テフラと考古学薩摩塔の由来胎土分析地中レーダー探査

 地質学と考古学

 地質学と考古学は密接な関係があります。考古学は19世紀イギリスの地質学者Augustus Pitt-Rivers(1827-1900)によって始められたと言われています。わが国では明治10年(1877)のEdward Sylvester Morse(1838-1925)による大森貝塚発掘を嚆矢としています。しかし、モースは本来動物学者でしたから、東京大学には根づかず、大正6年(1917)、京都帝国大学文学部に考古学講座が最初に設立されます。初代教授は浜田耕作でした。浜田が東京帝国大学哲学科美学の出身だったためか、わが国では考古学講座は文学部に置かれ、一方密接な関係のある人類学は理学部に置かれるのが通例となりました。浜田(1922)は地質学との関係について、「地質学(Geology)は先史考古学に於いて特に其の関係切要なるを見る」と述べ、層位学的方法の重要性や石製遺物の岩石学的鉱物学的検討の重要性を指摘しています。
 近年では、テフラを用いた層序区分の厳密化、C14年代決定、プラントオパールなど花粉学による環境推定、第四紀学的な環境復元、各種分析機器を使用した遺物の産地特定など、考古学の近代化に貢献していますし、一方で、考古学的な成果を古地震学に反映させるなど、恩恵も受けています。

 テフラと考古学

倒壊家屋内(奥に細粒成層火山灰層が見える)
倒壊した屋根部分橋牟礼川遺跡のテフラと考古遺物(成尾・下山,1996)
(赤字の年代は奥村,2002の値を追記)
 県立武岡台高校の成尾英仁氏はテフラ層序学の立場から、鹿児島県内の遺跡調査に数々の貢献をしておられます。ここでは指宿市の橋牟礼川遺跡を例に挙げましょう。この遺跡は、縄文時代と弥生時代の前後関係が明らかになったところとして有名で、国の史跡に指定されています。一方で、開聞岳の貞観噴火(874)で被災した東洋のポンペイとしても有名です。
 開聞岳テフラについては、桑代(1966)が24層識別し、中村(1967)も18層に分けました。藤野・小林(1997)は12層に区分しています。成尾は大きく4つの主要活動時期を認めました。開聞岳のテフラは地元ではコラと呼ばれています。元々「固い物」を指す言葉だったそうですが、文字通り火山灰が固化して大変固く、吸水性が悪い特徴があります。そのため、農耕には適さず、コラの排土が必要でした。
 成尾・下山(1996)によれば、貞観噴火時の火山礫質火山灰(紫コラ)は建物の外側に厚く積もっていますが、家屋内にはありません。家屋内に堆積しているのは同質の細粒成層シルトです。このことから、火山礫は屋根から落ちて家屋周辺に堆積したものの屋内には侵入できなかったが、その後、降雨により発生した泥流が屋内に侵入、屋根に積もった火山灰の重みで家屋は倒壊した、と推定しています。その他、紫コラに覆われた畑跡が多数見つかっています。盛んに農業が営まれていたのでしょう。
 なお、紫コラ中の植物化石から、噴火は春に起こったことがわかっており、文献の日時(西暦874年3月25日)と良く合います。

