『シラス災害―災害に強い鹿児島をめざして―

岩松 暉


第7章 災害に強い鹿児島をめざして


死亡災害ゼロとハザードマップの作成・公表|オンライン豪雨災害予知警報システム|防災教育

死亡災害ゼロとハザードマップの作成・公表

 1993年の鹿児島の災害では二度三度どころか五度も災害に遭ってしまった。よその町で災害があったと同程度の豪雨が降ったのだから、今度は自分のところが被災する恐れがあると避難しなければならなかったのである。適切な避難行動がとられていたら、財貨の損失はやむを得なかったにせよ、犠牲者を最小限にくい止められたはずである。人間だれしも自分だけは大丈夫と楽観しがちである。やはり、自分は危険なところに住んでいるとの自覚が大切である。そのためには、ハザードマップ(災害予測図)を作成して市民に周知しておくことが重要なのではないだろうか。
 鹿児島市にも防災マップが存在する。しかし、これは急傾斜地崩壊危険区域や土石流危険渓流など法令指定地や警察・消防・病院といった防災機関の所在地を図示したものに過ぎない。こうしたマップも大いに役立つが、ここでいうハザードマップとはこのようなものではない。全ての斜面について危険度のランク付けをし、低地の氾濫・浸水危険地は予想浸水深まで記入されたものである。液状化など地震動災害についても明記しておく必要がある。もちろん、現在の学問水準では決定論的予測は無理だから、確率論的に記述せざるを得ない。この程度のものなら現在でも作成可能である。前章で私なりの作成手法を提案した。ご検討いただきたい。
 液状化災害については、震源位置が桜島直下ないし近傍と特定でき、入力加速度などもおおよそ見当がつく点、他地域に比して有利である。地盤情報さえそろえば予測することが可能である。幸い鹿児島大学地域共同研究センターと鹿児島県地質調査業協会からボーリング柱状図データベースに基づく『鹿児島地盤図』(編集委員長:岩松)が刊行された。1993年災害の被害額は3,000億円を突破している。事前調査や防災対策にどれだけお金を使っても、被害額に比べれば微々たるもので十分ペイする。なお、こうしたハザードマップは後述のオンライン豪雨災害予知警報システムに直接役立つので、マップとして印刷すると同時に、デジタルデータとして地理情報と共にデータベース化しておくことが大切である。
 問題は公表の件である。危険度Aランクなどと公表されれば、確かに地価は下がるし損害保険の保険料はアップする。防災工事のために敷地が削られるかも知れない。数10年に一度来るか来ないかわからない災害のために、現在の経済的利益を損なうのはゴメンだと、住民が抵抗するのもうなずける。一方、行政も従来はハザードマップの作成には消極的だった。もしも後で災害が起きたら、危険と承知していたのに何故有効な手を打たなかったのかと責められ、裁判でも敗訴することが目に見えているからである。予見不能だったと異常気象のせいにして逃げるほうが都合がよい。しかし、人の命は地球より重い。鹿児島では一雨で数10人の犠牲者が出るし、集中豪雨や台風は毎年のようにやってくる。梅雨の度に犠牲者を出すのはもうやめようではないか。「人柱が立たないと梅雨が明けない」といった悲しい言葉はもう死語にしよう。
 首都圏や東海圏では液状化予測図(東京都)・アボイドマップ(神奈川県)・地震被害想定基本図(静岡県)などのマップ類が公表されている。次の関東大震災や東海地震が予想される状況の下で、住民の中にコンセンサスが出来ているからであろう。こうしたマップ類の中で神奈川県のアボイドマップ(自然災害回避地図)は発想がユニークである。自然災害回避(アボイド)行政と銘打ち、「災害復旧に多額の費用を後追い的に支出するのではなく、あらかじめ危険なところは避けて土地利用するような施策を進めるべきである」との積極的な立場から作成された。①過去の被害区域、②法令指定危険区域、③法律では指定されていないが災害発生が予想される危険箇所、④巨大地震が発生した場合の被害想定区域の4項目の情報が盛り込まれている。もう一つユニークなのは国分寺市の防災診断地図である。作成主体が内会単位の防災会なのである。住民自らが自分の町内を歩いて災害要因をチェックした手作りのマップである。市は防災学校を開いて啓蒙すると共に、専門家を派遣して防災会の活動を側面から援助した。行政と住民との協力共同の模範と言えよう。これは後述の防災教育にとっても非常に意義がある。上から与えられたものではなかなか身に付かないが、自らの経験に基づくものは血となり肉となるからである。また、行政を敵視し、自らは動かず何かと裁判に訴えるやり方は非生産的だが、住民も参加して一緒に作ったものならば、上記のような行政の危惧も避けられる。鹿児島市でも1993年災害後一部の地区で住民による自主的な防災マップが作成された。誠に喜ばしい。住民参加のこうした自発的な動きを援助し、自主防災組織を機能させることが今後の防災行政の重要な課題となろう。その他、長野県では防災地質図が刊行されている。

