出水平野の地形・地質

東光山公園から見た出水平野
荒崎展望公園から見た出水平野
 上の写真は出水平野です。平野と呼ばれていますが、四万十層群からなる出水山地の麓に広がる出水扇状地・高尾野扇状地・野田扇状地からなる複合扇状地です。その他、矢筈岳の麓には小規模な米ノ津扇状地もあります。地質の概略は下記の通りです。
 鮮新世の肥薩安山岩類の凹地形を埋めるように恐らく中期更新世の小原層が厚く堆積しています。小原層は主として砂礫からなり、時にシルト層や火砕流堆積物を挟在します。最上部の平坦面直下には厚さ数mの赤色土壌を伴っているのが特徴的です。礫はいわゆる“くさり礫”になっています。
 この小原層の作る古扇状地(開析扇状地)の上に、出水砂礫層からなる現在の扇状地が形成されました。この出水砂礫層は、一番広い出水扇状地では、下位の出水面と上位の大野原面とに区別することが出来ます。ただし、この大野原面は出水扇状地以外では認められません。
 砂礫層からなる扇状地ですから、出水山地からの水は伏流してしまい、地下水位等高線図が示すように、河川近傍以外では乏水地帯です。古来、農民達は水の確保に苦労しました。
青線は五万石溝(文献7の略図から推定したもので不正確です)
(背景はシームレス地質図:クリックで地質解説表示)
出水扇状地の区分(西山ほか,1995)
地質断面図(A-A'は縦断面、B-B'は横断面)(西山ほか,1995)地下水位等高線図(村上,1967)

余談:五万石溝
五万石溝(水色)(出水郷土誌,1995)武家屋敷に残る五万石溝
 上述のように乏水地帯で農業を営むため、江戸時代からいくつかの疎水が造られました。郷士達の自力建設もありましたが、一番長大な五万石溝は、島津吉貴の命により建設されました。宝永年間(1704-1711)に着工し、20余年の歳月をかけて亨保19年(1734)に完成したのです。米ノ津川の上流下平野に井堰を築いて取水し、洗切海岸(西福ノ江)まで続く総延長20km、勾配1/5,000の用水路です。途中、隧道23個所、鍋野川と平良川の川底を掘り抜いた「底水道」が2個所あります。また、樋之谷川と神戸川のところで、水平交差する「移し川」も2個所あります。

文献:

  1. 出水郷土誌編集委員会編(1968), 出水郷土誌. 出水市役所, 891pp.
  2. 鹿児島県企画部(1970), 出水平野周辺の地下水分布と開発. 鹿児島県, 14pp.
  3. 鹿児島県工業開発研究グループ(1965), 鹿児島県の工業開発に関する調査基礎研究 : 第3年次 出水地区工業開発基礎調査報告. 鹿児島大学工学部研究報告, No.5, p.179-187.
  4. 九州農政局(1966), 出水平野地区地質調査関係資料. , 286pp.
  5. 村上 豊(1967), 鹿児島県出水地区の水資源について. 地質調査所月報, Vol.18, No.4, p.241-266.
  6. 西山賢一・横田修一郎・岩松 暉(1995), 鹿児島県出水平野の地質構造. 鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学), No.28, p.79-99.
  7. 田島秀隆(1956), 稲作と水利(五万石溝を中心に). 出水市立図書館, 39pp.

参考サイト:



初出日:2015/10/09
更新日:2020/11/28