市民科学ICT時代のシチズンサイエンス日本でも始まっているシチズンサイエンスシチズンサイエンスと地球科学

 シチズンサイエンス

 市民科学

高木仁三郎氏(高木基金HPによる)
 最近、「シチズンサイエンスCitizen Science」という言葉が日本でも流行りはじめました。EUやアメリカでは既にCitizen Science Associationが設立されています。シチズンもサイエンスもありふれた普通の言葉ですから、誰が最初に言い始めたのか諸説あるようですが、日本では高木仁三郎(1938-2000)が「市民科学」を標榜しました。高木仁三郎市民科学基金のウェブサイトによれば、
 「市民科学は、市民社会が実際に直面する不安や問題から出発し、その成果も市民の評価に委ねられます」
と定義されています。高木自身が「反原発の市民科学者」と自称するように、原発反対運動の先頭に立ちましたから、市民科学は反体制運動や住民運動と同一視されることもありました。上記基金のウェブサイトには、「市民の立場に立ちつつ、市民の知を、専門性を持って市民の側から組織していくことをめざすのが『市民科学』です」とも述べられていますから、原発に限らず、もっと幅広い視野を持っていたのでしょう。

 ICT時代のシチズンサイエンス

シチズンサイエンスの指向する方向性(林,2018)
 在野の天文愛好家が彗星や新星を発見したという話はよく聞かれますし、野鳥や昆虫の生息域を市民による人海戦術で調査した例などありますが、こうした草の根調査研究は、広範囲に及ぶデータ収集をマスの力で解決したもので、結果的に市民は職業科学者に対するデータ提供者に過ぎなかったきらいがありました。従来のような公的資金による職業研究者の研究成果を市民がアウトリーチとして受け取る非対称な関係に比べれば多少ましとは言え、非対称性が存在しました。
 しかし、現在はICTが発達、オープンサイエンスの時代になりつつあります。林(2018)は、「オープンサイエンスはICTによるデジタル化とネットワーク化された情報を様々に活用して科学研究を変容させる活動であり、産業を含む社会を変え、科学と社会の関係も変える活動」と述べています。現在はまだ電子ジャーナルのような形での研究論文のオープン化の段階ですが、やがて研究データの公開まで進展するでしょう。そうなると、市民などさまざまなアクターが参加する超学際的(transdisciplinary)研究や分野横断的(interdisciplinary)研究の生まれる素地ができることになります。つまり、科学を職業研究者の専有物から、市民との共創型研究へと発展させる方向へと向かいつつあるのです。
 もちろん、ICTの発達だけがシチズンサイエンスを促した訳ではありません。高木の言うように、市民の不安も背景にあります。例を新薬開発に取りましょう。新薬の治験には、効果の厳密性を担保するため比較対照試験が行われます。一方のコントロール群には新薬を、他方には偽薬(プラシーボplacebo)が投与されます。しかし、エイズのように死亡確率の高い疾患の場合、偽薬を与えられたグループの中には、新薬の恩恵を受けられず死亡するケースが発生します。また、科学的厳密性を求めるために、治験者を白人男性に限るような差別も存在しました。こうした倫理的な問題から、エイズ運動団体などと共に、新たな治験方法が開発されつつあります(中村,2018)。
 シチズンサイエンスにも問題がないわけではありません。中村(2018)は、シチズンサイエンスの課題として、知的財産権・研究公正・被験者保護を挙げています。林(2018)も、①市民を労働集約的作業に充てることの是非、②市民が集めたデータの質管理、③市民の関心を呼びやすいテーマに偏重するポピュリズムを挙げています。

