方丈記折たく柴の記稻むらの火地震津波火山土砂災害風水害・その他架空の災害<参考>新井白石日記

 災害文学

 「災害文学」というジャンルがあるかどうか知りませんが、災害ではさまざまなドラマが生まれますから、しばしば文学の題材になります。災害が文書に登場したのは白鳳南海地震(684)で日本書紀に記載されているそうです。しかし、日本書紀は国史書であって文学書ではありません。恐らく文学作品に登場したのは鴨長明『方丈記』が最初でしょう。

 方丈記

方丈記(林家所蔵本:内閣文庫)
 『方丈記』は鴨長明によって和漢混淆文で書かれた鎌倉時代の名随筆です。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」の書き出しは誰でも知っていると思います。この一文に象徴されるように無常観の文学と言われます。1212年脱稿と言われていますが、その少し前の1052年が末法の年に当たると信じられてきましたし、源平の争乱などがあり世が乱れていましたから、厭世観・無常観に陥るのも肯けますが、その上、天災や飢饉も打ち続きました。京では大火もありました。『方丈記』では、①安元大火、②治承辻風、③福原遷都、④養和飢饉、⑤元暦大地震の5つの厄災が記述されています。最後の元暦大地震は、改元されましたので、文治京都地震(1185)と呼ばれます。壇ノ浦で平家が滅びた4ヶ月後のことです。次のように述べられています。
 また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。
→青空文庫より引用

 折たく柴の記

折たく柴の記(内閣文庫)
 新井白石(1657―1725)の『折たく柴の記』は自叙伝で、災害はメインテーマではありませんが、1703年元禄地震と1707年富士山宝永噴火について触れています。この項は、『新井白石日記』に基づき、後年(1716年頃?)まとめたものです。「まのあたり見しにもあらぬ事共は、こゝにはしるさず」との執筆姿勢でしたから、信用に足る記述だと思います。元禄地震の項は、生々しくて臨場感に富んでいますが、少々長いので省略し、富士山宝永噴火の項を紹介します(赤字は変体仮名とその読み)。なお、末尾にこの記述のもとになった『新井白石日記』の該当個所を参考のため載せておきます。
 (寳永四年)十一月廿三日(西暦1707年12月16日)午後參るへきよしを仰下さるよへ地震ひ此日午時雷の聲()()出るに及て雪のふり下る()如く()()よく見る()白灰の下れる()り西南()()望むに黑き雲起りて電()光頻りに()西城に參りつきしにおよひて()白灰地()()て草木もま()皆白くなりぬ此日は大城に參らせ給ひ未の半に歸らせ給ふ(此日吉保朝臣の男二人叙爵ありし故なり)やかて御前に參るに天甚暗()りけれ()燭を擧て講に侍る戌の時許に灰下る事はや()しかと或()地鳴り或()地震ふ事()()()廿五日に又天暗くして雷の震()る如くなる聲し夜に入ぬれ()灰ま()下る事甚し此日富士山に火出て燒ぬるによれりと云事()聞え()りき是より後黑灰下る事やま()して十二月の初に及ひ九日の夜()至て雪ふりぬ此程世の人咳嗽()患へ()と云ものあら()かくて年明ぬれ()寳永五戊子の正月元日大雨よのつ()なら()閏正月七日去年富士山の燒しによりて()とり()國ゝの地埋()し灰砂を除()るへき役を諸國に充らる(武相駿三州の地()ためなり百石の地より黄金貳兩()()へしとなり)
→白石社版より引用
<注> 岩波文庫のほうが変体仮名もなく、句読点や濁点を入れて分かりやすくなっていますが、著作権の関係で引用できません。著作権の消滅した明治14年の白石社版を使用しました。分かりにくくてすみません。なお、元になった写本が違うのか、岩波文庫とは細部に違いがあります。

