1960年チリ地震津波の概要奄美における被害海底地形の影響余談:災害実態を語り継ぐ

 1960年チリ地震津波

 1960年チリ地震津波の概要

群馬大学社会災害工学研究室作成動画津波波高(津波痕跡データベースによる)
南日本新聞1960年5月25日号1面同左拡大(鹿児島県関係記事)
 1960年(昭和35年)5月22日協定標準時(UTC)19時11分14秒、南米チリのバルディビア近海においてMw9.5の超巨大地震が発生しました。2010年にもチリを震源とする大きな地震がありましたので、区別するために1960年チリ地震と呼ばれます。それによって発生した津波は20時間以上経って、地球の反対側日本列島にも到達、主として三陸地方に甚大な被害を与え、「チリ地震津波」と名づけられました。いわゆる遠地地震津波です。遠地地震に関する認識不足を反省して、これを機にハワイの太平洋津波警報センター(PTWC)などとの連携が図られるようになりました。また、津波波高が数m程度だったため、その後の津波対策は防潮堤などハードで対処する方向に進んでしまいました。
 鹿児島でも主として奄美地方に被害を与えましたが、当時は日米安保改定問題や三井三池炭鉱争議が社会問題になり、世情騒然としていた時期でしたから、地元新聞の扱いも小さく、25日朝刊1面に載っただけで、その後は載っていません。東大生樺美智子さんが亡くなった国会デモは翌月のことでした。いわゆる6・15事件です。なお、郷土誌にも触れられていません。
 唯一確からしい情報として残されている『鹿児島県災異誌』によれば、床上浸水が奄美大島で637棟、床下浸水が奄美大島で1268棟・加世田市50棟・枕崎市3棟、計1,321棟だそうです。ただし、日本建築学会の記録では、床上浸水595棟、床下浸水1,145棟となっており、食い違っています。その他、田畑の冠水流出261.9haはじめ、漁船など船舶の損害も大きかったようです。幸い人的被害は負傷者2名で済んだとのことです。津波波高のデータなどは、鹿児島県には残されていませんでしたが、津波痕跡データベースに載っているデータは地図の青色マークの位置だけです。マークをクリックすると、その地点の津波波高がポップアップします。

 奄美における被害

名瀬市街地浸水状況(名瀬測候所)名瀬市街地浸水図(井村ほか,2015)浸水深(井村ほか,2015)
 上述の津波痕跡データベースでは、名瀬市の津波波高が0mとなっていますが、実際には大きな被害が出ています。このように、大変記録が不十分です。当時は、ハード対策一辺倒で、ソフト対策などあまり念頭になかったため、教訓を後世に伝えようとの気運がなかったのでしょう。そこで、井村隆介鹿大准教授らは、奄美市内で聞き取り調査を行って、浸水マップを作成しました。半世紀経っていますので、生き証人がいるギリギリの段階でした。その結果、名瀬市街地での津波波高は最大4.5mと推定されました。笠利町大笠利では2m前後だったようです。その他、名瀬の大熊地域や笠利の用集落でも浸水がありました。真ん中の浸水図を東に移動させれば、笠利地区の浸水図も見られます。

 海底地形の影響

名瀬湾の海底地形(木村,2016)笠利半島東縁の海底地形(木村,2016)
 リアス式海岸のV字谷地形は津波波高を増幅するとして有名です。実際、奄美大島でも名瀬湾のところはV字型をしています。しかし、笠利半島の太平洋側はあまり凹凸がなく緩やかな弓なりを呈しているのに、用や大笠利では100棟以上の被害がありました。どうしてでしょうか。木村(2016)によれば、沖合の海底が急斜面になっていることに加えて、沿岸にエプロン礁apron reefが発達していることが、津波の遡上高を増幅したのだそうです。エプロン礁とは、サンゴ礁coral reefのうち、礁原reef flatの連続性の悪いものを言います。形がエプロンに似ているからです。エプロン礁の狭間は、外洋に対してV字ならぬγ字型をして開いているため、津波を増幅するのです。一般に珊瑚礁は遠浅のため、津波に対して緩衝帯の役割を果たし、津波が減衰しやすいのですが、こうした珊瑚礁の切れ目は要注意です。さらに木村(2016)は、珊瑚礁を埋め立てて造成した人工海岸は、この緩衝帯を失って、急に深くなるため、津波に対して脆弱になったとして警鐘を鳴らしています。

