鹿児島の土木遺産

 土木学会では、平成12年度(2000)土木学会選奨土木遺産選考委員会を設置し、土木遺産の顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、土木学会選奨土木遺産を毎年10件程度認定してきました。次のような狙いがあるとのことです。
  1. 社会へのアピール
    • 土木遺産の文化的価値の評価、社会への理解等
  2. 土木技術者へのアピール
    • 先輩技術者の仕事への敬意、将来の文化財創出への認識と責任の自覚等の喚起
  3. まちづくりへの活用
    • 土木遺産は、地域の自然や歴史・文化を中心とした地域資産の核となるものであるとの認識の喚起
  4. 失われるおそれのある土木遺産の救済
    • 貴重な土木遺産の保護
 平成30年度までに、九州管内では44ヶ所、鹿児島県内で7ヶ所認定されています。
鹿児島港旧石積防波堤(鹿児島市本港新町)…平成15年度認定

 島津氏の居城は東福寺城(多賀山公園)→清水城→鶴丸城と変わりました。鶴丸城は関ヶ原の戦いの翌年慶長6年(1601)島津忠恒によって築城されました。実父の義弘は、海岸に近く防衛上不適と反対したそうです。実際、城の前は湿地帯でした。ここに城下町と港が整備されます。この防波堤は幕末の嘉永年間(1848-1854)に築造されたと言われています。現在では埋め立てられ、本港の護岸の一部として使われています。また、かごしま水族館「いおワールド」のイルカの回遊路としても親しまれています。

大田発電所(日置市伊集院町)…平成17年度認定

 九州電力大田発電所は明治41年(1908)島津氏の自家用発電所として建設されました。今でも島津氏の家紋が付けられています。串木野鉱山に送電されていたそうです。出力550kwの小さな発電所です。

七窪水源地(鹿児島市下田町)…平成19年度認定

 鹿児島には江戸時代から水道がありました。しかし、明治維新後、県都として発展し人口も増えたこと、悪疫の流行や火災多発もあったので、大正2年(1913)に市議会で臨時上水道調査費が可決、新しく水道を建設することになりました。近代水道の父と言われる中島鋭治(1858-1925)を顧問として工事が行われ、大正8年(1919)第1期工事が完成しました。昭和3年(1928)には第2期工事も竣工しました。ここの湧水をトンネルで上之原配水池へ送水し、市域へ配水しています。立ち入り禁止なので、よく分かりませんが、恐らく吉野溶結凝灰岩中の湧水を使っているものと思われます。

長崎堤防(薩摩川内市高江町)…平成23年度認定

 川内川は現在でも水害の多い河川ですが、江戸時代も暴れ川でした。そこで、小野仙右衛門は、延宝7年(1679年)~貞享4年(1687)の8年かけて、石積みの堤防を完成させます。のこぎりの歯のような形状をしており、洪水流の流速を和らげようとしたのでしょう。近くには仙右衛門を祀った小野神社があり、仙右衛門が刻んだとされる「心」という字が残っています。


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大島海峡(旧)軍事施設群(奄美市瀬戸内町)…平成20年度認定

 奄美大島瀬戸内町の大島海峡は天然の要害、戦前は奄美大島要塞と呼ばれ、重砲兵連隊も配備されていました。第二次大戦は沖縄戦で終結したため、戦場にならなかったので、戦跡が各所に残っています。とくに、加計呂麻島の安脚場砲台は安脚場戦跡公園として整備されています。なお、呑の浦には海の特攻「震洋」の訓練基地もありました。

姶良橋(姶良市)…平成28年度認定

 昭和初期に建設された橋長150mを超える鉄筋コンクリート桁橋で、珍しい紋様の閉塞高欄を有する貴重な地域の土木遺産です。

平熊の石洗越(いしあらいごし)(霧島市隼人町)…平成30年度認定

 用水路を跨ぐ石アーチ橋と、石橋上を通水する河川水を落とす段差工からなる非常に珍しい江戸期の石造構造物です。松永用水に直接流れ込んでいた竹山川が、洪水時に用水路を決壊させていたため、竹山川専用の石橋を設けて用水路を跨ぎ、排水したのだそうです。用水路が自然の川をまたぐことはよくありますが、逆は稀です。(土木学会西部支部による)

川畑井堰(南さつま市 )…令和元年度認定

 宝暦年間に築造された幅18m、高さ3mの切り石による階段状取水堰堤です。近世由来の取水堰堤としては全国で唯一だそうです(土木学会)。薩摩藩がお手伝い普請で木曽川の治水に当たったのが宝暦治水ですから、ちょうどその頃のことです。

宮内原用水の二穴式隧道群(霧島市隼人町)…令和2年度認定

 有名な「天降川川筋直し」は寛文2(1662)~6(1666)年に行われましたが、それから50年後の正徳元年(1711)~享保元年(1716)、天降川から取水して隼人町内や天降川西岸一帯を潤す宮内原用水工事が行われました。ここ内山田は第四紀国分層群の軟弱層が分布しているところです。大口径のトンネルだと崩落の恐れがあります。それで小口径のトンネルを2連連ねる方式を採ったのでしょう。「鼻んす」と呼ばれて親しまれています。霧島市の指定史跡です。

文献:

  1. 鹿兒島縣土木課(1934), 鹿児島県維新前土木史. 鹿児島縣, 260pp.
  2. 松田明浩(2012), 鹿児島築港の生き証人「鹿児島港旧石積防波堤」. Civil Engineering Consultant, Vol.254, p.16-19.
  3. 岡田昌彰(2009), 鹿児島七窪水源地. 土木学会誌, Vol.94, No.8, p.34-35.
  4. (), . , Vol., No., p..
  5. (), . , Vol., No., p..
  6. (), . , Vol., No., p..

    参考サイト:



    初出日:2015/12/03
    更新日:2020/10/03