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研究

    はじめに

    我々の身の回りには,固いものや柔らかいもの,電気や熱を良く通すものや通さないもの,色のあるものや透明なものなど,さまざまな性質の物質が存在します。このように,非常に多様な物質が存在するにも関わらず,これらは全て,たった100種類程度(天然に存在する元素としてはもっと少なくて90種類ほど)の元素の組み合わせでできています。では,上に挙げたような物質の性質の違いは,どのようにして生まれるのでしょうか。実は,物質の性質の違いの多くは,電子の運動状態の違いによって説明できます。ただし,この「電子の運動」ですが,電子や原子のように非常に小さな粒子(ミクロ粒子)は,我々が普段目にするサイズ(マクロなサイズ)の物体とは少し違った運動をします。例えば,ボールを壁に向かって投げれば,壁を壊さない限り跳ね返ってきますが,ミクロ粒子は壁をすり抜けることがあります。この「壁のすり抜け」を「トンネル効果」と呼びますが,これは決して特別なことではなく,我々の身の回りで,今この瞬間にも起きています。そして,我々が日常的に使っている電子機器は,こうしたミクロ粒子の性質を利用して作られています。我々が普段目にするマクロな世界の運動は,高校物理で学ぶ『ニュートン力学』によって記述されますが,ミクロ粒子の運動は,大学で学ぶ『量子力学』によって記述されます。我々の研究室では,この量子力学に基づく計算機シミュレーション(第一原理計算)によって物質の性質を研究し,人類社会の持続的発展に貢献し得る有用な物質や,これまで誰も見たことがないような新しい物質の発見を目指しています。また,近年ではこの計算機シミュレーションの効率化を目指して,機械学習の手法を取り入れた研究も行っています。以下ではこうした研究の具体例について,簡単にご紹介します。

    合金触媒に関する研究

    触媒とは,自身は変化せずに,周囲の化学反応を促進する物質です。化学反応というと,混ぜれば勝手に進行するイメージがあるかもしれませんが,自発的に進行する反応ばかりではなく,特に工業的に利用される化学反応の多くは触媒を必要とします。触媒は,現在人類が直面している環境問題やエネルギー問題を解決する技術として注目されていますが,工業的に有用な触媒の多くは稀少な金属や高価な貴金属であり,これが実用化や普及の妨げになっています。そこで我々の研究室では,第一原理計算を用いて稀少金属や貴金属からなる触媒を代替する合金触媒の探索をしています。たとえば,近年,次世代エネルギー源として水素が注目されていますが,この水素をメタノールから生成する触媒として,Cu(銅)とPdZn(パラジウム亜鉛)が,同等の触媒特性を持つことに着目して研究しています[1, 2]。一方は1種類の金属であり,もう一方は2つの金属が混ざり合った合金です。同じ触媒反応に対して,なぜこれらは同等の触媒として機能するのでしょうか。この謎を解き明かすことができたら,「稀少で高価な金属からなる触媒を,大量に存在する安価な合金触媒で置き換える」ためのヒントが見えてくるかもしれません。下の図は,パラジウム亜鉛触媒の表面に酸素が吸着する前(清浄表面)と後(酸素吸着表面)の電子状態密度(電子のエネルギー分布),および電荷密度分布(電子の空間分布)です。詳しい説明は省きますが,電子状態密度からは,酸素が吸着したことによってパラジウムと亜鉛の間の結合が強くなったことがわかります。電荷密度分布の赤い部分は電荷密度が高いことを表していますが,パラジウム(緑)と亜鉛(橙)の間の電荷密度が酸素吸着後に高くなっており,先の結論を支持しています。我々はこのように,触媒反応の1つ1つの反応過程において何が起こっているかを「原子・電子のレベルで」調べています。

    [1] K. Nozawa, N. Endo, S. Kameoka, A.-P. Tsai, Y. Ishii. Catalytic Properties Dominated by Electronic Structures in PdZn, NiZn and PtZn Intermetallic Compounds. Journal of the Physical Society of Japan, Physical Society of Japan, 80, 064801-1-064801-13(2011).
    [2] A.-P. Tsai, S. Kameoka, K. Nozawa, M. Shimoda, Y. Ishii, Intermetallic: A Pseudoelement for Catalysis, Accounts of Chemical Research, American Chemical Society, 50, 2879-2885(2017).

    酸素吸着前後におけるPdZn触媒表面の電子状態密度(エネルギー分布,上)と電荷密度(下)

    準結晶に関する研究

    みなさんは「結晶」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?塩の結晶や,宝石などを思い浮かべる方が多いかもしれませんが,これらの結晶のいずれにおいても,原子は周期的に配列しています。たとえば食塩(NaCl)の結晶構造を検索してみると,Na原子とCl原子が交互に配列した周期(繰り返し)構造であることがわかります。この場合,原子の配列は,周期的であり,かつ規則的でもあります。準結晶は,1984年に発見された新しい物質で,発見者であるD. Shechtman博士には,2011年にノーベル化学賞が授与されました[3]。この準結晶は,「周期的ではないが,規則的である」という構造をしています。初めて聞く方は,「そんな構造あるの?」と思いますよね。「周期」というのは「繰り返し」のことです。一方で,「規則」は文字通り「ルール」のことです。「周期的ではないが規則的」とは,「繰り返しはないが,配列には規則があって,結晶のどの部分がどのような構造になっているかが決まっている」ということです。簡単な準周期構造の例を使って,もう少しご説明します。