余談:災害実態を語り継ぐ
山奈宗真『岩手縣沿岸大海嘯部落見取繪圖』(部分)原口・岩松『改訂保存版東日本大震災津波詳細地図』気仙沼市全戸配付地図改訂版(部分)(2016)
クリックすると全体が見られます。
 チリ地震津波については、上述のように資料があまり残っていません。これでは災害を後世に語り継ぐことが出来ません。災害を減らすためには、自分の住んでいる土地の成り立ちを知ることと、過去にどのような災害があったかを知っておくことが大切です。
 一方、1896年明治三陸津波では山奈宗真(1847-1919)が単独で被災地を踏査し、『岩手縣沿岸大海嘯取調書』『岩手縣沿岸大海嘯部落見取繪圖』などを著しました。これが産業経済振興や後々の防災に大いに役立ちました。
 それから1世紀、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。その年、たまたま大阪市大の原口強准教授がサバティカル休暇で海外留学することになっていました。原口氏は休暇を三陸の被害調査に充てることにしました。同一人物の目で被災地全域を調査することは大変有意義です。「平成の山奈宗真」の心意気に感じて、バックアップすることにしました。毎晩調査結果がメールで送られてくるのをGISデータに変換し、逐次ネットにアップすることにしたのです。それをまとめたものが、『東日本大震災津波詳細地図(上・下)』(古今書院刊)です。これらのデータはオープンにして、自由に使えるようにしました。早速、気仙沼市や宮古市などが全戸配付資料に使ってくださいました。右図は高台に移転した避難所などを加刷した、気仙沼市の『東北地方太平洋沖地震津波浸水図(改訂版)』(2016)です。

文献:

  1. チリ津波合同調査班(1961), 1960年5月24日チリ地震津波に関する論文及び報告.東京大学地震研究所.397pp.
  2. 原口 強・岩松 暉(2011), 東日本大震災津波詳細地図(上巻・下巻), 古今書院,
  3. 原口 強・岩松 暉(2013), 改訂保存版東日本大震災津波詳細地図, 古今書院, 261pp. あとがき(岩松 暉)
  4. 羽鳥徳太郎(1989), 日本沿岸における遠地津波のエネルギー分布. 地震 第2輯, Vol.42, No., p.467-473.
  5. 井村隆介・財前 唯・草原仁美・冨安康介(2015), 聞き取り調査に基づく鹿児島県奄美大島の チリ地震津波被害の実態解明とその啓蒙. 鹿児島大学地域防災教育研究センター平成25年度「南九州から南西諸島における総合的防災研究の推進と地域防災体制の構築」報告書, p.97-99.
  6. 鹿児島県・鹿児島地方気象台(1967), 鹿児島県災異誌.鹿児島県, 230pp.
  7. 鹿児島県(2014), 鹿児島県沿岸における津波浸水想定 鹿児島県沿岸における津波浸水想定 説明資料. 23pp.
  8. 木村和雄(2016), 中琉球の沿岸災害リスク評価における地形場・地形種の意義:1960年チリ地震津波. 沖縄工業高等専門学校紀要, No.10, p.29-40.
  9. 神戸調査設計事務所(1960), チリ地震津波調査報告書 昭和36年3月. 神戸調査設計事務所, 187pp.
  10. 国土地理院(1961), チリ地震津波調査報告書―海岸地形とチリ地震津波. 国土地理院, 100pp.
  11. Momoi, T.(1963), The Chilean Tsunami of May 24, 1960 at Amami-Oshima. Bull. Earthq. Res. Inst., Vol. 41, p.35-43.
  12. 災害教訓の継承に関する専門調査会(2010), 1960 チリ地震津波. 内閣府, pp.
  13. 宍倉正展(2013), 1960 年チリ地震(Mw 9.5)の履歴と余効変動. 地震予知連会報, Vol.89, No.12-7, p.417-420.
  14. 山奈宗真(1897), 三陸大海嘯岩手縣沿岸見聞誌一班.
  15. 山奈宗真(1900?), 岩手縣沿岸大海嘯部落見取繪圖.
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参考サイト


初出日:2017/01/17
更新日:2020/11/30