オンライン豪雨災害予知警報システム

 8月6日の災害では甲突川上流の郡山町で時間雨量101mmといった強烈な集中豪雨が降ったことを下流の鹿児島市側では的確に知っていたのであろうか。国道10号線の災害にしても、鹿児島方面が豪雨なのを姶良町側が知っていて交通を遮断していたら、2,000台もの車があの狭い区間に数珠つなぎになって被災する事態は避けられたに違いない。行政の壁を取り払い広域情報網を整備する必要がある。その点気象台は広域の降雨情報を知っているが、大雨洪水注意報や記録的短時間大雨情報を雨量に基づいて出すだけで、地質地形情報や実際の河川の水位上昇などは考慮されていない。レーダー雨量計にしても7分ごとにデータが得られ、基準以上の雨量になると"ALARM"とパソコン画面に表示されるが、これもレーダー設置地点の雨量が基準値を超えたことを示すに過ぎない。また、集中豪雨のようなメソスケールの擾乱では小さな豪雨セルを捉えるのにはアメダスなど気象庁の観測網では粗すぎる。数km間隔以下のもっときめ細かな観測値が欲しい。土砂災害や洪水予測のためには、気象庁検定済みの精密な雨量計による観測でなくても、小学校の理科クラブのデータで十分役に立つ。
 そこで、次のようなオンライン豪雨災害予知警報システムを提案する。各市町村や防災機関を結ぶコンピュータネットワークを組み、県庁のしかるべき部署(消防防災課?)にサーバーを置く。もちろん、そこと気象台とはオンラインで結ばれ、レーダー雨量計のデータは刻々入ってくる。その他、市町村役場・消防署・土木事務所・JR・道路公団・国道工事事務所のような国の機関などに設置してある雨量計のデータも全てオンラインで取り込めるようにする。
 これだけなら広域の雨量分布を知ることができるだけでレーダー雨量計と大差ない。地形地質情報など各種のデータベースとドッキングさせ、シミュレーションにより災害発生予測や被害予測を時々刻々行って的確な対応を指示するのである。各市町村ごとの災害警報も出せる。
 幸い地形情報についてはGIS(地理情報システム)が整備されているし、ARC/INFOのようなツールも開発されている。地質情報は1990年に10万分の1鹿児島県地質図が刊行されたし、軟弱地盤については前述のように鹿児島大学にデータが蓄積されつつある。植生等の情報はリモートセンシングの技術が進んでおり、広域の情報を容易に得ることができる。また、住宅戸数や時間帯ごとの人口密度・交通量等被災側のデータは行政に既にある。  ただ、こうしたデータの一元管理を図り、中央集権的に指揮命令するだけでは力を発揮しないであろう。各市町村役場や上記の諸機関には端末を設置しておき、親機のデータはいつでも見られ、独自の適切な判断ができるようにしておく分散型が望ましい。また、自分のところの災害発生場所・日時や水位記録など最新のデータを入力できる利点もある。こうしたデータが時々刻々フィードバックされればシミュレーションの精度もぐっと向上するに違いない。
 このようなシステムは、地震災害に関してではあるが、既に東京都や埼玉県で実用化されている。東京都の場合、庁舎移転に伴い都庁内に防災センターが置かれ、防災情報システムが導入された。同システムは、災害情報システム、地震被害判読システム、延焼予測システム、浸水被害予測システムからなり、サブシステムとして地図情報システムが組み込まれている。マンマシンインターフェースはAVシステムによっている。埼玉県の地震被害予測システム(SEDEIS)は、地質地盤情報システムを基礎としており、断層モデルに基づく震源パラメーターと季節・時刻・風速などの前提条件を入力してやれば、即時に各地の震度・液状化危険度・建物被害・火災・人的被害・ライフライン被害・交通障害等の予測ができるようになっている。災害常襲地帯である鹿児島県でもこの程度の投資は必要なのではないだろうか。