 薩摩塔の由来

中国寧波市梅園石石切場(大木,2011による)
薩摩塔(南九州市水元神社)梅園石(赤)と坊津薩摩塔(靑)および大村薩摩塔(黒)
のX線回折パターン(大木,2011による)
 鹿児島には薩摩塔と呼ばれる特殊な仏塔があります。その他、長崎・佐賀など北西部九州に散見されます。1950年代に京都大谷大学斎藤彦松教授が「薩摩塔」と命名されたのだそうです。薩摩塔については製作年代・意図・宗教的意義など不明な点が多く、謎だらけです。高津ほか(2010)の定義によれば、「屋根(笠)・仏龕・須弥壇(須弥座)の組み合わせを基本構造とし、壺形の龕部の中に本尊となる仏像を浮彫りし、須弥壇の上部に高欄意匠を施し、その下に四天王を浮彫りにするタイプの石塔」で、製作年代は12~14世紀頃と考えられています(高津ほか,2010)。石材は細粒凝灰岩ですが、南九州と北西部九州という中国との交流拠点に分布することから、商人が中国から運んだのではないかと、説がありました。そこで、大木ほか(2010)は、中国寧波市の梅園石(白亜紀の凝灰岩)と坊津輝津館の薩摩塔および長崎県大村市の薩摩塔の石材を高速X線回折装置で分析しました。図のように、これら3者はピタリと一致し、同一と判明しました。
 なお、薩摩塔は仏塔ではなく道教系の全真教との関連を説く説もあります(窪,2013)。

 胎土分析

 土器や陶磁器を作成する際に用いる土を胎土と言います。胎土に含まれる鉱物や諸成分を分析することによって、土器や陶磁器の産地を特定することが可能になります。陶磁器(焼き物)は一般に「瀬戸物」と言われますが、狭義には愛知県瀬戸市の瀬戸焼のことです。それくらい瀬戸では1000年も前から焼き物が盛んでした。それはこの地方には木節(きぶし)粘土・蛙目(がえろめ)粘土といった優れた陶土が産出するからです。
 先史時代の土器も同様、胎土を分析することによって、産地を特定することが出来ます。鹿児島国際大学考古学研究室は、蛍光X線回折装置などの先端機器を導入して、胎土分析の一つの拠点になっています。全国各地に窯跡が残るのは須恵器だけです。三辻ほか(2013)は蛍光X線スペクトルを比較した結果、K, Ca, Rb, Srが地域差を示し、K-Ca, Rb-Srの両分布図で窯跡群ごとにグループ分けすることに成功しました。福岡県の朝倉遺跡では、地元産だけでなく、大阪府和泉陶邑のものが多数あることがわかりました。和泉陶邑は古墳時代最大の須恵器生産地で、各地に移出されていたのです。
 両者とも花崗岩起源の粘土を使っていたものと思われますが、和泉は後期白亜紀の領家花崗岩(60Ma~90Ma)、朝倉は後期白亜紀前半の朝倉花崗岩(95.2+4.8Ma)と原岩が異なります。花崗岩の分類にはいろいろありますが、堆積岩の部分溶融により生じたS型花崗岩と、マグマの結晶分化により生じたI型花崗岩とに大別する方法があります。前者はS型、後者はI型なのです。
土器の型式(背景図はシームレス地質図:クリックで地質解説表示)
 一方、胎土中の鉱物に注目した研究もあります。東(2011)は、鹿児島県内の遺跡から発掘される土器について、土器型式と胎土中の鉱物の関係を論じました(右図参照)。大きく、次の3つに分類されるそうです。
  金色雲母(→phlogopite?)
前平式土器(加栗山タイプ:縄文時代早期前半, 9500年前)・下剥峰式土器(辻タイプ:縄文時代早期中半, 8500年前)・平栫式土器(縄文時代早期後半, 7500年前)・丸尾式土器(縄文時代後期中半, 3500年前)・大隅半島の黒川式土器(縄文時代晩期, 3000年前)・入来Ⅱ式土器(弥生時代中期初頭, 2200年前)・山ノ口式土器(弥生時代中期後半, 2000年前)・高付式土器(弥生時代後期前半, 1900年前)・大隅半島の成川式土器(古噴時代, 4~6世紀)・屋久島の各時期の土器・甑島の各時期の土器・奄美諸島の一部の土器
  角閃石(→amphibole)
中原式土器(縄文時代早期前半,9000年前)・深浦式土器(縄文時代中期初頭, 4800年前)・船元式系土器(縄文時代中期初頭, 4800年前)・西平式土器(縄文時代後期中半, 3700年前)・山間部の弥生式土器(弥生時代中期初頭, 2200年前)・土師器甕(古代, 9~11世紀)
  滑石(→talc, kaolinite? halloysite?)
轟式土器(縄文時代前期前半, 6000年前)・曽畑式土器(縄文時代前期後半, 5500年前)・春日式土器(北手牧段階・前谷段階・轟木ヶ迫段階・南宮島段階:縄文時代中期中半~中期後半, 4700~4300年前)・中尾田Ⅲ類土器(縄文時代中期後半, 4300年前)・並木式土器(縄文時代中期後半, 4300年前)・阿高式土器(縄文時代中期末, 4200年前)・南島の中世土器(中世, 12~14世紀)
 この論文に挙げられた土器型式と時代をもとに、埋蔵文化財情報データベースから遺跡を機械的に抽出し、シームレス地質図に落としたものが右図です。
 一般に、造岩鉱物のうち有色鉱物に注目すると、流紋岩や花崗岩など酸性岩では雲母が、安山岩・閃緑岩など中性岩では角閃石が、玄武岩や斑糲岩など塩基性岩では輝石やカンラン石が含まれます。鹿児島の場合、流紋岩質のシラスが県本土の6割も覆っていますし、花崗岩も結構広く分布していますから、雲母が多く含まれているのは分かります。火山岩は安山岩質のものがほとんどですので、その周辺では角閃石が胎土中に入ってくるでしょう。滑石というのは何を指すか分かりませんが、出水付近に多いのは、いわゆる“くさり礫”などを含む更新世の小原層が広く分布しているので、粘土鉱物がたくさん含まれるからではないでしょうか。

