鹿児島の橋梁

上野賞を受賞した伊唐大橋
 橋梁は道路・水道などと共に、重要なインフラの一つです。長島は、昭和49年(1974)の黒之瀬戸大橋完成前は文字通りの島、昭和初期までは、鹿児島よりも天草や佐賀との交流のほうが盛んだったそうです。長島には「長島5橋」と呼ばれる海をまたぐ大きな橋が5つ架かっており、小さな島をそれぞれ結び、町として一体化しました。そのうちの一つ伊唐大橋は農業農村工学会の上野賞を受賞しました。農業土木工学の創始者東京帝国大学農科大学上野英三郎ひでさぶろう教授の生誕百年を記念した賞です。上野先生は渋谷駅にある忠犬ハチ公のご主人として有名です。
 ここではデザインの話はさておき、地質との関連で橋梁を見てみましょう。一例として、垂水市の早咲大橋と牛根大橋を取り上げてみます。桜島口の咲花平さっかびら(地理院地図では早崎)は都城秋穂による大隅石(osumilite)発見の地として鉱物学方面では有名なところですが、姶良カルデラ壁の急崖であり、しかも桜島起源の軽石が大量に堆積しているところですから、豪雨の度に崖崩れや落石が発生、しばしば国道が長期間不通になりました(ボラすべり参照)。実際に崩壊が起きなくても、「異常気象時通行規制区間」に指定されており、連続雨量150mmですぐ交通止めになりました。
1976年災害(小林ほか,1977)1976年災害早咲大橋
牛根大橋橋脚部施工時の亀裂
国交省の橋梁通過案(大隅河川国道事務所パンフより)牛根大橋
 上図は1976年6月の梅雨前線豪雨による災害ですが、無数に崩れました。何しろ、カルデラ壁、直立に近いところに法面工事をするのですから、大変です。工期も長くなります。小中学生は牛根地区内の学校に通えば良いのですが、高校は市街地にありますから、高校生は通学ができません。
 そこで、国道は放棄し、橋でつなぐ案が浮上しました。新潟県糸魚川市の親不知海岸の難所(安寿と厨子王の話で有名なところ)を海に張り出した橋で通過した実例があるからです。
 先ず、南側は親不知のように海岸に張り出した全長888mの早咲大橋で通過することにしました。崩壊土砂は橋の下をくぐって海へ出す計画です。北側は大正溶岩で閉塞される前の瀬戸海峡、海が深いので、一旦、桜島に渡り、牛根大橋で牛根のほうに渡ることにしました。旧国道は崩壊土砂を溜めるポケットに使おうというわけです。早咲大橋が先にに完成し、牛根大橋施工中に問題が発生しました。桜島側の橋脚施工中に亀裂が発生したのです。地質的には、ヘドロのような海底堆積物の上に大正溶岩の先端部が載っただけですので、恐らく荷重に耐えられなかったのが基本でしょうが、鋼管矢板締切工による振動で、溶岩の自破砕部が緩んだことなどが考えられました。アンカー工や杭打ち工などで凌ぎ、完成しました。バランスドアーチという構造形式で、中央径間が九州で一番だそうです。唯一つ残念な点は、桜島口のところだけ現状維持になったことです。ここがネックですから、この点で崩壊が起きたら、アウトです。もう少し桜島側に大回りして、旧国道をポケットに出来なかったものでしょうか。桜島は国立公園なので、現状変更が難しかったのでしょう。なお、橋桁建設に際して、陸上で組み立てた完成品をクレーン船で運んだとして話題になりました(動画参照)。

文献:

  1. 濱元 勲・平元勇記(2004), 牛根大橋P1橋脚工事における地山変状について―桜島溶岩流における施工例―. 平成16年度九州国土交通研究会講演論文集, p.1-4.
  2. 鹿児島県出水耕地事務所(1997), 伊唐大橋工事誌. 鹿児島県出水耕地事務所, pp.
  3. 小林哲夫・岩松 暉・露木利貞(1977), 姶良カルデラ壁の火山地質と山くずれ災害. 鹿大理学部紀要(地学・生物学), Vol.10, p.53-73.
  4. Miyashiro, A.(1953), Osumilite, a New Mineral, and Cordierite in Volcanic Rocks. Proceedings of the Japan Academy, Vol.29, No.7, p.321-323.
  5. Miyashiro, A.(1956), Osumilite, a new silicate mineral and its crystal structure. American Mineralogist, Vol.41, Nos.1-2, p.104-116.
  6. (), . , Vol., No., p.
  7. (), . , Vol., No., p.
参考サイト:


初出日:2015/8/12
更新日:2019/03/30