阿多カルデラ

Matumoto(1943)による“阿多カルデラ”Suzuki & Ui(1983)による阿多カルデラ(実線)
 阿多カルデラは姶良カルデラの項で述べたように、Matumoto(1943)によって名づけられました。松本は、池田湖北西方の鬼門平(おんかどびら)断層崖と根占の急崖をカルデラ縁とする鹿児島湾入り口の部分をカルデラと考えていました。しかし、荒牧・宇井(1966)は、約11万年前の阿多火砕流堆積物は、松本の“阿多カルデラ”内から噴出したものではなく、その北方の低重力異常を示す鹿児島湾内が噴出源と考えました。この考えは、鉱物片の伸長方向を使った流動方向の解析(鈴木・宇井,1981)や阿多火砕流堆積物の堆積構造の研究(Suzuki and Ui,1982),降下軽石の層厚・粒径分布(阪口・宇井,1979 ; Nagaoka,1988)などから支持されています。
 なお、阿多火砕流堆積物は南さつま市金峰町宮崎の阿多周辺が標識地で名付けられたと思っている人が多いようですが、阿多には阿多火砕流堆積物は露出していません。Matumoto(1943)には、次のように記されています。
 For the whole combined caldera, the writer proposes anew the ancient name Ata of this sacred cradle-land of the Imperial Ancestor of Nippon in commemoration of the two thousand six hundredth anniversary of the Nipponese Empire, the name meaning a hollow, or an embayed gulf.
雙子(双子)池遺跡の碑(南さつま市阿多)
 つまり、皇紀2,600年(西暦1940年)を記念して、皇祖揺籃の地である阿多の名前を付けたのです。海幸彦・山幸彦の神話(釣針のゆくえ)をご存知でしょうか。天照大神(アマテラスオオミカミ)は地上を支配するためにその孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を日向国高千穂に天孫降臨させました。瓊瓊杵尊は吾田国(阿多)に到達し、ここで木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)(『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ))と結婚、生まれたのが3人の御子たちです。末弟の山幸彦(火遠理命(ホオリノミコト))が天皇家の祖となり、長兄の海幸彦(火照命(ホデリノミコト))は阿多隼人の祖になったと言われています。金峰町宮崎西(万之瀬川右岸)は御子達の誕生地とされ、写真のような「雙子池遺跡」の碑(陸軍大将大迫尚道謹書、大正12年阿多村教育會建立)が建っています。次男の(火須勢理命(ホスセリノミコト))の影が薄く、海幸彦・山幸彦の双子と考えられてしまったのでしょうか。『日本書紀』には火須勢理命が隼人の祖と書かれていますので、あるいは火照命と同一人物なのかも知れません。なお、山幸彦は神武天皇の祖父に当たります。
余談1:
 木花咲耶姫には姉、石長姫(イワナガヒメ)がいました。父の大山祇神(オオヤマツミ)が、姉妹揃って瓊瓊杵尊に娶せようとしたのに、瓊瓊杵尊は美人の妹のほうだけと結婚、醜女の姉を遠ざけました。実は石長姫は不老長生の力があったのに、それを父のもとに送り返したので、天孫の寿命は人間と同じように短命になったのだとか。石(岩)は永遠性・長寿の象徴だったのでしょう。古事記には下記のようにあります。
 石長比賣を使はしては、天つ神の御子の(みいのち)は、雪()り風吹くとも、恆に(いは)の如く、常磐(ときは)堅磐(かきは)に動きなくましまさむ。
余談2:
 隼人にある鹿児島神宮の主祭神は天津日高彦穂穂出見尊(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)(火遠理命の正式名称)とその后神、豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)です。また、溝辺の高屋山陵は火遠理命(山幸彦)の御陵と言われています。なお、霧島神宮の主祭神は瓊瓊杵尊で、宮崎県高原町にある狭野(サノ)神社の主祭神は神武天皇(幼名狭野尊)です。神武天皇は火遠理命(山幸彦)の孫にあたります。

文献:
  1. 荒牧重雄・宇井忠英(1966),阿多火砕流と阿多カルデラ. 地質学雑誌, vol. 72,p.337‒349.
  2. 川辺禎久・阪口圭一(2005),開聞岳地域の地質 地域地質研究報告(5万分の1地質図幅).産総研地質調査総合センター,82pp.
  3. Matumoto, T.(1943), The four gigantic caldera volcanoes of Kyushu. Japan, Jour.Geol.Geogr.,Vol.19, Spec. No., 57pp., Plates XXXIII.
  4. Nagaoka, S.(1988),The Late Quaternary Tephra Layers from the Caldera Volcanoes in and around Kagoshima Bay, Southern Kyushu, Japan. Geograph. Rep. Tokyo Metr. Univ., vol.23, p.49‒122.
  5. 阪口圭一・宇井忠英(1979),鹿児島県根占地域の火砕堆積物の再検討.火山,第2集,vol.24, p.187.
  6. 鈴木桂子・宇井忠英(1981),阿多火砕流の流動方向.火山,vol.26,p.57‒68.
  7. Suzuki, K. and Ui, T. (1982), Grain orientation and depositional ramps as flow direction indicators of a large-scale pyroclastic flow deposit in Japan. Geology, vol.10, p.429‒432.
  8. Suzuki, K. and Ui, T. (1983), Factors governing the flow lineation of a large-scale pyroclastic flow - An example in the Ata pyroclastic flow deposit, Japan. Bull.Volcanol., 46, p.71-81.


初出日:2014/12/09
更新日:2017/07/01