姉妹都市ナポリ

150万分の1ヨーロッパ地質図(One Geology)日本20万分の1地質図(産総研)
 ナポリは鹿児島市と姉妹都市です。どちらも活火山を抱えているからです。ナポリからベスビオ火山までの距離は約14km、鹿児島市役所と桜島南岳は約10km(青円)です。なお、ポンペイのユーピテル(ジュピター)神殿とベスビオ山との間も約10km(青円)です。人口は、ナポリが約96万人、鹿児島が約61万人ですから、確かにお似合いの関係です。 蛇足:地図でナポリ市の赤線は鹿児島通りVia Kagoshima、鹿児島市の赤線はナポリ通りを示しています。
ナポリからみたベスビオ火山ポンペイ遺跡犠牲者の石膏体
 ベスビオ火山は紀元79年の噴火が「ポンペイ最後の日」をもたらしたというので有名です(日本では弥生時代)。この噴火を小プリニウス(Gaius Plinius Caecilius Secundus)が目撃して、手紙に書き残していたため、大量の軽石や火山灰を高く噴き上げる大規模な噴火をプリニー式噴火というようになったのです。その後も1631年に大噴火を起こし、1822年、1944年と噴火をしています。『フニクリ・フニクラ』の歌で有名な登山電車は、この1944年噴火の被害を受け、今はありません。イタリアには「ナポリを見ずして死ぬことなかれ(vedi Napoli e poi mori)」という諺があるそうです。日本の「日光を見ずして結構というなかれ」と同じような意味で、それだけナポリは風光明媚なところなのです。しかし、最近では、そろそろベスビオ火山が噴火するのではないか、「ナポリが死なないうちに見ておけ」と皮肉な意味にも使われているとか。岩松は2015年1月12日に訪問しましたが、現地のガイドさんが「私が石膏体になる前にもう一度来てね」と言っていました。石膏体とは火山灰や火砕流堆積物で埋まった人体やペットなどがあった空洞に石膏を流し込んで型どりしたものです。右写真がそれです。神様に祈っていたのでしょうか。
 一方の桜島は歴史時代にも天平宝字噴火(764)、文明噴火(1476?)、安永噴火(1779)、大正噴火(1914)と何回も大噴火を起こしています。いずれもプリニー式噴火で始まりました。わが国が20世紀に経験した最大の噴火が大正噴火ですが、それからすでに100年経ちました。地下のマグマは大正時の9割がた回復しているそうです。「想定外」などと言わないよう、そろそろ万全の準備をしておく必要があるのではないでしょうか。われわれも石膏体になりたくないものです。

蛇足1:79年噴火時の救援
 ベスビオが噴火したのは紀元79年8月24日でしたが、フラウィウス朝の皇帝ティトゥス(Titus Flavius Vespasianus)が6月24日に即位した直後でした。『博物誌』を著したとして有名な海軍提督大プリニウス(Gaius Plinius Secundus)はナポリ湾の反対側にあるミセーノ軍港にいましたので、早速艦隊を率いて救援に向かいましたが、火山ガスのため死亡しました。上述小プリニウスの伯父に当たります。皇帝ティトゥスも現地に行き陣頭指揮を行います。一家全滅した人たちの遺産は国庫に納めるのが通例ですが、復興資金に回したそうです(塩野,2002)。属州ではありませんから属州税のような税金はありませんでしたので、売上税などの減免はあったのだろうと言われていますが、詳細は分かっていません。
 なお、イタリアは地震国でもあります。そのため、ローマ帝国第2代皇帝ティベリウス(在位:紀元14年~37年)によって次のような被害者救援対策が国策として採用されていました(塩野,2003)。

  1. 皇帝公庫からの義援金が、緊急対策として被害者に配付される。
  2. 災害地から最短距離にある軍団基地から派遣された軍団兵によって、インフラ関係の復旧工事が行われる。
  3. 元老院内に設置された特別委員会から被害地に調査団が送られ、被害の程度に応じて、収入の一割にあたる属州税を、3年から5年間は免除すると決める。
 したがって、当然ベスビオ火山噴火災害にも適用されたものと思われます。なお、共和制時代から無産階級(プロレターリ)には、平常時でも小麦が無償配給されていましたので、食料供給は行われていたことでしょう。

蛇足2:イタリア中部で地震
 2016年8月24日午前3時36分(日本時間午前10時36分)イタリア中部でM6.2の地震があり、296人の犠牲者が出ました。とくに古い歴史の町アマトリーチェで被害が大きかったようです。イタリアは日本と同じく地震火山国ですが、建築物の耐震化が遅れているようです。
 その後、イタリア中部では10月26日にM5.4とM5.9と2回、10月30日にはM6.6の地震が立て続けに起きました。今回は人的被害は少なかったようです。

文献:
塩野七生(2002), ローマ人の物語ⅩⅠ―終わりの始まり―. 新潮社, 343, viiip.
塩野七生(2003), ローマ人の物語ⅩⅡ―迷走する帝国―. 新潮社, 351, xvp.



更新日:2015/03/17
更新日:2021/02/05