 稻むらの火

初等科國語第6(国会図書館)
 小泉八雲Patrick Lafcadio Hearnが明治三陸地震に触発されたのか、安政南海地震津波(1854)の際、実際に紀伊国広村(現和歌山県広川町)であったエピソードをもとに、“A Living God”という短編を著しました。前半は神社や霊に関する日欧比較文化論的考察ですが、後半が広村の庄屋濱口五兵衛(濱口梧陵)の犠牲的な行動によって、村人が津波から救われた話になっています。和歌山県南部町(現みなべ町)の小学校訓導中井常蔵がこの後半部を和訳・再構成して『燃ゆる稻むら』を著します。これが国定教科書に『稻むらの火』として採用されました。1937~1947年の長い間使用されましたので、日本人の津波リテラシー向上に大きく貢献しました。ただし、津波は引き波から始まるとの固定概念を植えつけたマイナス面もありましたが。なお、フィクションですから、史実と異なる点もあります。詳しくは中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会報告書『1854 安政東海地震・安政南海地震』をご覧ください。また、教科書版も年度によって多少異同があります。下記は1942~1943年版初等科國語第6によります。
 「これはただごとではない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。 今の地震は、別に激しいといふほどのものではなかつた。 しかし、長い、ゆったりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、年取った五兵衛に、今まで經驗したことのない、無氣味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配さうに下の村を見おろした。 村では、豐年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には、一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸ひつけられてしまつた。 風とは反對に、波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、廣い砂原や、黑い岩底が現れて來た。
 「大變だ。津波(つなみ)がやつて來るに違ひない。」と、五兵衛は思つた。このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまふ。 もう一刻もぐづぐづしてはゐられない。
 「よし。」
と叫んで、家へかけ込んだ五兵衛は、大きなたいまつを持つてとび出して來た。そこには、取り入れるばかりになつてゐる、たくさんの稻束が積んである。
 「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ。」
と、五兵衛は、いきなりその稻むらの一つに火を移した。 風にあふられて、火の手がぱつとあがつた。 一つまた一つ、五兵衛はむちゆうで走つた。 かうして、自分の田のすべての稻むらに火をつけてしまふと、たいまつを捨てた。 まるで失神したやうに、かれはそこに突つ立つたまま、沖の方を眺めてゐた。
 日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなつて來た。 稻むらの火は天をこがした。 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ。莊屋(しやうや)さんの家だ。」
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。 續いて、老人も、女も、子どもも、若者のあとを追ふやうにかけ出した。
 高臺から見おろしてゐる五兵衛の目には、それが(あり)の歩みのやうにもどかしく思はれた。 やつと二十人ほどの若者が、かけあがつて來た。 かれらは、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は、大聲にいつた。
 「うつちやつておけ――大變だ。村中の人に來てもらふんだ。」
 村中の人は、おひおひ集まつて來た。五兵衛は、あとからあとからのぼつて來る老若男女を、一人一人數へた。集つて來た人々は、もえてゐる稻むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は、力いっぱいの聲で叫んだ。
 「見ろ。やつて來たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指す方を一同は見た。 遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。 その線は、見る見る太くなつた。 廣くなつた。 非常な速さで押し寄せて來た。
 「津波だ。」
と、だれかが叫んだ。 海水が、絶壁のやうに目の前にせまつたと思ふと、山がのしかかつて來たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとで、陸にぶつかつた。 人々は、われを忘れて後へとびのいた。 雲のやうに山手へ突進して來た水煙のほかは、一時何物も見えなかつた。
 人々は、自分らの村の上を荒れくるつて通る、白い、恐しい海を見た。 二度三度、村の上を、海は進みまた退いた。
 高臺では、しばらく何の話し聲もなかつた。 一同は、波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村を、ただあきれて見おろしてゐた。
 稻むらの火は、風にあふられてまたもえあがり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。 始めてわれにかへつた村人は、この火によつて救はれたのだと氣がつくと、ただだまつて、五兵衛の前にひざまづいてしまつた。


 以下、自然災害を正面から扱った文学作品を列挙してみます。詩歌や随筆、漫画、さらにエピソードとして作品の一部に登場するものは除きます。

 地震

著者名標題初版発行年対象災害初版出版社
吉村 昭関東大震災1973関東大震災文藝春秋
     
     

