2000年3月24日、鹿児島大学理学部地学科最後の卒業生を送り出しましたので、このホームページはこの日をもってフリーズしました。もう更新しません。悪しからず。
 なお、「かだいおうち」は日本における大学研究室ホームページの第1号です。歴史的遺産としてここにアーカイブしておきます。

出水市針原地区土石流災害


出水で土石流災害発生|矢筈岳地域の地質|地形分類からみた土石流|避難勧告解除|被災状況|球状風化と斜面堆積物|降雨状況|凹型地形と地下水|天然ダム|亀裂発見|突発災害研究スタート|復旧工事始まる|初盆|研究集会|崩壊メカニズム|激甚指定|復旧検討委員会|針原は今|被害統計|報告書・論文

◆出水市針原地区で土石流災害発生

 1997年7月10日午前0時50分頃、鹿児島県出水市境町針原地区で土石流災害が発生しました。同地区は矢筈岳の麓にあり、八代海に面しています。まず針原川の上流で大規模な山崩れが発生、その崩土が農業用溜め池になだれ込み、水を得て土石流と化したのだそうです(讀賣新聞夕刊)。土石流は、麓の針原集落を襲って住宅16棟・非住家2棟をのみ込み、死者21名・重軽傷者14名の犠牲者を出してしまいました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。
 なお、この針原川は土石流危険河川に指定され(左図:鹿児島県出水土木事務所)、砂防ダムが建設中でした。また、雨は7日午前0時頃から降り続いており、降り始めから土石流発生直前までの雨量は約400mmに達していたとのことです。(7/11)

◆矢筈岳地域の地質

 矢筈岳は鮮新世~更新世の北薩安山岩類に属す輝石安山岩からなっています。矢筈岳安山岩です。その裾野を取り巻くように扇状地堆積物が分布しています(鹿児島県地質図)。
 なお、針原川の北隣に櫓木川があります。ここの河口の地形を見ると、土石流による押し出し(土石流扇状地)のように見えます。熊本県境の境川はもっと大規模です。現地に行かず地形だけで論ずるのは邪道ですが、恐らく矢筈岳を刻む河川では、しばしば土石流が発生していたのでしょう。(7/11)
 針原川支流と櫓木川を歩いてきました。いずれもいわゆるガレ沢で土石流河川です。櫓木溶岩(山本,1960)の標識地ですが、下流一帯は凝灰角礫岩でした。写真は針原川本流崩壊地より上流の河床に見られる露頭です。なお、櫓木川などではマトリックス(基質)が風化して土壌化し、角礫だけ突出しているところがたくさんあります。また、鹿児島県地質図に扇状地堆積物と塗色してあるところも風化した凝灰角礫岩のように思えました。少なくとも四万十層群起源の砂礫からなる出水扇状地本体の末端ではありません。(7/20)

◆地形分類からみた土石流

 左図は今年卒業した川原あかねさん(現共和計測)の卒論です。pは谷底平野と氾濫平野で、fは河岸段丘面、mは海岸段丘面、aLは低位扇状地段丘面を示します。櫓木川や境川ではf-2面、f-3面の河岸段丘を切って谷底平野が存在しますが、針原川は一番新しい河岸段丘面であるf-3面がそのまま残っています。櫓木川などは新しい土石流で段丘面が浸食されてしまったのです。まだf-3面が残っている針原川はそろそろやられる順番だったのかも知れません。なお、aLの黄色が塗ってある下鯖町は扇状地ですから、昔は大雨の時しばしば土石が流れてきたそうです。
 余談ですが、この下鯖町には野間ノ関跡があります。ここまでが薩摩藩で、そこから北は肥後の国との国境地帯でした。現代風に言えば非武装中立地帯ですから、無人地帯だったようです。恐らく関外・針原といった境町地区はそれ以降に出来た新しい集落なのでしょう。7月21日付朝日新聞によれば、針原集落が山あいに向かって開けたのは戦後のことだそうです。昭和47年の天草水害で本家分家の理論ということが話題になりました。古くからある本家は災害に対して安全なところに立地しているのに、新しくできた分家は当座の利便性だけで場所を決めているので、災害にあったのは分家が多かったのだそうです。針原の場合もミカン山の管理には便利なところでしょうが、地形から見れば土石流の直撃を受けやすいところです。(7/24)

◆避難勧告解除

 7月15日、ようやく長雨も止み晴れ間が見えてきましたので、避難勧告が解除されました(南日本新聞)。立入禁止区域への立ち入りも許可制になったので、調査に行って来ました。以下、予察報告です。(7/16)
 なお、崩壊地上部に亀裂が発見されたため、避難勧告は18日からずっーと継続中だそうです。(7/24)

