縄文土器と弥生土器

 縄文土器

E. S. モース(東大蔵)大森貝塚(品川区大森貝塚遺跡庭園)モース発掘の大森貝塚土器(東大蔵)
 日本の考古学は東京大学初代動物学教授のE. S. Morseの大森貝塚の発掘に始まりました。モースは1877年来日した際、東京に向かう途中大井町付近の車窓から貝塚を発見、ただちに発掘に取りかかり、その成果を"The Shell Mounds of Omori, Japan"と題する論文にまとめ、1879年東大紀要第1号に載せます。縄目文様の付いた土器をcord marked pottery(索文土器)と記載しました。これが縄文土器の語源です。岩波文庫版『大森貝塚』には次のように書かれています。
 紋様構成は千差万別である。よくみられるのは、一定範囲の一部あるいは全周を曲線でかこみ、その曲線の内か外かを縄紋でみたし、それ以外の部分を磨いているものである。
<原文> The designs are infinitely varied; generally areas partially or wholly enclosed by curved lines, the area within or without the lines being cord marked, the other area being smooth.
 しかし、長くアイヌ式土器・貝塚土器・曲線式土器などと呼ばれていました。

 弥生土器

坪井正五郎
(東大蔵)
東大構内出土弥生土器
(東大蔵)
弥生式土器発掘ゆかりの地
向ヶ岡貝塚ヨリ上野公園ヲ望ム景(坪井,1889)
 一方、弥生土器は1884年東大構内浅野地区(向ヶ岡弥生町:現弥生2丁目)から東京大学予備門学生坪井正五郎(後に東京帝大人類学初代教授)と友人の有坂鉊蔵(後に海軍造兵中将・東京帝大教授)らによって発見されました。大学院生になっていた坪井は1889年東洋學藝雜誌に右写真の土器をはじめ、鏃などを石版図を付けて記載報告しました。
 腹壁の厚さは平均一分強、底の厚さは三分、旋盤を用ゐたる跟無く釉を施したる跡無し、色は赤みを帶びたる黄色で土中には小砂利が交ざって居ります、通常の貝塚土器の様に雲母の碎片は混じて居ませんが肩の部に織り物の跟の有るのは(変体仮名)石器時代の物たる好證でござります
と記載し、この土器は薄手で貝塚土器(縄文土器)と違うことを示しました。さらに、
 石器時代の人民が遠方から態々多量の貝を運んだのではござりますまい、必海が今よりも近かったのでござりませう、此所に(変体仮名)揚ぐる圖は當今貝の散じて居る所から上野公園を望んだ景でござりますが二つの岡の間に横はる低い地は曾て海で有ったらうと思ひます、夫故に草原と家屋の画いて有る部を海水で有ると假定して見る時には太古の有樣が想像出來ませう、
と、古環境を論じています。
 その後、帝大人類学教室の内部では弥生町で発見されたので「弥生式」と言われていたようですが、その語を初めて論文に載せたのは在野の考古研究者蒔田鎗次郎(まいだそうじろう)です。自邸内で発掘された土器を報告する際に、弥生式土器と呼んだのです(蒔田,1986)。これによりその後、弥生式土器の名が広く使われるようになりました。蒔田は土器の形状等を記載した後、「石器時代ノ或ル一部ノ意匠等ヲ應用セル所ヲ見マスレバ必ズ其次ニ棲息スル人種デ或ハ埴輪時代ノ人種ト同一ナランカカト思ハレマス」と書いています。当時はさまざまなタイプの土器について、使っていた民族(人種)が違うのではないか、時代が違うのではないか、などいろいろな憶測が飛んでいました。まだ暗中模索だったのです。蒔田は石器時代から埴輪時代(古墳時代)まで人種も同じで、だんだん技術が進歩していったと考えていたようです。
蛇足: 坪井の長男誠太郎は地質学者(東大地質学教室教授)、次男忠二は地球物理学者(東大地球物理学教室教授、後に理学部長)です。地球科学に大きな影響を与えた兄弟です。

