シラスドリーネ

一番東側のドリーネ地理院地図(縮小すると地質図表示:クリックで地質解説もポップアップ)
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ドリーネの形態(今増,1993)入戸火砕流模式柱状図
 ドリーネ(doline)は石灰岩地帯でよく見られる窪地です。石灰岩の溶食や鍾乳洞の陥没などによって形成されます。鹿児島には石灰岩地帯はありませんが、シラス台地にもシラスドリーネが形成されることもあります。南九州市川辺町鳴野原のドリーネは地形レッドデータブックに載っている貴重なものです。右の国土地理院地図には窪地が4個載っていますが、かつては直径数10m深さ8m程度の大きな窪みが6個北東-南西方向に直線状に配列していました。しかし現在は、残念ながら埋め立てられ、一番東側の1個しか残っていません。周辺の台地はお茶畑として利用されていますが、窪地は利用価値がないので、写真のように杉林になっています。
 それでは、シラスドリーネはどのように形成されたのでしょうか。右上の地図を20万分の1まで縮小してみてください。すぐ近くに基盤の四万十層群が露出しています。シラスドリーネの並んでいる北東-南西方向に四万十層群の谷筋があったことが分かると思います。その古い谷をシラス(ここでは入戸火砕流堆積物)が埋めたのです。入戸火砕流堆積物は、一般的には右図のような層序になっています。約3万年前、先ず軽石噴火が起こり、数10cm~数m積もりました。空から降ってきたものですから、粗粒で重い物は噴出源近くに、細粒の物は遠くへ飛びました。したがって、同じ場所には同じような粒径の物が堆積しました。間を埋める細粒物質がありませんから、スカスカで水を通しやすいのです。鹿児島ではボラと呼んでいます。引き続き破局的な火砕流噴火が起き、厚さ100m以上に達する分厚い火砕流が流れました。流れですから、基本的には低い方へ流れますが、山を越えることもあります。火砕流は温度が数100度~800度と言われています。上からは空気で冷やされ、下からは地面に冷やされます。それぞれ上部非溶結部、下部非溶結部と言われますが、鹿児島ではシラスと呼んでいます。真ん中は熱がこもり、自分自身の重さと熱で硬く溶結します。軽石は煎餅状に潰れ黒曜石のレンズになります。横から見ると途切れ途切れの縞模様に見えます。ユータキシティック構造と言います。
 ドリーネの成因についてはよくわかりませんが、古い谷筋は今でも地下水の通路になっているはずですから、降下軽石や下部非溶結部のような水を通しやすい柔らかな地層が、だんだん洗い流されて空洞が出来(パイピング)、上の地層が陥没して出来たのだろうと考えられています。今増(1993)の断面図では階段状になっていますから、何回か陥没があったのでしょう。
蛇足: 園芸店で売っている鹿沼土は群馬県赤城火山の降下軽石が栃木県鹿沼市に積もったものです。鹿児島流に言えば、赤城ボラです。

鹿屋市緑ヶ丘

鹿屋市緑ヶ丘産総研シームレス地質図
 国土地理院の「日本の典型地形」には、シラスドリーネの例として鹿屋市緑ヶ丘が挙げられています(「日本の典型地形(鹿児島県)」参照)。ここについては調べていませんので、成因は分かりません。ただこの近くの大塚山には日南層群の砂岩が露出していますから、基盤が浅いところにあることは鳴野原と同様です。
文献:
  1. 青屋昌興(2006), 川辺町風土記:川辺・勝目の歴史, 行事, 祭り, 暮らし, 自然を訪ねて. 南方新社, 381pp.
  2. 今増俊明(1993), シラス台地にみられる凹地(シラスドリーネ)について. 鹿児島県立博物館研究報告, No.12, p.32-39.
  3. 桑代 勤(1961), 郷土知覧をめぐる地形学的諸問題の展望. 知覧文化, No., p.94-101.
  4. 桑代 勤(1961), シラスドリーネの発達. 地理, Vol.6, No.6, p..


初出日:2014/11/29
更新日:2020/11/27