◆被災状況


 多少表面は乾燥して固まったものの、まだずぶずぶで中までは入れませんでした。目視では、安山岩の礫からなる斜面堆積物が、深さ30~40m程度のかなり規模の大きな崩壊を起こしたものと思いました。すべり面のような特定の層準もなく、地すべりとは違うようです。溜池は土砂で完全に埋まっていましたが、ここで水をもらって流動化し、土石流に発展したのでしょう。
 土石流は、現河道を無視して直進する傾向がありますし、川の屈曲部ではボブスレーのように遠心力で外側に盛り上がります。今回の針原川の土石流は、先ず直進して溜池西方の出っ張りにぶつかって乗り上げ、その反動で今度は砂防ダム付近で右岸側に乗り上げました。そして、そのまま針原の集落へ突入したものと思われます。このようなボブスレー運動は、川の両側の植生が削り取られている様子を観察することによって推量することができます。
 なお、砂防ダムがほぼ完成状態だったのが不幸中の幸いでした。もしもこれがなかったら、土石流はJR線や国道にまで達し、もっと被害を大きくしていたでしょう。黒く塗りつぶしたのは全壊家屋です。(7/16)
被災家屋と集落跡

◆球状風化と斜面堆積物


 花崗岩・安山岩・塊状砂岩など等方均質な岩石は、しばしば球状風化(玉ねぎ状風化)をします。節理に沿って地下水が浸透し、そこから風化が進んで玉ねぎの皮のように薄く何枚も剥げるため、玉ねぎ状構造onion structureと言われます。玉ねぎの中心部がまだ新鮮な場合は、玉石core stoneが生産されます。ここの矢筈岳安山岩も、この玉ねぎ風化が著しく発達しており(左写真)、斜面にはこうした玉石や岩塊がごろごろしていたようです(中写真)。今回の崩壊土砂の中にも玉ねぎの皮の付いた礫がたくさん含まれていました(右写真)。
 こうした玉ねぎは現地生ですが、その他にかなり角張った新鮮な巨礫もありますから、マスムーブメント堆積物も含まれているようです。現地生・異地生の両者を含む斜面堆積物が厚く分布していたことが、今回の崩壊の素因をなしていたのでしょう。上記の鹿児島県地質図のように、単に安山岩と塗色するだけではダメで、災害地質学的には斜面堆積物の分布と厚さを記載することが重要です。(7/16)
 地質の項に補記したように、凝灰角礫岩の基質が風化して硬い角礫が残ったのも岩塊の生産に一役買っているようです。(7/20)

◆降雨状況

 左図は出水消防署における観測結果を図示したものです。災害が発生した10日午前0時50分頃は、大雨の後の小休止の時で、降り始めからの累計雨量が397mmに達していました。
 去る3月と5月に紫尾山方面で地震がありましたから、その影響を説く人もいますが、これほどの降雨量ならば、地震の有無とは無関係に土石流が発生してもおかしくありません。それに、地震の被害が報告されている北限は米ノ津港で、矢筈岳では山崩れなど発生していません。恐らく地震による亀裂の形成はなかったものと思われます。(7/16)

◆凹型地形と地下水

 崩壊は何らかの形で地下水が関与します。調査に行った15日は乾燥していてわかりませんでしたが、崩壊直後に撮った写真(国際航空写真提供)を見ますと、斜面中腹から水が流れていますから、恐らくかなりの量の地下水が吹き出して崩壊に至ったのでしょう。また、崩壊前の地形図を見ますと、この斜面は心持ちくぼんだ谷型(凹型)斜面になっています。こうした凹型の地形は水を集めやすいので、凸型斜面よりも崩壊しやすいのです。(7/16)

◆天然ダム

 これは崩壊土砂によって堰き止められてできたごく小規模な天然ダムです。10日の崩壊の前にも天然ダムが形成され、これが決壊して土石流になったとの説もあります。しかし、あれだけの崩土量ですから、天然ダムが出来たとすればかなり大規模だったはずです。現在話題になっている熊本県坂本村の例のようにある程度長時間ダムが保ったことでしょう。その場合、谷壁に堆積物の痕跡が残っているはずですが、見当たりませんでした(谷の中に立ち入れなかったので目視ですが)。また、崩壊地より上流にある木立にも水没の痕跡は認められません。また、前述のように砂防ダムの手前でボブスレー運動をしていますから、かなりのスピードがあったはずです。一旦溜まってから崩れたのなら乗り上げるだけの運動エネルギーがなかったでしょう。「上流でゴーッと山鳴りがした直後土石流が襲ってきた」との住民の証言もありますから、恐らく崩壊後一気に下流まで流下したものと考えられます。(7/16)
 18日付南日本新聞によると、前日の9日午後9時過ぎには川の水量が減っていたとの証言もあるそうです。11時過ぎからゴロゴロという音を聞いたとの証言もあります。これらの証言が正確だとすれば、夕方の大雨の後小規模な崩壊が発生し始めた→川がせき止められたか砂防ダムの放水口がつまって若干水量が減少した→真夜中本格的な大崩壊が発生した、とのストーリーが考えられます。(7/16)