蛇足:
木節粘土:粘土層の中に炭化した木片を含むので、この名が付けられています。カオリン鉱物を主成分とする細かい粘土粒子の集合したもので、有機物を含むために褐色、暗褐色、灰色などの呈色をしています。
蛙目粘土:粘土中に混在する石英粒子が、雨に濡れた時に蛙の目玉のよう見えるので、名付けられたといわれています。一般に水に懸濁させて水簸(すいひ)(分級)し、石英や雲母などの不純物を除いてから使用します。

日本セラミックス協会による

 地中レーダー探査

指宿市敷領遺跡における平安時代の水田跡
(阿児ほか,2011)
 地震探査・電気探査・電磁波探査などの物理探査は地質学でしばしば使われる地盤調査法の一つです。そのうち探査深度が浅く分解能の良いものが、考古学に応用されています。地中レーダー探査もその一種で、電磁波(パルス波)を地中に向けて放射し、跳ね返ってくる反射波の走時を測定することによって、地中の様子を探査する方法です。低い周波数ほど深くまで伝播しますが、分解能の問題が出てきます。一般に、遺跡調査に用いられる周波数は100~500MHzです。
 走時断面図だけでは判読しにくいので、複数断面からある一定の深度を抽出して二次元で表した地中レーダー平面図(タイムスライス図)を作成して地下構造を推定します。右図は指宿市の敷料遺跡です。874年の開聞岳貞観噴火で埋まった水田の畝跡がよくわかります。
 なお、原理は違いますが、電極間隔を短くした高密度電気探査が使われることがあります。鹿大構内の荒田遺跡でも竪穴住居跡が見つかりました。

全般的な文献

  1. 全国地質調査業協会連合会(2001), 地質と調査 小特集「地質学から見た考古学」. 地質と調査, No.89,

橋牟礼川遺跡の文献:

