気象状況被害状況救援・救護・復興ハザードマップと治水地形分類図

 昭和13年肝属地方風水害

 気象状況

天気図(1938/10/14 18:00)(デジタル台風による)雨量分布図
鹿屋および高山気象観測所における時間雨量
 昭和13年(1938)は神戸の阪神大水害で記憶されている年です。7月の梅雨前線豪雨で六甲花崗岩が崩壊、土石流と洪水が神戸市街地に壊滅的打撃を与えました。実は同じ年の10月、鹿児島でも大災害がありました。以下、『昭和十三年肝屬地方風水害誌』(鹿兒島縣,1940)によって見てみましょう。
<注> 雨量分布図・姶良村水害地圖および写真は上記『風水害誌』からの引用です。
 10月8日、フィリピン東方で発生した台風は、14日午後6時には屋久島西方海上にあり、15日午前6時には種子島東岸をかすめて東北東へ去り、16日八丈島西方で消滅しています。屋久島雨量観測所の記録した最低気圧は15日午前2時の730.2mmHg(973.52hPa)、最強風速は午前3時の毎秒33mでした。この数字だけ見ると、確かに強い台風ではありましたが、それほど大きな台風ではありません。問題は雨量です。屋久種子を通過した頃の台風の速度が時速10~15kmと極めて遅かったため、14日夜の1晩に400mmを超す豪雨が短時間に局地に集中したことです。上記『風水害誌』は次のように述べています。
 今回の颱風通過に際し、大隅半島の一部に豪雨を降らしたる原因の一つとしては颱風中心が十五日午前二時頃屋久島に達したる頃は大隅半島方面は主として東より南東及南寄の風吹き、暖氣流を國見岳、甫與志岳、荒西山稲尾岳等何れも八九百米の高峰山脈に暖氣流を(ママ)吹送せるため地形性豪雨を起し、殊に仝地帶は廣地域に亘る火崗岩(花崗岩の誤り)なるが爲め、遂に山津浪を起したるものにして勿論、河川の氾濫せし所もあるが普通の洪水のみとは少しく趣きを異にして居るものである。

 被害状況

人的物的被害
姶良村山神地内姶良川ヲ隔テ山崩ヲ望ム大根占町海岸漂流樹木高山町新町通姶良村水害地圖
産総研地質図(赤:花崗岩,青太線:雨量400mmライン)
 この台風により、総雨量400mmを超した地域、高山町・姶良村・内之浦町を中心に甚大な被害が出ました。人的被害は死者310名・行方不明者125名計435名、重傷者629名にのぼりました。流出全壊の家屋は1,969棟、半壊1,397棟、浸水家屋10,568棟に及びました。被害総額は当時の金額で、約3,600万円にもなりました。うち約2,000万円が農業関係です。
 この災害は時に「肝属川水害」と呼ばれることもありますが、上述のように、普通の洪水のみでなく山津浪(=土石流)を伴っていました。上記『風水害誌』は被害金額など数字の羅列が多く、災害の実態やメカニズムにあまり触れていないのですが、「土木」の項には、次のような記述があります。
 尚無數に生じたる各河川水源地における山腹大崩壊は物凄き土砂流となって洪水の被害をして一層慘憺たるものたらしめ堤防、護岸等を悉く缺潰し盡したる大洪水は奔馬の狂へる如く暴威を逞うし其の進路を遮る總てのものを破壊、流失せしめ其の被害の甚大さは全く想像し得さるものがある。
 なお、農林省山林局(1941)が崩壊地調査報告書を発行していますから、やはり崩壊が多発したのでしょう。残念ながら同報告書は今のところ入手できていません。
 上記「各河川水源地」の地質は、古第三紀付加体と中新世花崗岩からなります。その上をシラスが覆っているところもあります。短時間強雨によってマサ土崩壊など表層崩壊が多発したものと思われます。「山腹大崩壊」が深層崩壊を意味するのかは不明ですが、写真左の山崩れは表層崩壊です。なお、台風による風倒木や崩壊による倒木が流木となって下流域を襲い、橋梁などを破壊したようです。流木は海岸にまで達し、救助船の航行を妨げたそうです。

 救援・救護・復興

救護所避難所
 10月15日朝には県庁に被害激甚との情報が入ったようですが、交通途絶・電信電話破損のため、詳細が分からなかったものの、前代未聞のことらしいというので、県庁に総務部長を首班とする救援救護本部を立ち上げ、鹿屋町に出先本部を設けることとし、その日のうちに、社会課長を首班とする海上班を警察船「旭櫻」で内之浦へ、学務部長を首班とする陸上班を鹿屋へ向かわせました。県立鹿児島病院や県医師会の医療スタッフも8班からなる救療隊を結成、「旭櫻」に同乗させました。なお、救療隊撤収後も現地開業医の診療不可能なことから、県立無料診療所を姶良および高山に設けました。実態が明らかになるに及び軍隊も出動、20日には鹿児島の歩兵第45連隊が、21日には熊本工兵隊も応援に駆けつけました。
 被害激甚のため、弱小町村はほとんど財政破綻の状況でしたから、国庫補助と同時に、県も復旧復興事業費を計上、機敏で手厚い対策を取ったようです。また、全国から暖かい義援金もたくさん集まりました。
 国による河川改修事業は前年の昭和12年から始まっていましたが、この災害を受け、国による河川改修が本格化し、現在では、高山町(現肝付町)に国土交通省大隅河川国道事務所が置かれています。一般に流域面積1000km2以上で、複数の都道府県に跨がる河川を一級水系と言い、国が直轄するものを一級河川と言いますが、肝属川は流域面積僅か485km2で鹿児島県内しか流れていないのに一級河川です。これもこの災害に起因しているのでしょう。

 ハザードマップと治水地形分類図

 下図は拡大・縮小・移動できます。右上のマークをクリックすると全画面表示になり、全流域を見るのに便利です。
ハザードマップポータルサイト洪水浸水想定区域(想定最大規模)国土地理院治水地形分類図

文献
  1. 鹿兒島縣(1940), 昭和十三年肝屬地方風水害誌. 鹿兒島縣, 402pp.
  2. 佐藤正氣・横溝傳男(1940), 吾平山陵上流國有林崩懷と其復舊計畫. 日本林學會誌, Vol.22, No.2, p.91-99.
  3. 農林省山林局(1941), 昭和13年10月発生大隅半島水害中姶良川高山川流域に於ける崩壊地調査報告書. 農林省山林局, 68pp.
  4. 鹿児島県(2017), 肝属川水系河川整備計画【県管理区間】. 鹿児島県, 17pp.
  5. (), . , Vol., No., p..

参考サイト:



初出日:2018/01/04
更新日:2020/11/30