薩摩街道―藩政時代のインフラ
ローマ式敷石舗装道路(ポンペイ遺跡) |
ローマ街道断面図(文献5正誤表による) |
それでは、そのローマ街道はどのような造りになっていたのでしょうか。塩野(2001)の断面図をご覧ください。①最下層(statumen)は、厚さ30cmの砂利です。排水を考えたのでしょう。湿地帯ではこの下に木杭を隙間なく打ち込んだと言われています。②第二層(rudus)は、石と砂利と粘土質の土を混ぜ合わせたものです。③第三層(nucleus)は砕石で上面を緩い凸型に整形しました。この①~③の路盤全体で厚さ1~1.5mもありました。仕上げは④最上層(pavimentum)で一辺が70cmもある大石を隙間なく敷き詰め、ツルツルの状態にしました。路面は弓なりですから、当然、水は横の排水溝に流れ、水浸しになることはありません。この車道が対向2車線の4m強あり、外側に約3mの歩道がありました。さらにその外側には広い樹木のない安全地帯をとりました。樹木の根が路盤に侵入して道路を破壊することを恐れたのです。なお、街道は車が通りやすいように極力平坦を保つよう、かつ、なるべく直線状になるよう建設されました。当然、崖を削ったりトンネルも掘ります。橋も太鼓橋ではなく、平坦にしました。橋は道路の延長と考えられていましたので、もちろん敷石舗装です。要するにローマ街道は、現在の高速道路に当たっていたのです。なお、使用する石は付近の山から調達したのでしょうが、硬い砂岩・頁岩や玄武岩が多いようです。
現在、観光でお目にかかるローマ街道は丸まっこい石が敷き詰められてデコボコしていますが、これは後世メンテナンスを怠ったためで、ローマ時代には維持管理は皇帝の重要な勤めでした。
白銀坂 |
龍門司坂 |
白銀坂断面図(文献1による) |
余談:
高速自動車国道は計画および整備中の路線を含め、全国に43路線、延長11,520kmあります。一般国道自動車専用道路を含めてもローマ街道には及びません。なお、悪名高きベルリンの壁は155km、イスラエルが建設中の西岸地区分離壁は完成すると708kmになるそうです。
文献:
- 姶良町教育委員会(2004),歴史の道大口筋白銀坂保存整備報告書, 姶良町教育委員会, 164pp.
- 鹿児島県教育委員会(1993), 歴史の道調査報告書 ; 第1集 出水筋, 鹿児島県教育委員会, 360pp.
- 鹿児島県教育委員会(1994), 歴史の道調査報告書 ; 第2集 大口筋・加久藤筋・日向筋, 鹿児島県教育委員会, 306pp.
- 三木 靖・ 向山勝貞編(2003), 薩摩と出水街道, 吉川弘文館, 279pp.
- 塩野七生(2001), ローマ人の物語Ⅹ すべての道はローマに通ず. 新潮社, 306pp.
- 竹村公太郎(2014), 日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民俗篇. PHP文庫, 413pp.
- 吉田町教育委員会(2004),歴史の道大口筋白銀坂保存整備報告書, 吉田町教育委員会, 64pp.
薩摩の主要街道
赤線は参勤交代の通路として使われた出水筋、靑線は大口筋、紫線は加久藤筋、緑線は日向筋(高岡筋)です。
(文献2,3の古い5万分の1地形図から転記しました。細部には誤りも多いと思います。ご容赦願います。)
印は蒲生麓と藺牟田麓を結ぶ地方道の姶良市史跡「掛橋坂」です。
初出日:2015/03/30
更新日:2019/06/01