  1. 藤野直樹・小林哲夫(1992), 開聞岳起源のコラ層の噴火・堆積様式, 鹿児島大学理学部紀要. 地学・生物学 Vol.25 p.69-83.
  2. 浜田耕作(1922), 通論考古学. 太鐙閣/東京, 230pp.
  3. 鬼頭 剛(2004), 考古学と地質学間に生じた層序認識の違いとその原因―地質学研究者の視点から―. 愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター研究紀要, No.5, p.79-88.
  4. 桑代 勲(1966), 新期ロームのうち(A)開聞岳噴出物について. 知覧文化, No.3, p.85-106.
  5. 中村真人(1967), 開聞岳の火山噴出物と火山活動史: とくに噴出物の量と時代関係について. 火山第2集, Vol.12, No.3, p.119-131.
  6. 成尾英仁・下山 覚(1996), 開聞岳の噴火災害―橋牟礼川遺跡を中心に―. 名古屋大学加速器質量分析計業績報告書, VII, p.60-69.
  7. 奥野 充(2002), 南九州に分布する最近約3万年間のテフラの年代学的研究. 第四紀研究, Vol. 14, No.4, p.225-236.
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薩摩塔の文献
  1. 高津孝・橋口亘・大木公彦(2010), 薩摩塔研究 : 中国産石材による中国系石造物という視点から. 鹿大史学, 57: 25-38.
  2. 高津孝・橋口亘(2008), 薩摩塔小考. 南日本文化財研究, 7: 20-33.
  3. 大木公彦・古澤明・高津孝・橋口亘・内村公大(2010), 日本における薩摩塔・碇石の石材と中国寧波産石材の岩石学的特徴に関する一考察. 鹿児島大学理学部紀要, 43: 1-15.
  4. 大木公彦(2011), 薩摩塔石材は中国寧波産梅園石. 鹿児島大学総合研究博物館newsletter, No.28, 4-7.
  5. 井形進(2011), 薩摩塔の時空と背景. 第85回九州藝術学会発表要旨
  6. 窪壮一朗(2013), 薩摩塔と全真教. 1-14.
胎土分析の文献
  1. 藤井紀之(1963), 日本の耐火粘土. 地質ニュース, No. 102, p.9-18.
  2. 橋本達也編(2011), やきものづくりの考古学―鹿児島の縄文土器から薩摩焼まで―. 鹿大総合研究博物館, 50pp.
  3. 東 和幸(2011), 胎土が発する土器の情報. 橋本達也編「やきものづくりの考古学―鹿児島の縄文土器から薩摩焼まで―」, p.45-48.
  4. 久保和也・松浦浩久・尾崎正紀・牧本 博・星住英夫・鎌田耕太郎・広島俊男(1993), 20万分の1地質図幅「福岡」. 地質調査所
  5. 栗本史雄・牧本 博・吉田史郎・高橋裕平・駒澤正夫(1998), 20万分の1地質図幅「和歌山」. 地質調査所
  6. 三辻利一・中園 聡・平川ひろみ(2013), 土器遺物の考古科学的研究. 分析化学, Vol.62, No.2, p.73-87.
  7. 村上允英(1989), 北九州地域産白亜紀花崗岩類の放射年代に関する2,3の新資料. 別府大学紀要, No.30, p.10- 17.
地中レーダーの文献
  1. 阿児雄之・亀井宏行・鷹野光行・新田栄治・指宿市教育委員会(2011), 探査と発掘で描き出す874年の集落像―鹿児島県指宿市敷領遺跡―. 地理情報システム学会研究発表大会 特別セッション(2):人文フィールドGIS の現在・未来,
  2. 浜島多加志・西村 康・川野邊渉(1989), 遺跡探査法の再検討. 考古学と自然科学, No.21, p.45-56.
  3. 東 憲章・竹中正巳(2007), 地中レーダーを利用した遺跡探査 : 宮崎県西都市常心原地下式横穴墓群、鹿児島県西之表市小浜遺跡、南種子町広田遺跡について. 南九州地域科学研究所所報, No.23, p.15-21.
  4. 亀井宏行(2009), 地下遺構の可視化. 宇宙航空研究開発機構特別資料: 第4回学際領域における分子イメージングフォーラム, 3pp.
  5. 薩摩ものづくり研究会(2011), 集成館熔鉱炉(洋式高炉)の研究. 薩摩藩集成館熔鉱炉跡発掘調査報告書, 197pp.
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  7. (),

参考サイト:


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更新日:2016/01/10
更新日:2019/01/20