薩摩街道―藩政時代のインフラ

ローマ式敷石舗装道路(ポンペイ遺跡)
ローマ街道断面図(文献5正誤表による)
 インフラ(infrastructure)はラテン語のinfra(下部・基盤)とstructura(構造・建造)とからなる合成語ですが、最近出来た言葉で、古代ローマにはありませんでした。塩野(2001)によれば、それに相当する語はmoles necessaie(人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業)だそうです。ローマ人は兵站で勝ったとか、敗者を同化することで200年もの「ローマの平和(Pax Romana)」を達成したと言われています。その手段の一つが街道や水道の建設でした。軍団兵を非戦闘時に使って、帝国の隅々にまで街道のネットワークを張り巡らしたのです。「すべての道はローマに通ず」と言われました。幹線だけで8万km、支線まで加えると実に15万kmにも達しました。ちなみに万里の長城は5,000kmです。もちろん、ローマ街道の第一の目的は軍用道路です。部隊をどこへでも軍団基地から迅速に派遣できました。第二は、通行料を無料にして、物流の大動脈としたことです。交易が盛んになれば豊かになります。かつての敗者もローマ化したほうが幸せを享受できました。荒々しい狩猟民族がおとなしい農耕民族になったのです。
 それでは、そのローマ街道はどのような造りになっていたのでしょうか。塩野(2001)の断面図をご覧ください。①最下層(statumen)は、厚さ30cmの砂利です。排水を考えたのでしょう。湿地帯ではこの下に木杭を隙間なく打ち込んだと言われています。②第二層(rudus)は、石と砂利と粘土質の土を混ぜ合わせたものです。③第三層(nucleus)は砕石で上面を緩い凸型に整形しました。この①~③の路盤全体で厚さ1~1.5mもありました。仕上げは④最上層(pavimentum)で一辺が70cmもある大石を隙間なく敷き詰め、ツルツルの状態にしました。路面は弓なりですから、当然、水は横の排水溝に流れ、水浸しになることはありません。この車道が対向2車線の4m強あり、外側に約3mの歩道がありました。さらにその外側には広い樹木のない安全地帯をとりました。樹木の根が路盤に侵入して道路を破壊することを恐れたのです。なお、街道は車が通りやすいように極力平坦を保つよう、かつ、なるべく直線状になるよう建設されました。当然、崖を削ったりトンネルも掘ります。橋も太鼓橋ではなく、平坦にしました。橋は道路の延長と考えられていましたので、もちろん敷石舗装です。要するにローマ街道は、現在の高速道路に当たっていたのです。なお、使用する石は付近の山から調達したのでしょうが、硬い砂岩・頁岩や玄武岩が多いようです。
 現在、観光でお目にかかるローマ街道は丸まっこい石が敷き詰められてデコボコしていますが、これは後世メンテナンスを怠ったためで、ローマ時代には維持管理は皇帝の重要な勤めでした。
白銀坂
龍門司坂
白銀坂断面図(文献1による)
 さて、日本ではどうでしょうか。平安時代の一時期、都では牛車などが使われたこともありますが、日本は地形が急峻なためか、明治になるまで、物資の輸送は専ら水運に頼り、あまり車を使いませんでした。薩摩街道も参勤交代の道である出水筋、それに大口筋・加久藤筋・日向筋などがありました。土を踏み固めただけの道で、坂道だけ石畳にしました。有名なのが大口筋の白銀坂(しらかねざか)(鹿児島市・姶良市)と龍門司坂(たつもんじざか)(姶良市)です。前者は近くで採れる安山岩を、後者は溶結凝灰岩を使っています。急勾配のところは石段になっていますし、ローマ街道のように厚い路盤もありませんから、車のことは念頭になく、浸食防止が目的だったのでしょう。

余談:
 高速自動車国道は計画および整備中の路線を含め、全国に43路線、延長11,520kmあります。一般国道自動車専用道路を含めてもローマ街道には及びません。なお、悪名高きベルリンの壁は155km、イスラエルが建設中の西岸地区分離壁は完成すると708kmになるそうです。

文献:

  1. 姶良町教育委員会(2004),歴史の道大口筋白銀坂保存整備報告書, 姶良町教育委員会, 164pp.
  2. 鹿児島県教育委員会(1993), 歴史の道調査報告書 ; 第1集 出水筋, 鹿児島県教育委員会, 360pp.
  3. 鹿児島県教育委員会(1994), 歴史の道調査報告書 ; 第2集 大口筋・加久藤筋・日向筋, 鹿児島県教育委員会, 306pp.
  4. 三木 靖・ 向山勝貞編(2003), 薩摩と出水街道, 吉川弘文館, 279pp.
  5. 塩野七生(2001), ローマ人の物語Ⅹ すべての道はローマに通ず. 新潮社, 306pp.
  6. 竹村公太郎(2014), 日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民俗篇. PHP文庫, 413pp.
  7. 吉田町教育委員会(2004),歴史の道大口筋白銀坂保存整備報告書, 吉田町教育委員会, 64pp.

 薩摩の主要街道


赤線は参勤交代の通路として使われた出水筋、靑線は大口筋、紫線は加久藤筋、緑線は日向筋(高岡筋)です。
(文献2,3の古い5万分の1地形図から転記しました。細部には誤りも多いと思います。ご容赦願います。)
印は蒲生麓と藺牟田麓を結ぶ地方道の姶良市史跡「掛橋坂」です。


初出日:2015/03/30
更新日:2019/06/01