活断層研究前史活断層の定義鹿児島の活断層

 鹿児島の活断層

 活断層研究前史

Koto(1893)とほぼ同じ位置から撮った現在の根尾谷断層、右下が活断層記念館Koto(1893)の付図水鳥断層畑の左横ずれ変位(Koto,1893)
 大昔、地震は地下で鯰が動いた時に起こると考えられていましたが、明治になってもマグマが動いたためといった地震岩漿説などがありました。そうした時代の明治24年(1891)濃尾地震が発生、中京地帯に大被害が出ました。M8.4と言われ、陸上で起きた地震としては過去最大でした。この地震で根尾谷に断層が出現しました。早速、東京帝大地質学教室の小藤文次郎教授が現地調査に赴き、写真に撮って東大紀要に発表しましたので、地質学や地震学の教科書に転載され、世界的に有名になりました。水鳥みどりという集落でしたので、水鳥断層とも呼ばれます。この地点でのずれは、上下約6m、水平約4mです。水鳥だけでなく、全体としては全長約100kmに及ぶ巨大な左横ずれ断層でした。なお、小藤は水平変位も右図のように記載しています。この論文が地震と断層を結びつけて考えらるようになったきっかけとなりました。
 1906年サンフランシスコ地震(M8.3)が発生し、多大の被害を出しました。San Andreas Faultの一部450kmが最大6m変位したのです。B. Willis(1923)がこの地震を研究し、“Fault Map of California”を著しました。この中で“Dead fault”と“Active fault”とを区別しました。これが活断層の初見です。なお、この地震はReid(1911)の弾性反発説を生むきっかけになったとして有名です。
1906年加州地震の結果生じたる砂の小圓錐丘
サンフランシスコ市附近の地震學的活斷層砂岩脈と地震小圓丘の成因を説明する模型的斷面圖
鳥居と石段のところで1.5mずれた火雷神社(田代盆地)
田代盆地地形図(久野,1936)丹那盆地断層公園の露頭(左横ずれ2.6m)
 このActive faultを「活断層」として日本に広めたのは多田文男(1927)だということになっています。次のように定義しています。
 「極めて近き時代迄地殻運動を繰返した斷層であり今後も尚活動す可き可能性の大いなる斷層を活斷層と云ふ」
 しかし、その前に活断層という日本語を使った人がいます。多田の上司である東京帝大地理学教室の辻村太郎教授です。大正15年(1926)地理学評論2月号に、「他日活斷層(Active fault)の問題と共に再び日本に於ける實例に就て考へて見る積りである」と書いたのが、多分、本邦初見でしょう。辻村は無批判に導入するのに若干慎重でした(末尾参照)。同年の8月号に飛騨山脈の断層崖に関する論文を書き、次のように述べています。
 「活斷層なるものが單に一囘の地震によつて生じた斷層のみならず、頻繁に變位を繰り返すべき可能性のある、斷層面或は斷層帯(Fault zone)を意味するのであれば、變位の量が相當問題となる筈である。斷層による變位の總量が、多數の小斷層面に配分される特別の場合を除いては、地盤變動の結果が地形上に明瞭なる痕跡を留めるに違ひない。」
 変位の累積性と地形への反映を意識していました。
 教科書(翻訳書)を書いて、広く啓蒙したのはは本間不二男京都帝大教授です。R. A. Daily(1926)の"Our Mobile Earth"を『構造地質學講話』と題して昭和2年(1927)に出版しました。この中に“Fault Map of California”が図として引用されていますが、弾性反発説の解説はあるものの、活断層そのものについては詳しい解説はありません。なお、サンフランシスコ地震時の噴砂現象(砂火山)については、図まで付けて解説してあり、砂岩脈(砕屑岩脈)は地震の化石だと指摘しています。ただし、メカニズムについては、震動により割れ目が開き、そこに下層の水を含んだ砂が貫入した後、圧縮されて吹き上げたと述べ、液状化までは考えが及ばなかったようです。なお、関東地震(1923)やミシシッピー地震(1811,1812)でも海岸近くの沖積地で同様な現象が起こったと指摘しています。
