日南市飫肥城の地震被害

寛文2年(1662)大地震延宝8年(1680)大地震

 日南市の飫肥城はシラス台地の浸食地形に人工を加えて造られた平山城です。江戸時代は伊東氏の居城でした。ここに地震被害古図が残されています。寛文2年9月19日(1662.10.30)夜、M7.6の日向灘地震が発生、飫肥藩は地震と津波の大被害を受けました。清武郷では、本田畑460町、8,500石余(うち水没2,525石)、潰家1,213軒(うち水没136軒)、被災者2,398人(うち死者15人)の甚大な被害があったそうです。城郭や武家屋敷にも被害が出ました。この地震では大隅でも被害が出ました。なお、この前月霧島山も噴火しています。さらに延宝8年(1680)にも日向灘を震源とする地震があり、絵図に描かれているとおり、本丸にも多数の亀裂が入りました。亀裂部分が地山シラスなのか、盛土なのか気になるところです。なお、それから4年後の貞享元年(1684)にも再度地震の被害を受けています。



初出日:2014/10/27