縄文海進とハイドロアイソスタシー

 縄文海進研究前史

E. S. モース(東京大学蔵)大森貝塚(東京都品川区大森貝塚遺跡庭園)
 日本の考古学は動物学者モース(Edward Sylvester Morse)による明治10年(1877)の大森貝塚発掘に始まります。モースは発掘された貝の中に現在の江戸湾には棲息していず、和歌山で見られるような暖かな海の貝があることを記載しています。日本の地震学の創始者である地質学者ミルン(John Milne)は、この貝塚が台地上にあることから、海岸線の平均後退速度を考えて、約3,000年前のものとしました(Milne,1881)。その後、東木とうき龍七(1926)は関東地方の貝塚の分布図を作成、標高10-15m付近にしかもかなり内陸部にまで分布することから、沈水現象があったとしました。しかし、その原因が地殻変動なのか、海水準の上昇なのかについては触れていません。一方、大塚彌之助(1931)は、安定陸塊である大陸でも同じような現象が見られることから、汎世界的な海面上昇によると主張しました。

 戦後の進歩

杉村・成瀬 (1955) による海水準変動曲線関東平野の相対的海水準変動(遠藤,2015)
 戦前・戦後を通じて日本の地質学は地向斜造山論が盛んで、古い地質時代のほうにばかり目が行っていました。その中で大塚弥之助は一人新生代の研究を進めていました。その門下生杉村 新や成瀬 洋らはネオテクトニクスを標榜して、活躍し始めます。彼らによって大塚の遺稿が『地質構造とその研究』(1952)として出版されました。Sugimura & Naruse(1955)は、房総半島の地震性隆起段丘の研究に基づき、初めて海水準変動曲線を描き、ヨーロッパの氷床最後退期が約6,000年前であることから、縄文海進もその頃であろうとしました。なお、その頃から人間活動の主たる場である第四紀が注目されるようになり、日本第四紀学会が昭和31年(1956)に創立されました。
 高度成長期に入り、東京一極集中が激化、日本の人口の半数が関東圏に居住するようになりました。それに伴う土木工事が各所で行われ、無数の露頭が新しく作られるとともに(もっとも露頭はその後消え去りましたが)、多数のボーリングも行われました。これらを集大成したのが遠藤(2015)です。潮間帯に棲息するカキ礁を手がかりに海水準を求めました。縄文時代草創期(14,000-15,000年前)~縄文時代前期末(6,000-5,500年前)の海進を縄文海進とみなしています。図の赤線です。

 ハイドロアイソスタシー

氷床と周辺のふくらみ(bulge)(杉村,1977)
 海進は地球温暖化により氷床が溶けて海水が増加したためと単純に考えられがちですが、もっと複雑な要因が数多く関わっています。大きくはミランコビッチ・サイクル(Milankovitch cycle)のように天文学的な日射量の変化もあるでしょう。全球を考えると、水(4℃で体積最小)の昇温に伴う体積膨張も考慮する必要があります。場所によっては、地殻変動もあるでしょうし、海流の変化も考えに入れなければなりません。大気や水のように比較的早く変化するものもあれば、マントルのようにゆっくりと変化するものもあります。例えば、大陸氷河が直接覆っていたスカンジナビアでは、氷の荷重が開放されたことに伴い、今も年数mmの割合で隆起が続いており、バイキングが活躍した港町は、現在でははるか内陸にあります。マントルの粘性が効いているのです。これをグレイシオアイソスタシー(glacioisostacy)と言います。アイソスタシーは従来、地殻均衡と訳されてきました。海面上に出ている氷山はその一角に過ぎないと同様、ヒマラヤのような大山脈はマントルに浮いているのですから、その下には大きな根があって均衡を保っていると説明されてきたのです。Clarence Edward Dutton(1889)の命名です。
 では、氷河から離れた地域(far field)ではどうでしょうか。海水の増加分だけ海水準が上がるわけではありません。海水の増加分の重量によって地殻が沈降する効果で相殺される分もあるのです。ハイドロアイソスタシー(hydroisostacy)です。杉村(1977)が初めて日本に紹介しました。
九州北西域におけるハイドロアイソスタシーと縄文遺跡(中田・奥野,2011)6,000年前の日本列島の海水準(Okuno, et al.,2014)
 Fallel & Clark(1976)は、海面は常に等ポテンシャル面を形成しており、固体地球は表面荷重に対し変形するということから、海面変化を記述する式(sea level equation)を下記のように導き出しました。球座標系(θ,φ)における任意の時間をtとすると、海面変化式は
となります。Oは海洋関数、Eはユースタティック関数、Ziは氷床荷重に伴う効果(グレイシオアイソスタシー)、Zwは海水荷重に伴う効果(ハイドロアイソスタシー)です。したがって、地質・地形学的に得られる海面変化は、現在(tp)の海面に関する相対な海面変化ですから、ある時間tの変化量は、 となります。日本のような氷河から遠く離れたfar fieldでは、グレイシオアイソスタシーに比してハイドロアイソスタシーの効果のほうが大きいのです。
 これを九州北西域に当てはめたのが中田・奥野(2011)の図です。縄文前期の水中遺跡はこれで説明できます。最終氷期の海面よりも下でした。
 それでは鹿児島付近はどうでしょうか。Okuno et al.(2014)によれば、縄文海進時(6,000年前)には右図に示すように、現在とほとんど変わらない海水準でした(改良オーストラリア国立大方式による)。関東平野で確立された数値を機械的に当てはめてはいけないのです。
 なお、グレイシオアイソスタシーとハイドロアイソスタシーの両方の効果を含めてグレイシオハイドロアイソスタシーと呼ぶことがあります。

