熊本地震熊本城の立地条件震災後のボーリング調査

 熊本城の地震被害

 熊本地震

地表地震断層(益城町)
熊本地震と余震分布(産総研)建物被害(益城町)
 2016年(平成28年)4月熊本地方で相次いで地震がありました。前震が4月14日21時26分、M6.5で、本震が4月16日01時25分、M7.3でした。前者は日奈久断層帯の北端部に、後者は布田川断層帯の西端部に位置しており接近しています。両者の関係については諸説あるようですが、「前震 - 本震」の関係ではなく、恐らく隣接する断層帯が誘発されて動いたのでしょう。なお、この地震で、九州地方では初めて震度7が観測されました。前震では益城町、本震では益城町と西原村です。
 この地震で顕著だったのは、地表地震断層が各地に出現したことと、阿蘇の火山地帯でテフラの表層すべりやカルデラ壁の崩壊が頻発したことです。建物被害も甚大で、とくに益城町から熊本市東部で大きな被害がありました。住家被害は全壊8,667棟、半壊34,19棟です。もう一つ熊本地震が有名になったのは、震災関連死の多さです。2016年4月30日現在の死者は49名でしたが、これは恐らく地震による直接死でしょう。しかし、2019年4月12日現在の死者は熊本県270名、大分県3名計273名に上っています。直接死の4倍以上の方が亡くなっているのです。都市型災害の特徴かも知れません。

 熊本城の立地条件

地理院土地条件図と立田山断層(赤線:熊本市地盤図による)
2万5千分の1活断層図「熊本」(改訂版)
熊本城被災状況(2019年9月撮影)
明治・平成両地震による被害(木下,2019)
 熊本城は熊本のシンボルであると共に、熊本の方々の誇りでもあります。その熊本城が熊本地震で被災しました。熊本城は加藤清正が築城した名城と言われていますが、中世にあった山城・千葉城(現千葉城町)や隈本城(現古城町)を吸収拡幅して完成したものです。さらに細川氏の治世になり、拡充され続け現在に到っています。
 ここは茶臼山と呼ばれていましたが、舌状に張り出した京町台地の突端に位置します。9万年前の阿蘇4火砕流が形成した台地を白川・坪井川・井芹川が浸食してできたものです。右の土地条件図に見事に表現されています。地形的に張り出したところや孤塁は地震に弱いと俗に言われますが、やはりそうなのかも知れません。なお、この図には人工改変地も表現されています。熊本城のような文化財区域で、どのように人工改変を認定したのか分かりません。空中写真判読でしょうか。古地図の判読でしょうか。
 また、絵図などを見ると、河川もずいぶん蛇行していたようです(土地条件図に加筆した旧河道は河本(2019)をトレースしました)。中世の山城では、しばしば河川の浸食崖を城壁とし、河川を堀に見立てて利用することが行われてきました。千葉城や隈本城もそのようなお城だったのでしょう。熊本城はそれらを取り込んでいるので、軟弱な河川堆積物の上に盛土したところがあります。
 また、城域北縁を活断層の立田山断層(渡辺,1987)が通っています。北西落ちの正断層で、1889年(明治22年)熊本地震(M6.3)の起震断層とも言われています(久保寺ほか, 1980)。この明治熊本地震でも熊本城は被災しました。今回の2019年熊本地震では立田山断層は動かなかったようです。なお、熊本地震後、国土地理院は2万5千分の1活断層図「熊本」を改訂し、立田山断層を活断層と認定しましたが、熊本城周辺には活断層が引かれていません。活断層の定義にはいろいろありますが、日本活断層学会では、「数十万年前以降に繰り返し活動し、将来も活動すると考えられる断層」としています。この定義に従えば、後述のように、ボーリングで10万年前後の地層に変位が認められるそうですから、城内を通る断層も立派な活断層だと言えるのではないでしょうか。
<注> 土地条件図、活断層図とも縮小表示すると、本震と前震の位置が表示されます。また、木下(2019)の図は2段階拡大します(左上マークをクリックしてください)。

 震災後のボーリング調査

熊本城地質断面図(中田,2020)
 熊本城は国の重要文化財に指定されていますから、現状変更は不可ですし、地質調査を行うのも困難です。今回の災害復旧に向けて、その基礎資料を得るため、ボーリング調査等が行われました。稀な機会です。右図のA-A'断面は馬具櫓~飯田丸~大小天守を通る断面で、馬具櫓周辺で河川性堆積物が見つかっており、大規模な盛土が行われたことが分かります。C-C'断面は三の丸第二駐車場~戌亥櫓~西出丸を通る断面で、立田山断層の変位が確認できます。阿蘇4火砕流(約9万年前)と阿蘇3火砕流(約12万年前)との間の阿蘇4/3間堆積物、および阿蘇3火砕流堆積物の下位にある洪積粘性土層Dc層に変位が認められるそうです。望むらくは、ATやアカホヤなどの新しいテフラも見つけて欲しいものです。なお、旧細川刑部邸はこの断層の直近にあります(上盤側の盛土の厚い部分)。何らかの影響があったと思われます。
 文化財ですから、復旧のための必要最小限の調査しか行えないのでしょうが、地盤と構造物被害の関係をもっと詳細に調査して欲しいと思います。より地盤の影響を受けやすいと考えられる石垣を例に取れば、石垣の高さ・勾配・積み方・経年劣化、あるいは横付け垣か石塁かなどと、地盤の地質構成(とくに軟弱層である灰土の挟在の有無)・断層の有無・盛土の層厚などとの関係を検討してもらいたいものです。何故なら単なる文化財の現状復旧にとどまらず、地震に対する安全性をも考慮した復旧に資するには不可欠だからです。

文献:
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参考サイト:


初出日:2019/11/22
更新日:2020/11/30