    準周期構造の最も簡単な例の1つは,フィボナッチ列と呼ばれるものです。フィボナッチ列は,中世イタリアの数学者フィボナッチが,ウサギの増え方を議論した際に用いたものだそうですが,第一世代をLとして,世代が進むごとにL→LS, S→L(LをLSに,SをLに変える)という変換をすることで生成される非周期配列です。Lを親ウサギ,Sを子ウサギと見做せば,L→LSは親ウサギの出産に対応し,S→Lは子ウサギの成長に対応します。フィボナッチ列は,このようにある種の変換「規則」によって生成されたものであり,その構造は当然「規則的」です。ところが,見てわかるようにフィボナッチ列には周期性(繰り返し構造)はありません。準周期構造とはこのような構造です。

    第n世代のフィボナッチ列に現れるLとSの数の比は,n→∞の極限で黄金比と呼ばれる有理数に漸近します。黄金比は,ギリシャ建築やダ・ヴィンチの絵画などの関連,あるいは映画ダビンチコードなどで耳にされた方もいるかもしれません。フィボナッチ列(フィボナッチ数)や黄金比は,自然界でもひまわりの種の配列や松かさ,オウムガイの渦などに見られる不思議な数ですが,この不思議な数が,準結晶の中にいくつも見つかります。上で,準結晶は1984年に見つかった,と書きましたが,準結晶は必ずしも人工的に作られたものばかりではありません。最近では,隕石の中からも見つかっています。つまり準結晶は,実は太古の昔から我々の身の回りにあったのに,見過ごされてきた物質なのです。このように,準結晶は「それほど特殊な物質ではない」ということがわかってきたのですが,そうなると一方で,「どうして準結晶は,このような不思議な(ある意味中途半端な)構造で存在するのだろう」という疑問が湧いてきませんか?物質がエネルギーが低い状態(安定な状態)を取りやすいことは直感的に理解できるかと思いますが,準結晶はどのようなメカニズムで安定化しているのでしょうか。我々は,こうした純粋に基礎科学的な疑問から,準結晶の安定性の起源について理論的に調べています。

    「今まで見つかっていなかったものが,1つ見つかった途端に相次いで見つかる」という話は,日常生活だけでなく研究の世界でも良くあることで,今では100種類以上の合金準結晶が見つかっています。ところが,ただ1つの元素だけからなる(単元素の)準結晶はまだ見つかっていません。もし単元素の準結晶が見つかれば,準結晶の安定性に関する理解は格段に進むことが期待されます。また,もし「単元素の準結晶は作ることができない」ことがわかったとしても,「なぜ作ることができないか」を調べることによって準結晶の理解は進みます。このようなことから,単元素準結晶を作製する試みが各国で続けられています。下の図は,こうした試みの1つとして,我々が世界で初めて作製に成功した,単元素準結晶薄膜の構造を示したものです[4]。図のeに描かれているのは,準結晶を構成する原子クラスタで,小球は原子を表しています。このクラスタが3次元の準周期配列をしたものが準結晶だと思ってください。表面とは固体の切断面ですから,準結晶を割って表面を作れば,その表面上で原子クラスタも割れています。そこへ鉛を蒸着したところ,この割れた原子クラスタを再構築するように鉛の層が成長していることが確認されました。fの図は,その様子を模式的に表したものです。要するに,蒸着した鉛が「準結晶の構造を真似て」結晶成長したということです。これは,研究していた我々自身も予想していなかった衝撃的な結果でした。

    [3] D. Shechtman, I. Blech, D. Gratias and J. W. Cahn, Metallic Phase with Long-Rance Orientational Order and No Translational Symmetry, Physical Review Letters, American Physical Society, 53 , 1951-1953(1984).
    [4] H. R. Sharma, K. Nozawa, J. A. Smerdon, P. J. Nugent, I. McLeod, V. R. Dhanak, M. Shimoda, Y. Ishii, A.-P. Tsai, R. McGrath. Templated three dimensional growth of quasicrystalline lead. Nature Communications, Nature Publishing Group, 4, 2715-1-8(2013).

    機械学習を用いた研究

    我々の研究室では,いわゆる普通の「実験」は行いません。研究は全て,「第一原理計算」と呼ばれる数値計算によって行います(数値実験だと思っていただいても良いです)。この計算は,対象にもよりますが,非常に時間がかかります。そこで,機械学習(ベイズ最適化,ニューラルネットワーク)を用いて計算を効率化する研究をしています。下図は,準結晶表面に吸着するビスマス原子のポテンシャルエネルギー面を,ベイズ最適化によって推定している過程です。青色の実線が真値(実際の第一原理計算で得られた値),黒色の実線が予測値,水色の領域が95%信頼区間を表していますが,「学習」に用いるデータ(図中の赤点)が増えるたびに真値と予測値の差が減少していることがわかります。これは1次元の例ですが,より高次元のポテンシャルエネルギー面であれば,等間隔の格子点上で計算する方法(グリッドサーチ)と比較して,より効率的にポテンシャルエネルギー面の概形を予測することができます。