医療地質学 Medical Geology
地質と病気
「風土病」という言葉があります。広辞苑によれば、「一定の地域に持続して多発する、その地方特有の病気。地理・気候・地質・生物相および住民の生活様式など種々の要因がある。」だそうです。かつてツツガムシ病は新潟県信濃川の河川敷で発生する風土病でしたが、今では全国に広がり、鹿児島や宮崎も流行域の一つです。2019年10月26日付南日本新聞によれば、1~9月速報値で鹿児島県は18名、全国一の罹患者を出したそうです。これは有毒ダニの幼虫に吸着され感染するリケッチア症であり生物相に起因します。西郷隆盛が流刑地の沖永良部島で罹ったと言われているのが象皮病でした。これは蚊が媒介するリンパ系フィラリア症です。それでは地質に関係のある風土病にはどんなものがあるのでしょう。
日本の自然放射線量(産総研,2004) |
蛍石(Wikipediaによる) |
花崗岩と言えば、放射能が気になります。自然界の放射能は宇宙線由来と岩石中の放射性元素(K, Th, U)に起因するものとあり、後者では広義の花崗岩が重要な放射線源だと言われているからです。実際、日本で数少ないウラン鉱床である岐阜県の東濃鉱山も岡山県の人形峠鉱山も花崗岩を非整合に覆う堆積岩中に胚胎しています。右図を見ると、高放射線量の場所は花崗岩分布域とよく一致しています。しかし、よく見ると北上山地に花崗岩が広く分布しているのに、あまり高いところはありません。沈み込み帯の海洋地殻起源の花崗岩は線量が低く、大陸地殻内の堆積岩や古期花崗岩に由来する花崗岩は約3倍ほど高い線量になるとのことです(石原,2011 地質学会HP)。一般公衆の年間許容限度は1mSv(≒mGy)ですが、右図の赤い色の地域では、大地から1.1mSv + 宇宙線から0.33mSv = 1.44mSvですので、ちょうど許容限度くらいです。しかし、これら花崗岩地帯に住む方に異常は見られていません。
そもそも鉱物には造岩鉱物rock-forming mineralsと鉱石鉱物ore mineralsとあります。地球表層の岩石を形作っているのが造岩鉱物です。地球生命体はそうしたもので構成されている地球上に誕生したのですから、造岩鉱物は地球生命体にとって毒性がありません。上記花崗岩も最もありふれた岩石です。一方、鉱石鉱物は資源として有用ですが、有毒なものも存在します。
毒性のある鉱物
以下、毒性のある鉱物について代表的なものを見てみましょう。辰砂 cinnabar HgS
辰砂(Wikipediaによる) |
こんな大昔ではなく、私たちにとって記憶に新しいのは水俣病でしょう。これは、新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場の排水にメチル水銀が含まれていて、食物連鎖で濃集した魚を常食とした漁民たちに被害が出たものです。アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀 HgSO4)が反応の過程でメチル水銀になったようで、金属水銀そのものではありません。鹿児島湾の若尊カルデラからも海底火山性噴気活動に伴って無機水銀が放出されています。今のところ、それが有機水銀に変化したとの話は聞いていません。
硫砒鉄鉱 arthenopirite FeAsS
産総研地球化学図(As)(:笹ヶ谷,:土呂久,:その他) |
硫砒鉄鉱(Wikipediaによる) |
日本の主な砒素鉱床としては、足尾・神岡下之本・生野・松尾・笹ヶ谷・尾平・土呂久・秩父などが挙げられます(石原,2011)。地球化学図を全画面表示してみてください。上記鉱山はAs高濃度域とよく一致しています。
現在砒素中毒はわが国では下火になりましたが、チリ・アルゼンチン・バングラデシュ・中国などではまだ深刻です。河川水や井戸水の汚染によるものです。とくにバングラの被害が深刻です。ヒマラヤ山脈は砒素を含む岩石が多く、そこから溶け出した砒素がここを水源とする河川に流れ込んで、ガンジスデルタなどのデルタ堆積物にトラップされています。濁った河川水を飲用に供するのは不衛生だと井戸の開発が行われました。それに伴って、砒素に汚染された地下水が汲み上げられ、被害が拡大したのです。
測定日 | PH | As | F |
---|---|---|---|
環境基準値 | 6.6-8.5 | 0.01mg/L以下 | 0.8mg/L以下 |
2018/05/16 | 1.6 | 1.0 | 42 |
2019/08/01 | 1.5 | 0.60 | 18 |
2019/12/05 | 1.6 | 0.73 | 15 |
2019/04/03 | 1.3 | 1.0 | 16 |
2019/10/02 | 3.1 | 0.026 | 1.2 |
* 菱刈鉱山のような鉱脈型金鉱床は、この熱水が溶かし込んできた有用元素が地表付近で減圧により沈殿濃縮して形成されたのです(「薩摩の金脈」参照)。かつては硫黄山にも硫黄鉱山がありました。
閃亜鉛鉱 sphalerite, zincblende (Zn,Fe)S
閃亜鉛鉱(Wikipediaによる) |
石綿 asbestos Mg3Si2O5(OH)4など
カミントン閃石(Wikipediaによる) |
医療地質学
IMGAのロゴ |
