兄弟都市鶴岡の地質

 姉妹都市と兄弟都市とどう違うのか知りませんが、山形県鶴岡市と鹿児島市は、昭和44(1969)年11月7日兄弟都市の盟約を結びました。その理由は、鹿児島市のホームページによると次の通りです。
 明治元年の戊辰の役に敗れた庄内藩の人々に対し寛大な措置をとった西郷南洲翁と、その措置に感動し、さらに翁の人徳に心服した藩主酒井忠篤公以下の庄内の人々との「徳の交わり」が、鶴岡と鹿児島の交流の始まりです。両市に庄内鹿児島会と鹿児島庄内会が誕生し、親交を深めていきました。これをさらに拡大し、両市民の間の西郷南洲翁に対する共通の敬愛の精神を、今後さらにはぐくみ続けようとする気運が高まったのを契機に兄弟都市の盟約を結びました。
 この「徳の交わり」については、鹿児島市武2丁目にある西郷公園(旧西郷屋敷跡)に庄内藩家老菅(すげ)実秀(臥牛翁)と南洲翁が対談している像があります。碑文は次のとおりです。
 西郷隆盛(南洲)と菅実秀(臥牛)が対談しているこの座像は ここ西郷屋敷において両翁が親睦を深め「徳の交わり」を誓いあったことを記念して製作したものである  臥牛翁は庄内藩(山形県)の有力な家老であった  庄内藩は戊辰戦争で官軍に激しく抵抗したため厳しい処分を覚悟していたが 南洲翁の暖かい取計らいにより処分は極めて寛大なものとなった  この南洲翁の人徳に感服した臥牛翁は明治八年自ら七名の旧庄内藩士と共に来鹿し南洲翁の教えを受けた  後に臥牛翁はこれらの人々の手記を集め「南洲翁遺訓」を発刊し全国に頒布した  南洲翁の偉大さが全国に知れわたったのは実に臥牛翁の人徳がその一翼を担ったものといえる  ここに両翁の遺徳を偲び幾多の教訓と敬愛の精神を後世に伝えるため有志と相語り浄財を募り対話の座像を建立した
   平成三年十一月吉日  武西郷屋敷銅像建立委員会

 さて、鶴岡は庄内平野の南部、修験道で名高い出羽三山の麓にあります。南西側は朝日山地の一部を構成している山地で、後期白亜紀~古第三紀の花崗岩類を主とし、中新世のいわゆるグリーンタフ層からなっています。一方、南東側の山地は月山火山群からなり、岩屑なだれ堆積物が広く覆っています。流れ山地形も見られるそうです。庄内平野の地下では、上図(土谷ほか,1984)のように、中新世の地層が褶曲しています。かつては石油も産出していました。それらを覆って、赤川などの扇状地堆積物が堆積しています。なお、地下の褶曲と調和的な活褶曲も見られるそうです。海岸部には新旧の砂丘群があります。
 右の地質図は産総研シームレス地質図です。凡例はここ。地質図の任意の点をクリックすると、その点の地質情報がポップアップします。

文献:
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  5. 久保純子(1991), 庄内平野の地形分類図にあらわれた活褶曲. 東北地理, Vol.43, No.3, p.188-194.
  6. 中里浩也・大場孝信・板谷徹丸(1996), 月山火山の地質とK-Ar 年代. 岩鉱, Vol.91, No.1, p.1-10.
  7. 柴崎直明(2011), 鶴岡の地下水の位置づけ. 鶴岡の地下水調査報告会スライド.
  8. 柴崎達雄・原田和彦・増原延昭・田中正利・工藤 学・加藤佳文(1986), 山形県鶴岡市の水文地質と水収支シミュレーション. 日本地質学会学術大会講演要旨 93, p.493.
  9. 土谷信之・大沢 穠・池辺 穣(1984), 地域地質研究報告「鶴岡地域の地質」. 地質調査所, 84pp.
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初出日:2015/06/25
更新日:2020/12/01