人間の安全保障と防災

 経緯

 「安全保障」というと国連安全保障理事会や日米安保条約を思い浮かべる人がいるかも知れません。これは「国家の安全保障(national security)」であり、領土的安全保障です。国民国家の時代、国を守ることは国民を守ることと同一視されてきました。しかし、冷戦が終結し、平和が訪れるとの期待にも関わらず、現実には国家の機能不全や地域間紛争の激化、テロの横行などに直面して、難民や貧困・飢餓などさまざまな問題が起きています。環境破壊や自然災害・感染症pandemic、さらには突然の国際的経済危機などの諸問題もあります。もはや国家を中心に据えたアプローチだけでは不十分になり、パラダイムの転換が求められるようになりました。「人間の安全保障(human security)」という概念を始めて取り上げたのは国連開発計画(UNDP)の人間開発報告書1994でした。この報告書で出されたキーワードが「恐怖からの自由free from fear」と「欠乏からの自由free from want」でした。
 2000年国連ミレニアム総会で当時のアナン国連事務総長が、この2つのキーワードを使って報告を行い、地球規模の諸課題に如何に対処すべきかと論じました。この演説を聴いていた当時の森総理が人間の安全保障のための国際委員会の設置を呼びかけました。これを受けて翌2001年1月緒方貞子国連難民高等弁務官(当時)とアマルティア・セン Amartya Sen ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学長(当時)を共同議長とする「人間の安全保障委員会」が発足しました。しかし、その直後の同年9月11日世界貿易センタービルの同時多発テロが勃発、旧来の国家の安全保障へ逆戻りする風潮も出ています。その逆風の中でも上記委員会は2003年に最終報告書を出しました。

 人間の安全保障

人間の安全保障(JICAホームページによる)
 上にキーワードとして「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」をあげましたが、その後「尊厳を持って生きる自由(free to live in dignity)も加わりました。人間の安全保障委員会最終報告書(2003)では、「人間の安全保障」を「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」と定義しています。「国家の安全保障」は、つまるところ軍事力で国境を守ることでしたが、これに対し、「人間の安全保障」は外敵からの攻撃よりもむしろ、環境汚染、大規模災害、国際テロ、大規模な人口の移動、HIVエイズをはじめとする感染症、長期にわたる抑圧や困窮などなど多様な脅威から人々を保護することに焦点を当てています。従来は国家による上からの国民保護でしたが、こうした多様な問題に対処するためには、保護を越えて、人々や社会が自らを守るための能力を強化すること(enpowement)が必要です。人間は危険な状況に置かれていても、たいていの場合自ら解決の糸口を見出し、実際に問題を取り除いていくことができるとしています。

 人間の安全保障と防災

 熊本地震では、直接死50名に対し、間接死はその4倍を超えています。従来、災害というと、行政が素早く避難所を準備し、なるべく早く仮設住宅を建設すること、そして可及的速やかにインフラを復興することが眼目でした。外敵から国民を保護する「国家の安全保障」と同じ「上からの保護」のセンスです。しかし、その避難所も、難民キャンプ以下と言われるほどスフィア基準(「災害と避難」参照)を満たさない劣悪なケースもままあります。たとえハード面が満たされていても、ソフト面では問題山積です。あまりに画一的で、妊産婦・乳幼児・子供・お年寄りや障害者など災害弱者に対する思いやりが不足しがちです。そのため、ストレスが溜まり、関連死が増えます。熊本地震では、避難所を忌避して車中泊を選び、それが長期化すると、余震で倒壊する恐れのある自宅に帰って、軒先にテントを張りました。「軒先避難」なる新語が登場したのです。やはり御上依存から脱却して、ボトムアップのエンパワーメントが重要になります。自主防災組織も男性中心でジェンダー視点が不足している例も多々あるようです。「人間の安全保障」で謳われている事柄が大切になってくるのです。

文献
  1. 長 有紀枝(2012), 入門 人間の安全保障 - 恐怖と欠乏からの自由を求めて. 中公新書, 274pp.
  2. 池田恵子(2019), 日本の防災施策にこそ求められる「人間の安全保障」の観点. 学術の動向, Vol.24, No.6, p.16-19.
  3. 国連開発計画(UNDP)(1994), 人間開発報告書―人間の安全保障. 国連開発計画(UNDP), 124pp.
  4. 国連開発計画(2006), 国連開発計画(UNDP) 人間開発報告書〈2005〉―岐路に立つ国際協力:不平等な世界での援助、貿易、安全保障. 国際協力出版会, 422pp.
  5. 西田芳弘(2004), 「人間の安全保障」. レファレンス, 平成16年8月号, p.31-42.
  6. 人間の安全保障委員会(2003), 安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書. 朝日新聞社, 288pp.
  7. アマルティア・セン(2006), 人間の安全保障. 集英社新書, 208pp.
  8. アマルティア・セン(2017), アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障. ちくま学芸文庫, 181pp.
  9. 高橋哲哉(2008), 人間の安全保障. 東京大学出版会, 279pp.
  10. 田中雅子(2019), 女性の安全スペース―ネパール大地震を例に. 学術の動向, Vol.24, No.6, p.32-35.
  11. (), . , Vol., No., p..
  12. (), . , Vol., No., p..

参考サイト:



更新日:2019/06/12
更新日:2019/11/14