 活断層という言葉が普及し始めた頃、東京―博多を弾丸列車で結ぶ構想のもと、丹那トンネルが掘られていました(1918年着工~1934年開通)。工事中の昭和5年(1930)北伊豆地震(M7.3)が発生、工事中のトンネルが2.7mもずれたのです。早速、火山学者久野久東京帝大助教授が調査に行きました。久野(1936)およびKuno(1936)は「嘗ては一續きであつたと考へられる谷の流路…が、丹那斷層を境にして皆同じ方向にしかも一様に約1粁づゝ喰違つて居る」こと、「熔岩の分布區域の境界線」もまた同じ方向にずれていることなどから、左横ずれで、かつ、南部では約100m以上隆起していると述べ、「北伊豆地震時の際の丹那断層の運動と其の性質が極めて類似して居る」と指摘しました。また、多賀火山の噴出年代を約50万年前と推定し、丹那断層の運動は2m/千年の速さで変位していると述べています。最後に、当時断層は正断層・逆断層などと垂直変位だけが注目されているとして、水平断層もあることを強調しています。現在の活断層学でしばしば使われる変位基準などについて先駆的に記載しており、卓見です。久野は著名な火山学者でしたが、構造地質学者ではありません。分野は違っても、鋭い観察眼と緻密な論理展開があれば、どこでも通用することを示している好例と言えましょう。
坂下における段丘の変位と
阿寺断層の変位ベクトル(杉村,1973)
中央日本の横ずれ断層群(杉村,1973)
 戦後、東京大学大塚弥之助教授の門下生らがネオテクトニクスという分野を切り拓きます。杉村 新・松田時彦らは根尾谷断層に平行な柳ヶ瀬断層や阿寺断層は、やはり同じ左横ずれ断層ではないかと予測し、現地に赴きます。岐阜県中津川市坂下で段丘が阿寺断層により見事に切られていました。丹念に測量し、変位を明らかにしました。その結果、高位段丘ほど、つまり古いほど変位量が大きいことが分かりました。このことは活断層の累積性を示しています。変位ベクトルを復元すると、一時的な例外はあるものの、一貫して左横ずれを示していました(Sugimura & Matsuda, 1965)。なお、その後、これら北西-南東系の断層群は左横ずれ、跡津川断層など北東-南西系の断層群は右横ずれということが分かりました。長い地質時代から見れば、第四紀はほんの一瞬です。両者が同一の応力場で形成されたものと考えて差し支えありません。そうなると、これらは共役断層であり、現在の日本列島は東西水平圧縮の応力場に置かれていることが分かります。これはプレートテクトニクス確立期におけるわが国からの重要な貢献の一つとなりました。なお、東京電力新高瀬川発電所建設に際して、オーバーコアリング法により、初期地山応力の測定が行われました。その結果は、やはり東西水平圧縮で、現在でも同一応力場にあることが力学的にも証明されました(御牧,1973)。
 その後、地形判読だけでなく、トレンチを掘って、実際にずれを確認する現在の調査法に進歩していきました。しかし、最近は、地層のずれを測定し、地層の絶対年代を求め、それから平均変位速度を求める、最新の活動時期を特定する、といったパターン化・ルーチン化の傾向が見受けられます。断層破砕帯の物質科学的な研究も求められているのではないでしょうか。Active faultとdead faultで、どこが本質的に違うのか知りたいところです。