防災教育

 8・6災害で姶良カルデラ壁直下の国道10号線で多くのドライバーやJRの乗客が続発した土石流で被災したが、尾根筋にいた者と谷筋にいた者とで明暗を分けた。このようにちょっとした災害知識の有無が決定的にきくこともあるのである。
 例えば、三陸海岸では「地震にあったら津波に用心」と学校で徹底的に教えられ、毎年避難訓練をしている。それに反し、日本海側では津波がないと誤って信じられていたために、日本海中部地震では津波による多くの犠牲者を出した。恐らく三陸だったら直下型地震でもない限り、津波による犠牲者はごく僅かしか出ないであろう。
 地震の場合にはこのように学校教育でかなり徹底した防災教育が行われている。ここ20~30年の統計でみると、阪神大震災を除き、人的損失では、地震火山災害に比べて土砂災害や水害によるものが圧倒的に多い。その割にはこの種の災害に対する防災教育が等閑視され過ぎているのではなかろうか。鹿児島市内の中学生に防災に関する言葉についてアンケートしてみた。「地震があったら津波に用心」「地震があったらまず火を消せ」といった地震防災に関する標語はほとんどの生徒が知っているのに対し、「台風の右半円は危険半円(台風が西側を通るときは強風に注意)」といった台風に関する常識を知っていた者は1/4程度であった。台風銀座と呼ばれる鹿児島としてはゆゆしい問題である。また、シラスを実際に見たことがないと答えた者が半数いた。受験中心の理科教育が行われ、地域に根ざした実験実習が軽視されていることの表れであろう。梅雨前の通学路の安全点検など生徒たち自身で行うようにすれば、何よりの自然教育になるのではないだろうか。もっと学校教育でも防災教育を位置づけて欲しい。
 一方、社会人教育のほうにも問題がある。1986年の災害についても突発災害研究を実施したが、学問的成果を住民や行政に還元しなければ災害はなくならないとして、翌年大学公開講座を開催した。大教室が一杯になるほどの盛会だったが、参加者は地質コンサルタントや国・県・市の防災関係者ばかりで、われわれ主催者が対象として考えていた一般市民の参加はゼロであった。マスコミの協力を得てかなり精力的な宣伝を行った結果がこれである。「喉元過ぎれば熱さを忘れ」なのか、その日の生活に追われて心のゆとりがないのか、せめてがけ下地の町内会長さんくらいはご出席いただけるのではないかと考えていたのだが。やはり都市化が進んで、防災は行政まかせ、被害があったら責任を追及するといった利益享受型受け身社会になったためであろう。
 しかし、豪雨災害の場合、先にも述べたように豪雨セルの大きさは気象台の観測網では粗すぎるから、避難命令を待っていたのでは遅い。住民自らの判断が重要である。時間雨量50mmを超したら崖下の危険地に住む人は避難したほうがよい。コップを外に出して2時間で一杯になったら時間雨量約50mmに相当するから逃げればよい。この程度のことを進んでやる自覚があれば人的被害だけは防げる。「自らの命は自らで守る」が防災の基本であることを銘記すべきであろう。長崎水害の場合、「谷川の上流でゴーッと山鳴りがしたら山津波が来る」との言い伝えがあった古くからの集落は、隣近所助け合って避難したので犠牲者が出なかったが、そうした災害伝承のなかった移住者の多い新興住宅地では、その意味するところを知らず逃げ遅れてしまったという。山崩れ・がけ崩れのような場合にも、冠頂部に亀裂が発生したとか、湧水が涸れたり井戸が濁ったりといった前兆現象が見られることが多い。こうしたことに一番最初に気づくのはそこに住む住民である。筆者はかつて新潟大学に奉職していたが、新潟県には地すべりモニター制度がある。住民の中にモニターを委嘱しておき、地すべりの発生しやすい融雪期に裏山を見回ってもらうのである。何か変状を発見したら県庁に通報してもらい、専門家が駆けつけて適切な処置をするという仕組みである。当然、モニターになった人は地すべりに関して知識が豊富になる。自分の知識を他人に話したくなるのは人情だから、期せずして近隣の人々に防災教育が行われ、その地域における災害知識のレベルアップにつながる。現にモニター以外からの通報で地すべりを発見した例も多いという。
 また、老人や子供など災害弱者の問題も深刻である。こうした人々の避難を考えると、高齢化社会をひかえ、もう一度地縁社会を復活させる必要があるのではないだろうか。国分寺市のような防災会活動がそのきっかけになると思われる。


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更新日:1996年10月13日