保層群の上に松浦玄武岩が載っています。この玄武岩が水の供給源になって下位の佐世保層群がしばしば地すべりを起こします。こうしたタイプの地すべりを北松型と言います。この写真は1987年に発生した国道328号線入来峠の地すべりです。地質時代はもっと若いのですが、上位に透水性のよいデイサイト、下位に難透水性のシルト岩があり、その境界ですべったという点では、北松型と類似しています。
1993年は鹿児島豪雨災害のあった年です。その年の9月20日、わずか6mmの雨で日吉町毘沙門の花崗岩が地すべりを起こし、2名が犠牲になりました。直前の9月2日に来襲した戦後最大級と言われた台風13号などにより地面がたっぷりと湿っていたからでしょう。ここの花崗岩は深層まで風化が進みいわゆるマサになっていました。このようにマサ化したところでは、大隅花崗岩などでもしばしば地すべりが発生します。
鹿児島に新第三紀層はあまり分布していません。種子島の茎永層群と喜界島の島尻層群が代表的です。1995年7月1日午後9時30分頃、南種子町茎永の中之町地区で地すべりが発生、死者1名、全壊住家4戸、一部損壊1戸の被害が出ました。流出した約25,000m3の土砂は町道を埋め、東馬渡川も一時堰き止めました。地質は茎永層群大崎層の砂岩ですが、最下部に1.5m程度の泥岩を夾んでおり、この泥岩層の上面をすべり面として地すべりが発生したのです。いわゆる流れ盤地すべりです。(鹿児島県熊毛支庁土木課による)
奄美大島以南の亜熱帯では風化作用が活発です。赤色風化と呼ばれる独特の風化をします。本土なら全然問題にならないようなごく薄い凝灰岩の挟みなどが風化して粘土化し、地すべりの原因となったりします。
地すべり土塊が川をせき止めたりすることがあります。これは吉松町鶴丸の地すべりの末端隆起に起因して、川内川の支流石小川がせき止められた様子です。
地すべり工事には大別して抑止工と抑制工があります。前者はアンカー工や杭工で、力ずくで動きを止めようとするものです。これに対し後者は、地下水排除工や地表水排除工・排土工・押え盛土工など、地すべりの原因の一つを取り除き、動きをセーブしようとするものです。さまざまな工法を複合して用い、効果的に対策を講じています。図は建設省金沢工事事務所のパンフレット『甚之助谷地すべり防止工事』から引用しました。なお、地すべりの詳細は岩松 暉著『地すべり学入門』をご覧ください。