 活断層の定義

 多田(1927)の定義が曖昧だったため、その後も定義について議論が行われています。「極めて近き時代」を第四紀(約260万年前)に動いたものすべてを活断層とする広義の考え方もあります。それではあまりに膨大になります。以下、代表的な機関の定義を見てみましょう。
産総研活断層データベース約10万年前以降に繰り返し活動した痕跡のある断層
国土地理院都市圏活断層図特に数十万年前以降に繰り返し活動し、将来も活動すると考えられる断層
地震調査研究推進本部今後30,50,100年以内の地震発生確率等で評価
原子力安全委員会規定第四紀(約180万年前以降)に活動した断層であって、将来も活動する可能性のある断層
原子力規制委員会耐震指針1978年旧耐震指針では5万年前以降としていたものを、2006年に後期更新世(13~12万年前)以降の活動が否定できないものに拡張、さらに2013年、必要な場合は中期更新世以降(約40万年前以降)まで遡って活動性を評価するとした

 鹿児島の活断層

 鹿児島県内にある活断層として産総研の活断層データベースにあるのは下記の通りです。
産総研活断層データベース
活動セグメント名長さ
[km]
断層型平均変位速度
[m/千年]
単位変位量
[m]
平均活動間隔
[千年]
最新活動時期
(西暦)
出水21右横ずれ0.32.48.1-5300~
-679
鹿児島湾東縁170.0---
鹿児島湾西縁160.0---
花里崎-田ノ脇(種子島)14左横ずれ0.11.61.60-
尾之間(屋久島)180.12.121.0-
トビヨ崎(喜界島)131.01.51.5-
五反田(いちき串木野)230.0---
鬼門平(指宿)111.01.31.3-
 このうち、出水断層帯が活動度B級とされ、県内では一番活動度が高いこと、鹿児島湾西縁断層は活動度は低いのですが、県都直下にあること、などの理由で、1998年~2000年、当時の科学技術庁の予算で鹿児島県により調査が行われました。報告書は参考サイトに全文載っています。
 まず気になる鹿児島湾西縁断層ですが、地下深部に存在するとしても、少なくとも最近の活動はなく、当該断層を起震断層として考慮する必要はないものと判断されました。
 次は出水断層帯です。出水断層帯は、西側から、内木場・宇都野々・矢筈峠の3セグメントからなりますが、内木場東トレンチにおいて、断層は、姶良Tnテフラ層準の礫層に変位を与え、アカホヤテフラ層準の礫層に覆われていることが確認されました。このことから、本地点における出水断層帯の最新活動時期は、約29,000年前以降、約7,300年前以前となります。
出水断層帯のトレンチ

文献:

