万之瀬川導水

 昭和30年代、「もはや戦後ではない」と言われ、わが国は高度経済成長へ向けてひた走りに走り始めました。当時は、就業人口の過半数が農民でした。沿岸部にコンビナートを造り、彼らを吸収、工業化によって豊かな国を目指したのです。鹿児島でも臨海工業地帯を創出する構想が出されます。1958年のことです。ターゲットは谷山の沿岸部埋立でした。1963年に金属団地の造成に着手、次いで、木材団地、二号用地、三号用地、一号用地と次々に造成され、全部が竣工したのは1979年のことでした。石川島播磨重工業をはじめ、多くの重工業を誘致しようとしました。コンビナートを運営していくためには同時に工業用水も必要ですが、谷山には大きな河川がありません。そこで、山を越えて、東シナ海側の万之瀬川から導水することが考え出されます。総導水延長は20.60km、このうちトンネル区間は9.55kmで、平川動物公園奥にある平川浄水場まで送水する計画でした。トンネル部分は地質図に表示されているように、南九州市岩屋公園から平川までです。1982年着工し、1989年に通水しました。
 しかし、企業誘致はうまく行かず、大企業の進出はありませんでしたが、桜島大規模噴火などで甲突川・稲荷川水系からの取水が機能しなくなった場合の、貴重なバックアップ水源になります。
万之瀬導水路岩屋坑口産総研シームレス地質図(空色が導水トンネル)
第3工区(平川寄り3,278.7m)の地質断面図(古川ほか,2004)

 トンネルの地質と問題点

 地質は地質図に示されているように、白亜紀付加体の四万十層群とそれを覆う入戸火砕流堆積物からなります。火砕流の下部は溶結しています。トンネル自体は四万十層群を掘り抜くので全体としては良好な岩盤だと予想されていましたが、当初から、付加体に伴う破砕(断層)による落盤・出水と、万之瀬川の支流五位野川がトンネル上部を横断することから来る湧水が心配されていました。断面図は第3工区ですが、TD1446.3m地点で天盤が崩落し、多量の高圧湧水と共に土砂も流出しました。流出土砂は断層角礫など断層破砕岩でした。つまり、断面図のT5衝上断層が、五位野川からの滲出水を遮断していたところを掘り抜いたため、高圧水が噴出したのです。
 ではこうした断層の位置を事前の地表踏査や物理探査で予測できるかというと、付加体の場合は大変難しいのが実情です。やはり先進ボーリングを併用しながら、情報化施工をしていくことが今後の課題になるでしょう。
掘削時の坑内の様子(田口修氏撮影・提供)

文献:

  1. 古川和代・武野晟夫・田口 修(2004), 山岳トンネルにおける湧水の予測と掘削結果―万之瀬川導水路2号トンネルの例―. GET九州. No.25, p.8-12.
  2. 西村富明(2007), 検証、鹿児島・奄美の戦後大型公共事業. 南方新社. 292pp.
  3. 瀬筒純雄・田中 健・大俣敏文・肥後満朗(1988), 25kgf/cm2の高水圧と毎分14.5m3の大湧水を克服―万之瀬川導水路2号トンネル―. トンネルと地下. Vol.19, No.8, p.29-36.
  4. 田口 修(1990), 断層多亀裂帯を通過する山岳トンネルの調査と追跡調査結果. 第7回日本応用地質学会九州支部研究発表会. p.38-42.
  5. (), . . Vol. No., p..
  6. (), . . Vol. No., p..
参考サイト


初出日:2015/09/28
更新日:2020/12/01