地質学者の名前がついた地名

産総研シームレス地質図
地質図をクリックすると、地質解説がポップアップします。
桑水流淳二ほか(2004)の地質図
故波多江信広先生
 南さつま市の南西約70kmのところに宇治群島と呼ばれる無人島があります。宇治島(家島)・宇治向島・鮫島などいくつかの島々からなっています。1953年(昭和28年)5月27~31日、鹿児島大学による総合学術調査が行われました。地質・地形を担当したのが、文理学部波多江信広教授(後に初代理学部長)でした。悪天候と断崖絶壁に阻まれて大変な調査だったようです。まだ地形図もない時代、20万分の1地勢図を拡大して持参されたそうですが、地形が違っていて役に立たなかったそうです。地形図がなければ、当然地名もありません。一番大きな島・宇治向島の南端に「波多江岬」と命名されました。なお、波多江先生のご専門は白亜紀~古第三紀の地質および古生物で、とくにNummulites(貨幣石)という大型有孔虫の権威でした。
 波多江(1955)は、宇治群島の大部分は安山岩溶岩および安山岩質凝灰角礫岩からなるが、ここ波多江岬だけ、古期堆積岩層が露出していると述べ、産総研20万分の1地質図(2004)もこれを踏襲して、後期白亜紀姫浦層群相当層を不整合に覆って中新世~鮮新世の宇治草垣安山岩が広く分布するとしました。産総研シームレス地質図もこれに従っています。
 しかし、鹿児島県立博物館チームが実際に上陸して調査したところ、宇治向島の主部をこの堆積岩が占めていることが分かりました(右図)。

蛇足:
 波多江先生はもう一つ、地名を命名されました。第二次大戦中、先生はニューギニアの炭田調査に従事されました。『西イリアンの思い出』94ページに下記のように記されています。もちろん、今では使われていないことでしょう。

 ムヘラ山頂から北方にアルコビ山やセヨリ山の群峰が遠望され、南方には大樹海におおわれてはいるが大平原がひらけている。-(中略)-その調査の結果、適農地であることが報告された。この無名の大平原を便宜上波多江平原などと仮称した。
文献:
  1. 利光誠一・尾崎正紀・川辺禎久・川上俊介・駒澤正夫・山崎俊嗣(2004), 1:200,000地質図「甑島及び黒島」. 産業技術総合研究所地質調査総合センター, 1葉.
  2. 波多江信広(1955), 鹿兒島縣宇治群島および草垣島の地質. 地学雑誌, Vol.64, No.2, p.44-56.
  3. 波多江信広(1956), 宇治群島及草垣島の地質. 鹿兒島大学南方産業科学硏究所報告, Vol.1, No.1, p.1-12.
  4. 波多江信広(1978), 西イリアンの思い出. 川島書店, 210pp.
  5. 桑水流淳二ほか(2003), 宇治群島の自然調査報告(その2). 鹿児島県立博物館研究報告, No.22, p.1-58.
  6. 桑水流淳二ほか(2004), 宇治群島の自然調査報告(その3). 鹿児島県立博物館研究報告, No.23, p.1-20.


初出日:2014/12/06
更新日:2020/11/25