 津波

著者名標題初版発行年対象災害初版出版社
小泉八雲A Living God1896安政南海地震津波 
吉村 昭三陸海岸大津波1970明治・昭和三陸津波、チリ地震津波中公新書
川上弘美神様20112011東日本大震災講談社
岡本貴也神様の休日 僕らはまためぐり逢う2014東日本大震災幻冬舎
重松 清希望の地図2015東日本大震災幻冬舎
桐野夏生バラカ2016東日本大震災フクシマ集英社
     
     

 火山

著者名標題初版発行年対象災害初版出版社
井上 靖小磐梯19611888年磐梯山噴火新潮社
三浦綾子泥流地帯19771926年十勝岳噴火とラハール新潮社
三浦綾子続泥流地帯19791926年十勝岳噴火とラハール新潮社
     
     

 土砂災害

著者名標題初版発行年対象災害初版出版社
幸田 文崩れ1991砂防工事現場講談社
青木奈緒動くとき、動くもの2002砂防工事現場講談社
     
     

 風水害・その他

著者名標題初版発行年対象災害初版出版社
夏目漱石二百十日19061899年台風中央公論
吉村 昭高熱隧道19671938年黒部川泡雪崩新潮社
     
     

 架空の災害

著者名標題初版発行年対象災害初版出版社
小松左京日本沈没1973プレート境界地震光文社
石黒 耀死都日本2002加久藤カルデラ噴火講談社
石黒 耀震災列島2004東海地震講談社
石黒 耀富士覚醒2011富士山噴火講談社
牧野武則首都圏大震災2018東京直下型大地震幻冬舎
高嶋哲夫M82007東京直下型大地震集英社
高嶋哲夫TSUNAMI津波2008南海トラフ連動大地震集英社
高嶋哲夫東京大洪水2010大型台風による東京水没集英社
高嶋哲夫首都崩壊2015首都直下型地震幻冬舎
高嶋哲夫富士山噴火2015富士山大噴火集英社
     
     


<参考> 新井白石日記
廿三日 九時雷數聲也、昨夜ハ地震もしたり、九半時出仕、道より灰ふる、天くらし、今日ハ御城へ被爲入、八時還御、進講之節ハ秉燭也、たゝし」七つ時也、それより灰ふる事夜の五つ過に至る、夜中より地ひゝきする事絶す、
廿四日 今朝中書殿より被仰下、富士山より赤氣たち、南の方より雲たなひくとミゆ、しからは富士やけしなるへし、夜に入六半時地震、今日終日、西南雲たなひき、なりおとたえず、
廿五日 雷震動、天暗く、夜に(紙損ノ爲文字ヲ書カズ)入り灰降る事二十三日より(同上)猶深し、大嶋やくると云ゝ、明日進講可仕之旨三人より申來、
廿六日 雷震、灰降りて夜に入、今日承ル、富士の八分め」ほとの所よりやけ出し也、廿二日晝より廿三日の五つ時迄、駿州の地内三十餘度大地震にて、人ゝ驚きて死するもの老弱男女皆しかり、此ほとの地震につふれかゝりし家とも、皆一時にたふれたり、やうやう人心地付きしかと、天くらくして大地鳴りわたり、雷天上にとゝろきていかにともわきまへす、四時より黑煙うつまく、その夜中よりかの煙ことごと火光となりしかハ、時ゝみえてやけ出しとしる、廿三日、終日夜前のことくにして、廿四日にすこしあかるく覺えしに、磐石・灰降る事、大地をうつむ事數尺、于今如此のよし、道中駿河國富士郡吉原邊の問やよりの注進を見る也、相州のあたりへも百目ハかりの石ふりくたり、麥作ことごとくやふれうせたりといふ、今日進講、」廿九日四時可令出仕之旨因州御申、
 今日又聞、明廿七日、京にて近衛左府殿へ關白宣下あるへきの日限之よし、
廿七日 晝内ハくもる、日暮より又灰降、
廿八日 今日は友降す、後聞、駿府の邊よりハ富士足高の間より煙みえて、山やくると見えたり、地震もかろかりしよし、今日
 大納言樣御風氣にて、御本丸へ不被爲入之由、
廿九日 (行幸巻物御買上…略)
十二月
朔日
 今朝市正殿ゟ、御用之儀ニ付可令出仕之由ニて、九時出仕、上方より來る年中御儀式之書中の御たつねあり、
 今日きく、富山士の誤記山下、燒るところ、三里四方ハかりあたりによられず、二里ハかり近くへよりて、ようようにうかゝひ見し所也、御林へやけつくへしやと云ゝ 、今日も御成ハなし、
二日 市正殿ゟ、行幸巻物の代金四拾三兩もたせ被遣、卽刻唐本やの手代茂右ヱ門をよびてわたす、
 去比より毎夜灰降、たゝし咋夕ハふらす、
三日 (奥書拝命…略)
四日 (出仕…略)
七日 出仕、玉石御見せ、其外御尋、今日小石川筋火事、夜に入市正殿ゟ、明四時可令出仕之旨申來、
 今日承、富士の燒くる事、すこしく火勢衰へしやと云ゝ、此二三日來灰降らす、但し風北より吹故なるへし、西南にハいまに雲ふかくして、やゝもすれハ日色くらし、
八日 (出仕…略)
九日 今夕雪ふり売り、
十日 (出仕…略)
十三日 出仕、今日無進講、十五にハ御本丸より御成有へき歟と云ゝ、越前殿御申、富士の焚ル事も、八日迄にて消たり、只餘烟のミにて、九日より雪ふりしよし注進あり、山二つハかり出來しよし、吉原の邊よりみゆると也、十七日八時可令出仕之よし、
十四日 十四日の夜、黄龍南天にあるを見る、其後神人のことき大人を、七八人ならひたちて雲中にありと夢みし也、○今日聞ク、富士は九日にやけ止ム、漸ゝにやむにハあらす、忽に火盡、烟散したり、そのあとに新山一つ出たり、箱根山のかたよりみれは、富士に大きなる穴開けてみゆる也、溝口源右、駿府より帰ル時にみられしなり、