文献:
  1. Daly, R. A.(1925), Pleistocene changes of level. Am. J. Sci., Ser.5, Vol.10, p.281-313.
  2. Dutton, C. E.(1892), On Some of the Greater Problems of Physical Geology. Bull. Phil. Soc. Wash., Vol.11, p.51-64.
  3. 遠藤邦彦(2015), 日本の沖積層. 冨山房インターナショナル, 415pp.
  4. Farrell, W. E., Clark, J.A.(1976), On postglacial sea level. Geophys. Jour. Royal Astron. Soc., Vol.46, No., p.647-667.
  5. Milne, J.(1881), The stone age in Japan; with notes on recent geological changes which have taken place. Jour. Anthropol. Inst. Great Britain & Ireland, Vol.10, p.389-423.
  6. モース, E. S.(1983), 大森貝塚―付 関連史料―. 岩波文庫, 219pp.
  7. 中田正夫・奥野淳一(2011), グレイシオハイドロアイソスタシー.地形,Vol.32, No.3,p.327-331.
  8. Okuno, J., Nakada, M., Ishii, M. & Miura, H.(2014), Vertical tectonic crustal movements along the Japanese coastlines inferred from late Quaternary and recent relative sea-level changes. Quat. Sci. Reviws, Vol.91, p.42-61,
  9. 大塚彌之助(1931), 日本島の冲積期初期の海岸線の變化とその沿岸陸棚に發達する沈溺谷に關する時代的考察 その他. 地理学評論, Vol.7, No.6, p.447-458.
  10. 大塚彌之助(1952), 地質構造とその研究. 朋文堂, 275pp.
  11. Peltier, W. R, Farrell, W. E., Clark, J.A.(1978), Glacial isostasy and relative sea level: A global finite element model. Tectonophysics, Vol.50, No.2–3, p.81-110.
  12. Sugimura, A. and Naruse, Y.(1954), Changes in sea level, seismic upheavals, and coastal terraces in the southern Kanto region, Japan. (I). Japanese Journal of Geology and Geography. 24, 101-113.
  13. Sugimura, A. and Naruse, Y.(1955), Changes in sea level, seismic upheavals, and coastal terraces in the southern Kanto region, Japan (II). Japanese Journal of Geology and Geography, 26, 165-176.
  14. 杉村 新(1977), 氷と陸と海. 科学, Vol. 47, No.12, p.749-755.
  15. 東木龍七(1926), 地形と貝塚分布より見たる關東低地の舊海岸線(一). 地理学評論, Vol.2, No.7, p.597-607.
  16. 東木龍七(1926), 地形と貝塚分布より見たる關東低地の舊海岸線(二). 地理学評論, Vol.2, No.8, p.659-678.
  17. 東木龍七(1926), 地形と貝塚分布より見たる關東低地の舊海岸線(三). 地理学評論, Vol.2, No.9, p.764-774.
  18. 東木龍七(1927), 日木群島の海岸低地の舊海岸線決定法. 地理学評論, Vol.3, No.8, p.805-806.
  19. Woodruff, J. D., Donnelly, J. P. & Okusu, A.(2009), Exploring typhoon variability over the mid-to-late Holocene: evidence of extreme coastal flooding from Kamikoshiki, Japan. Quat. Sci. Reviws, Vol.28, p.1774-1785.
  20. (), . , Vol., No., p..
参考サイト


更新日:2015/11/26