 日本でも始まっているシチズンサイエンス

みんなで翻刻
Galaxy Cruise
 東日本大震災は貞観地震津波以来1000年ぶりと言われました。近代観測機器による観測は高々150年分のデータしかありません。古文書の解読による古地震の研究が不可欠と言われる所以です。しかし、古文書のくずし字が読める研究者はごく僅かです。一方、市井にはくずし字の読める郷土史家がたくさんおられます。そこで2017年京都大学古地震研究会では、ボランティアによって膨大な史料の解読を行う「みんなで翻刻」プロジェクトを立ち上げました。現在、歴博と東大震研も加わった大規模なプロジェクトに発展しています。最新のAI技術によるくずし字学習支援アプリ「KuLA」も提供され、素人でも学びながらこの事業に参加できるようになりました。このアプリは12万回もダウンロードされたとか。
 冒頭述べたように市民参加の老舗である天文学分野でもシティズンサイエンスは進んでいます。国立天文台ではこれを市民天文学と名づけています。2019年には、すばる望遠鏡の超広視野主焦点カメラ「HSC」が撮影した膨大な銀河の画像を、多数の市民天文学者がオンラインで分類するGalaxy Cruiseプロジェクトが立ち上がっています。その統計的な解析は研究者が行っているようです。
 もちろん、昆虫の分布域調査も行われています。たとえば、東北大・山形大による「花まるマルハナバチ国勢調査」が挙げられます。GPS位置情報付き写真を送ると、ウェブ管理者(山形大横山教授)が種を同定、google map上に写真を公開するシステムです。生物の分布調査では、「ナメクジ捜査網」などというものもあります。「お庭の生きもの調査」は2010年度から続けられており、住宅と周辺自然環境との関わりなどで知見が集積されつつあるようです。

 シチズンサイエンスと地球科学

フタバスズキリュウFutabasaurus suzukii
いわき市石炭・化石館HPによる)
 高校生が発見したフタバスズキリュウのように、アマチュアが新種の化石や鉱物を発見することはままあります。今後ともこの種のマニアとの草の根調査研究は古生物学分野では続くものと思われます。しかし、新種と同定するためには専門科学者の研究に待たなければなりません。
 水文学(流域科学)では、地域住民からのデータ提供により洪水リスクの評価や水質監視などが行われる例がありました。ビッグデータの時代になりましたから、こうした例はこれからも盛んになるでしょう。また、崖崩れ個所は後からでも分かりますが、発生時刻は地元住民や消防団の証言に頼るしかありません。崩壊と雨量強度との関連を論ずるには、発生時刻は不可欠の情報です。
 情報地質学の分野では、FOSS(Free/Open Source Software)の一種であるFOSS4G(Free Open Source Software for GeoSpatial)があります。GIS関連のソフトを世界中の人たちの手によって開発改良しようというものです。QGISがその代表格です。本ウェブサイト「かだいおうち Advanced Course」の地図類もOpenLayersを使って表示しています。また、表示データの中にはQGISで加工したものも多々あります。
 ジオパークでもシチズンサイエンスが盛んになることが望まれます。ジオパークは地域住民が自分の住む地域の宝を再発見して誇りを持つことが眼目の一つですから、地元ガイドさんや学術専門員が、地元大学の研究者と協力して、そのジオパークから何らかの学術的成果を上げて欲しいものです。同じフィールドでも視点を変えれば、きっと新しい発見があるはずです。
 一般市民よりもっと職業科学者に近い存在はコンサルタント技術者です。応用地質学会など一部を除いては、あまり相互交流がないようですが、ぜひ接点を持つ試みをしてもらいたいものです。また、小中高校の先生方も近い存在です。しかし、最近の先生方は校務多忙で、ほとんど研究に時間を割く余裕がありません。大学側から手を差し伸べて、条件づくりから始める必要もあるのではないでしょうか。

文献:
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  20. 小野英理(2019), オープンサイエンス的市民協働のために大学ができること. 第1回SPARC Japan セミナー2019 「人文社会系分野におけるオープンサイエンス~実践に向けて~」 スライド
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参考サイト:



初出日:2018/11/23
更新日:2021/01/12