五大石橋の石材
西田橋拓本(西田橋を拓本でのこす会) |
名称 | 竣工 | アーチ石 | 壁石・橋面 | 高欄 |
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玉江橋 | 嘉永2年(1849) | 小野石 | 小野石 | 小野石 |
新上橋 | 弘化2年(1845) | 小野石 | 小野石 | 小野石 |
西田橋 | 弘化3年(1846) | 小野石 | 小野石 | 河頭石 |
高麗橋 | 弘化4年(1847) | 小野石 | 反田土石 | 反田土石 |
武之橋 | 嘉永元年(1848) | 花棚石・反田土石・小野石など | 反田土石 | 反田土石 |
五大石橋はいずれも溶結凝灰岩が使われていますが、運搬の便を考えてのことでしょう、近くの山から切り出して使いました。すなわち、上流の3つはすぐ近くにある小野や
溶結凝灰岩は、高温(約800度)の火砕流堆積物が自分自身の熱と重みでくっついたものですから、堆積面に平行に軽石がぺしゃんこに煎餅状につぶれ、火山ガラスのレンズになっています。右下写真の黒い縞模様(黒曜石レンズ)は真横から見たもので、軽石のなれの果てです。ユータキシティック構造と言います。したがって、堆積面に平行な方向に割れやすいのですが、堆積面に直交する方向の強度はコンクリートと同程度もあります。ですから、力のかかる石橋のアーチ石はすべて堆積面と直交するように組まれています。昔の人はこの性質をよく知っていたのでしょう。また、石橋に一番多く使われている小野石は、溶結凝灰岩の中では比較的弱溶結で柔らかいものです。産地が近いこと、未熟な技術でも加工しやすいことなどが多用された理由でしょうが、力が集中するアーチに使った場合、多少デコボコでも尖った部分がつぶれて適当にアジャストし、応力集中を緩和するという利点もありました。ダイヤモンドカッターで真っ平らに切れなかった時代の知恵です(もっともあまりデコボコがひどい場合、ひびが入っているところもありますが)。強溶結の石でしたら、加工しにくいですし、応力集中を緩和できません。しかし、石材としては高級ですから、高欄などの飾り石として使われました。
参考:
小野石、郡山石…上部加久藤火砕流堆積物(33~34万年前)→噴出源は加久藤カルデラ
花棚石、反田土石…吉野火砕流堆積物(約54万年前)→噴出源は鹿児島湾
河頭石、小山田石、入来石…下部加久藤火砕流(樋脇火砕流・下門火砕流・桑の丸火砕流)堆積物(約55万年前)→噴出源は南方の鹿児島湾周辺?
岩永三五郎の治水思想
岩永三五郎は単なる石工ではありませんでした。今でいえば河川工学の専門家でした。橋を架けただけでなく、甲突川の治水について、次のような水防戦略を持っていました。- 河道矯正と下流部の浚渫→天保山はこの時の残土捨場です
- 荒田側堤防意識的に1尺低くし溢水氾濫→民家には舟筏の用意させました
- 城下側に石組連続堤防→氾濫防止
- 蛇行部下流に石橋→洪水流直撃の回避
- 上流山岳地帯の治山、伐採禁止→現在では団地が出来て保水力が低下しています
西田橋に祭祀された七福神(西田橋を拓本でのこす会) |
文献:
- 知識博美・奥田 朗・牟田神宗征(1997), 8.6水害に対する甲突川の治水対策及び石橋保存対策. 土木史研究, Vol., No.17, p.583-592.
- 鹿児島県教育委員会(1969), 甲突川の五大石橋. 鹿児島県教育委員会, 22pp.
- 鹿児島青年会議所(1985), 甲突川の五大石橋. 鹿児島青年会議所, 28pp.
- 増留貴朗(1986), 五大石橋を考える―21世紀からの鹿児島市づくりと五大石橋―. 南日本新聞開発センター, 346pp.
- 大木公彦(2015), 鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材. 鹿児島国際大学考古学ミュージアム調査研究報告, Vol.12, p.17-30.
- 横田修一郎(1996), 甲突川石橋の石材. 鹿児島県地学会誌, No.74, p.13-21.
初出日:2015/05/10
更新日:2018/04/16