東京大学史料編纂所(1953)による

文献
  1. 新井白石著、羽仁五郎校訂(1939), 折たく柴の記. 岩波文庫, 278pp.
  2. 千葉一幹(2019), 現代文学は「震災の傷」を癒やせるか 3・11の衝撃とメランコリー. ミネルヴァ書房, 276pp.
  3. 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会(2005), 1854 安政東海地震・安政南海地震. 内閣府, 133pp.
  4. 神谷忠孝(2014), 東日本大震災と文学. 北海道文教大学論集, No.15, p.39-49.
  5. 加島正浩(2019), 震災の語られ方を考える―東日本大震災と現代日本文学―. Laborify.
  6. 鴨長明著、市古貞次校注(1989), 新訂 方丈記. 岩波文庫, 152pp.
  7. 鴨長明(1212), 方丈記. (青空文庫)
  8. 小山鉄郎(2015), 大変を生きる―日本の災害と文学. 作品社, 416pp.
  9. 村山精二(2012), 災害と文学―文学作品から東日本大震災を考える―. 扣之帳(ひかえのちょう), No.38, p.59-65.
  10. 尾形明子(2008), 文学に描かれる自然災害. sabo, Vol.93, No., p.26-32.
  11. 鈴木寿志・田口公則(2016), 地質文学. 日本地質学会学術大会講演要旨, Vol., No., p..
  12. 高崎哲郎(2019), 1000年前・鎌倉時代の関東大水害 隠遁者・鴨長明はなぜ東国の大洪水を知ったか. リスク対策.com.
  13. 東京大学史料編纂所(1953), 大日本古記録新井白石日記 下. 岩波書居, 255pp.
  14. 宇井忠英・荒井健一・吉本充宏・吉田真理夫・和田穣隆・服部伊佐男・米田弘義(2002), 江戸市内に降下し保存されていた富士宝永噴火初日の火山灰. 火山, Vol.47, No.3, p.87-93.
  15. 嚴仁卿(2017), 東アジアにおける災難文学研究の展望―<東アジアの災難に対する文学的な対応と災難叙事の系譜>研究を中心に. 跨境, Vol.5, No.1, p.217-224.
  16. (), . , Vol., No., p..
  17. (), . , Vol., No., p..

参考サイト:



初出日:2020/02/25
更新日:2020/08/22