  1. 千田 昇・中田 高(2012), 1:25,000都市圏活断層図 出水断層帯とその周辺. 国土地理院技術資料, D1-No.606, 22pp.
  2. Daly, R. A.(1926), Our mobile earth. Charles Scribner's Sons, London, 342pp.
  3. 原子力安全・保安院(2009), 九州電力株式会社川内原子力発電所1号機耐震設計審査指針の改訂に伴う耐震安全性評価(評価の中間とりまとめ)
  4. 池田安隆・島崎邦彦・山崎晴雄(1996), 活断層とは何か.東京大学出版会.220pp.
  5. 活断層研究会(1980), 日本の活断層―分布図と資料. 東京大学出版会, 363pp.
  6. 活断層研究会(1991), 新編 日本の活断層―分布図と資料. 東京大学出版会, 437pp.
  7. Koto, B.(1893), On the cause of the great earthquake in central Japan. Jour. Coll. Sci., Imp. Univ. Tokyo, Vol.5, No., p.295–353.
  8. 久野 久(1936), 最近の地質時代に於ける丹那斷層の運動に就いて. 地理学評論, Vol.12, No.1, p.18-32.
  9. Kuno, H.(1936), On the Displacement of the Tanna Fault since the Pleistocene. Bull. Earthq. Res. Inst., Vol.14, No.1, p.223-232.
  10. 九州活構造研究会(1989), 九州の活構造., 東京大学出版会, 553pp.
  11. 御牧陽一(1973), 新高瀬川発電所地点における初期地圧の測定結果について. 土木学会第8回岩盤力学に関するシンポジウム講演概要, p.67-71.
  12. 中田 高(1968), 種子島の海岸段丘と地殻変動. 地理学評論, Vol.41, No.10, p.601-614.
  13. 及川輝樹・石塚 治(2011), 地域地質研究報告「熱海地域の地質」. 産総研地質調査総合センター, 61pp.
  14. レジナルド・エ・デール著,本間不二男譯(1927), 構造地質學講話. 古今書院, 344pp.
  15. Reid, H. F. (1910), Report on the Mechanics of the California Earthquake of April 18, 1906. Pub. No.87, Carnegie Institute of Washington, Vol.2, 218pp.
  16. Sugimura, A. & Matsuda, T.(1965), Atera Fault and Its Displacement Vectors. GSA Bull, Vol.85, No.3, p.796-807.
  17. 杉村 新(1973), 大地の動きをさぐる. 岩波書店, 236pp.
  18. 多田 文男(1927), 活斷層の二種類. 地理学評論, Vol.3, No.10, p.980-983.
  19. THE STATE EAETHQUAKE INVESTIGATION COMMISSION(1908), THE CALIFORNIA EARTHQUAKE OF APRIL 18, 1906., REPORT OF THE STATE EAETHQUAKE INVESTIGATION COMMISSION, 192pp.
  20. 辻村太郎(1926), 斷層谷の性質竝びに日本島一部の地形學的斷層構造(豫報) (一). 地理学評論, Vol.2, No.2, p.130-152.
  21. 辻村太郎(1926), 斷層谷の性質竝びに日本島一部の地形學的斷層構造(豫報) (二). 地理学評論, Vol.2, No.3, p.192-218.
  22. 辻村太郎(1926), 飛騨山脈の北端に於ける斷層崖の一形式. 地理学評論, Vol.2, No.8, p.679-695.
  23. Willis, B.(1923), A Fault Map of California. Bull. Seism. Soc. Amer., Vol.13, p.1-12.
参考サイト:
<参考>
辻村太郎(1926), 地理評, 2(2),p.143
 此の點に關してはシュナィダー H. Schneider(1925) の記したウェーサッチ斷層崖下の扇状地堆積下に埋没して居る斷層面、ローソン A. C. Lawson(1912) の觀察したシエラネヴァダ斷層崖下の新斷層面等を參考資料として他日活斷層(Active fault)の問題と共に再び日本に於ける實例に就て考へて見る積りである。

辻村太郎(1926), 地理評, 2(3), p.196
 最も信ずべき比較材料は云ふまでもなくウィリス B. Willis(1923) 其他の研究によるFault map of California である。然しながら該圖に於て區別されて居る所謂活斷層(Actve fault)に就てはウード H. O. Wood (1923) ウィリス B. W ilis(1923) テーバー S. Taber(1923) 及びロビン・ウィリス R. Willis(1925) 等の意見を見ても未だ矛盾と思はれる點も少く無いから、更に嚴密な定義が決まる迄は直ちに本邦の断層系に適用せず、此の問題に關しては近き將來に於て別に論ずることゝして、此所では假に不問に附して置いた。

辻村太郎(1926), 地理評, 2(8), p.692
 活斷層なるものが單に一囘の地震によつて生じた斷層のみならず、頻繁に變位を繰り返すべき可能性のある、斷層面或は斷層帯(Fault zone)を意味するのであれば、變位の量が相當問題となる筈である。斷層による變位の總量が、多數の小斷層面に配分される特別の場合を除いては、地盤變動の結果が地形上に明瞭なる痕跡を留めるに違ひない。
 即ち斷層崖形状の存在は、一般に活斷層の探究に際しても無視することが出來ない。勿論ウイリス B. Wills 其他が論じてゐる、加州に於ける活斷層の或るものに於けるやうなリフト性質〔Bull. Seism. Soc. Amer., 7, 1917, 131; 11, 1921, 136-139; 13, 1923. 1-12〕卽ち水平移動を主とする變位に於ては、問題がやゝ別であるけれども、此の場合に於てすら、屡ば立派な斷層崖を伴つてゐることはローソン A. C. Lawson〔The California Farthquake of April 18, 1906, Vol.1, Part 1, Washington 1908〕其他の記載する所によつて明らかである。



初出日:2015/07/13
更新日:2020/11/25