 橋牟礼川遺跡

上層土器(指宿出土)
B地点層序並包含図式(濱田,1921)各地点の層序と土器型式(同左)下層土器(姶良郡横山出土)(同左)
濱田耕作(京大蔵)
橋牟礼川遺跡地層断面
橋牟礼川遺跡
 1916年旧制志布志中学校生徒・西牟田盛健が指宿市橋牟礼で縄文土器と弥生土器を拾ったことが遺跡発見のきっかけとなりました。その情報をもとに、京都帝大考古学教室初代教授(後に京都帝大総長)の濱田耕作と解剖学者東北大助教授長谷部言人が1918~1919年に現地調査を行います。その結果、開聞岳の火山灰層をはさみ、その下位層からはアイヌ式土器(縄文土器)が、上位層からは弥生土器が出土することが分かりました。層位学的に新旧が決定されたのです。考古学に地質学的手法を導入した成果です。論文では次のように述べています。
 上層卽ち地下約四五尺の處には彌生式土器が少許の祝部土器を交へて存在し、其の上に泥流層が存在する。而して下層卽地表下約十尺の處あたりに、貝塚式曲線模様の土器(注)が發見せらるゝ事實は疑ふ可からざることである。
(注)別のところで貝塚土器を俗にアイヌ式土器と稱されているものである、と注釈を加えています。
 なお、濱田が弥生土器とみなしたものは、現在の知識では、古墳時代の九州南部だけに見られる成川式土器です。したがって、縄文と弥生の新旧が明らかになったと言うのはやや語弊がありますが、火山灰層序学によって、土器を編年する手法は画期的でした。
 濱田はこの論文の結論において、「此の遺跡は火山の噴出によって、其の火山灰の中に埋もれ、泥流磐下に沒せられた『先史時代のポムペイ或はサントリン』とも名づく可き面白い考古學上の遺跡で」であるとして、次のように考察しています。
 併し此の悲劇の濟んだ後、若干年月を經て、悲慘な記臆の消江(変体仮名)去った後ち、此の薩南の樂天地は決して無人の地としては殘らなかった。或は半島の北方から、或は對岸の大隅から、新に石器時代人民は此處に移住し來って、再び此の海幸山幸の豐なる指宿地方に、而かも以前の悲劇が釀された其の遺跡の上に―何者丁度其處は海岸に近い適當な住地であったから―平和なる部落の生活は再現せられた。此の新しい石器時代の人民の殘した遺物は卽ち彌生式系統の土器である。
   <中略>
 併し我々は茲に重要なる問題に逢着する。それは此の下層の貝塚式土器を作った古い石器時代の人民と、上層の彌生式土器を残した人民との關係である。人骨の發見の無い此の遺跡に於て、我々は考古學的資料によって論ずる外は無い。其の土器の紋様製作の相違によって、直に兩者を別人種に屬するものとすれば、それは最もナイーヴな説明である。我々は此の解釋を全然不可能であると云ふのでは無いが、他の諸遺跡の事實をも併せ考へて、此の兩人民は決して人種的に無關係のものであるとは見ることが出來ない。新來の石器時代人民卽ち彌生式土器の製作者は、失張り大體に於いて前代の石器時代人民の後裔であって、それに多少の新しい要素を混和したにせよ、決して別人種と見る可きものでは無く、ただ文化の點に於いて新しいものを加へ、或る程度の進歩變化を生じたものに過ぎ無かったと想像するのである。此の進歩變化を生じた文化を有した人民は既に新に彌生式風の土器を作り、曲線的模様の代りに、直線的紋様を使用したと解釋するのである。
 ここでも土器型式と使用人種との問題が扱われていますが、もうこの頃には、異人種説は影を潜めたようです。なお、濱田は貞観噴火についても触れていますが、その項については「開聞岳貞観噴火災害」をご覧ください。

<注> 東大蔵・京大蔵とキャプションにある写真はそれぞれ東大および京大のホームページからの引用です。

文献

  1. 濱田耕作(1921), 薩摩国揖宿村土器包含層調査報告. 京都帝大文学部考古学研究報告, Vol.6, No., p.29-48.
  2. 濱田耕作(1984), 通論考古學. 雄山閣出版, 368pp.
  3. 橋本達也編(2015), 成川式土器ってなんだ?―鹿大キャンパスの遺跡から出土する土器―. 鹿児島大学総合研究博物館, 102pp.
  4. 川村伸秀(2013), 坪井正五郎―日本で最初の人類学者. 弘文堂, 384pp.
  5. 蒔田鎗次郎(1896), 彌生式土器發見ニ付テ. 東京人類學會雜誌, Vol.11, No.122, p.320-325.
  6. Morse, E.S.(1879), The Shell Mounds of Omori, Japan(大森介墟古物編). Mem. Sci. Dep., Univ. Tokio, Vol.1, Pt.1, p.1-36. 18 plates.
  7. モース, E. S. 著、近藤義郎・佐原 真訳(1983), 大森貝塚―付 関連史料. 岩波文庫, 219pp.
  8. 東京大学文学部考古学研究室編(1979), 向ヶ岡貝塚―東京大学構内弥生二丁目遺跡の発掘調査報告―. 東京大学文学部, 51pp.
  9. 坪井正五郎(1889), 帝國大學の隣地に貝塚の跟跡有り. 東洋學藝雜誌, Vol.6, No.91, p.195-201.
  10. 渡辺直径(1975), 大学構内向ヶ岡貝塚. 東京大学理学部弘報, Vol.7, No.4, p.4-6.
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参考サイト:



初出日:2018/05/29
更新日:2019/02/07