一方、バングラの砒素問題をはじめとして、国際的には深刻な状況が続いていましたので、1999年国際地質科学連合(IUGS)に、Working Group on Medical Geologyが設けられ、2004年International Medical Geology Association(IMGA)の設立につながりました。IMGAによれば、地質物質と地質プロセスが公衆衛生に及ぼす影響を研究する新しい学問分野だそうです。IMGAは次の5つの目標を掲げています。
- 人や動物の健康に悪影響を及ぼす可能性のある土壌、堆積物、水の地球化学的異常を特定すること
- 既知の健康問題の環境原因を特定することと、生物学・医学および公衆衛生学の研究者と共同して、これらの問題を予防または最小化するための解決策を模索すること
- 地質物質および地質プロセスの健康への有益な影響を評価すること
- 地質物質あるいは地質プロセスが公衆衛生に懸念を与えるときには、国民に説明責任を果たすこと
- 先進国と途上国のつながりを築き、環境保健問題の解決策を見出すこと
<蛇足> 栄養学のミネラル
種類 | 欠乏症 | ミネラルを多く含む食品 |
Ca(カルシウム) | 主に歯や骨をつくるもとになり、不足すると骨の発達が悪くなります。また、筋肉・神経・心臓が正常に機能するためにも必要です。 | 小魚類、牛乳、乳製品、ほうれん草、ヒジキ、ナッツ類 |
Zn(亜鉛) | 消化、代謝、生殖などに関わる多くの酵素に必要です。不足すると、味覚、嗅覚、聴覚が低下したり免疫力が落ちます。 | カキ(貝)、牛肉、卵、 ナッツ類 |
K(カリウム) | 血圧の調節、心筋収縮の調整などの働きがあります。不足すると脱力感、疲労感、高血圧などの症状が出ます。 | コンブ、ヒジキ、緑黄色野菜、ナッツ類 |
Fe(鉄) | 赤血球のヘモグロビンの主成分です。不足すると貧血になります。 | レバー・腎臓・心臓などの内臓、緑黄色野菜、ヒジキ、卵黄 |
- 主要ミネラル
- ナトリウム(Na),塩素(Cl),カリウム(K),カルシウム(Ca),マグネシウム(Mg),リン(P),硫黄(S)
- 微量ミネラル
- 鉄(Fe),亜鉛(Zn),銅(Cu),マンガン(Mn),コバルト(Co),ヨウ素(I),セレン(Se),クロム(Cr),モリブデン(Mo)
文献:
- 青島恵子(2019),イタイイタイ病:公害病認定後50年間の住民による環境再生の闘いとその成果. 学術の動向, Vol.24, No.10, p.18-22.
- 久永直見(2019),市民へのアスベスト曝露の健康評価リスク. 学術の動向, Vol.24, No.10, p.40-43.
- 石原舜三(2011),砒素鉱物資源の地質学. 資源地質, Vol.61, No.2, p.121-127.
- 黒田嘉紀(2019),土呂久砒素中毒. 学術の動向, Vol.24, No.10, p.24-27.
- 村田勝敬(2019),水俣病. 学術の動向, Vol.24, No.10, p.14-17.
- 島田允堯(2009),自然由来重金属等地下水土壌汚染問題の本質:ヒ素. 応用地質技術年報, No.29, p.31-59.
- 谷岡優子(2013),風土病の民俗学―六甲山東麓における「斑状歯」をめぐって. 関西大学社会学部紀要, Vol., No.117, p.63-108.
- 富岡祐一・広吉直樹・恒川昌美(2005),ヒ素含有鉱物に由来する環境汚染と修復に関する研究の動向 ―特に鉱滓堆積場におけるヒ素の溶出と固定について― . 環境資源工学, Vol.52, No., p.145-150.
- (),. , Vol., No., p..
- (),. , Vol., No., p..
- (),. , Vol., No., p..
- Dissanayake, C. B. & Chandrajith, R.(2009), Introduction to Medical Geology (Erlangen Earth Conference Series). Springer, 297pp.
- Komatina, M. (2004), Medical Geology: Effects of Geological Environments on Human Health (Developments in Earth and Environmental Sciences). Elsevier Science, 502pp.
- Selinus, O., Finkelman, R. B. & Centeno, J. A. ed.(2012), Medical Geology: A Regional Synthesis (International Year of Planet Earth). Springer, 392pp.
- Selinus, O.(2013), Essentials of Medical Geology: Revised Edition. Springer, 805pp.
参考サイト:
- International Medical Geology Association
- 社会地質学会
- アジア砒素ネットワーク
- 日本の自然放射線量(産総研)
- 花崗岩類からの放射線量(日本地質学会 石原舜三)
- 富山県立イタイイタイ病資料館
- 水俣市立水俣病資料館
- 鹿児島県アスベスト対策
- 中皮腫/アスベスト疾患・患者と家族の会
初出日:2019/10/13
更新日:2020/03/23