◆亀裂発見

 本学農学部砂防工学の下川教授が15日崩壊斜面上部周辺の森林の中を調査したところ、向かって左側上方斜面に亀裂が走っており、確実に崩落するだろうとのことでした。中には幅30cmもの開口亀裂もあったそうです。まだ梅雨が終わっていませんから、住民の方々は十分ご注意なさってください。(7/17)
 左の写真は18日付南日本新聞に掲載された亀裂です。最大20mにも達する亀裂が数本確認されたそうです。下川先生によると崩壊地向かって左側のほうだけに亀裂があったそうです。左側は崩積土で、右側は基盤のようでしたから、当然のことと思われます。(7/18)

◆突発災害研究スタート

 今回の梅雨では、出水の災害だけでなく、宝塚の災害はじめ西日本各地で土砂災害が多発し、多大の被害を出しました。そこで、文部省科研費による突発災害の調査研究を行うことになり、下記のような研究グループが結成されました。
研究課題:1997年7月梅雨前線停滞に伴う西日本の豪雨災害に関する調査研究
研究代表者:下川悦郎(鹿大農学部)
研究組織:
砂防学…下川悦郎(鹿大)・地頭薗隆(鹿大)・小川 滋(九大)
河川工学…疋田 誠(鹿児島高専)・平野宗夫(九大)・橋本晴行(九大)・中川 一(京大)
地盤工学…鈴木敦巳(熊大)・落合英俊(九大)・後藤恵之輔(長大)
防災工学…北村良介(鹿大)・高橋和雄(長大)
山地防災工学…沖村 孝(神大)
地すべり学…佐々恭二(京大)
大気物理学…守田 治(九大)
応用地質学…岩松 暉(鹿大)
治療心理学…久留一郎(鹿大)
研究費:450万円

◆復旧工事始まる

 梅雨明け宣言を受け、いよいよ復旧工事が始まりました。上部に亀裂があって二次災害の恐れがあるため、砂防ダム堆砂の除去にリモコン操作の無人重機を使うそうです。雲仙の工事で一躍有名になったものです。なお、仮設住宅もほぼ完成し、来週から入居が始まります。(7/26)

◆初盆

 出水市では8月16日夕、うら盆の精霊流しが行われました。針原丸と名付けた精霊舟が土石流犠牲者の冥福を祈って流されました(南日本新聞8/17)。黙祷。

◆崩壊誘起土石流研究集会

 IUGS/IUFRO崩壊誘起土石流研究委員会主催の研究集会が8月17日午後1時から鹿大農学部で開催されます。出水土石流災害に関しては次の2件の報告があります。その他、ニュースで話題になった蒲原沢土石流や八幡平地すべりの報告もあります。

◆崩壊メカニズム

 ご遺族の方の遺品探しや初盆も終わりましたので、もう一度被災地に入って来ました。それまでは周辺の地質調査をしていたのです。
 目視した通り、崩壊地向かって右側は基盤で左側はマスムーブメント堆積物でした。問題はその境界です。ややカーブしているもののシャープな面で境されています(左写真)。それにはほぼ水平な擦痕が認められます(クリノメーターケース横)。新聞報道による断層説の根拠でしょう。しかし、面の傾斜は30~40度と緩く、擦痕の方向はほぼ真西へ20度程度でした(右図:シュミット網下半球投影)。このような低角断層は衝上断層ならあり得ますが、ここは圧縮テクトニクスの場ではありません。一方、正断層ならば60度前後ともっと高角のはずですし、擦痕は略最大傾斜の方向につくのが普通です。やはり古い時代のマスムーブメントに伴う擦痕と考えたほうがよいと思います。向かって左側の尾根部で工事のためのボーリングが行われていますが、基盤が出ているようですので、今回の崩壊とほぼ同じ位置で真西へ向かってマスムーブメントがあり、そこに溝状に堆積物がたまったのでしょう。なお、この堆積物はかなり微粒の土壌も含んでいますから、河床堆積物だとは思われません。したがって、この溝状の基盤地形は旧河道ではないでしょう。溝状地形は、当然、地下水を集めやすいですから、今回の崩壊は、基盤との境界(不整合面)付近から地下水が吹き出して発生したものと思われます。このように古いマスムーブメントをなぞって新しいマスムーブメントが発生することはよくあります。(8/25)

◆激甚災害指定

 政府は今夏の梅雨前線豪雨による災害を激甚災害に指定しました。もちろん、出水市の土石流災害も含まれます(被害額4億3千万円)。
 なお、出水市では土砂災害の恐れのある山間部7個所に雨量計を設置して、市役所で集中管理することにしたそうです。(9/7)

◆針原川復旧検討委員会

 鹿児島県では針原川砂防等計画検討委員会(委員長:本学農学部下川悦郎教授)を設けて復旧計画を検討することになりました。ダム部分の土砂を取り除いた上で、新規の砂防ダム1基と砂防ダム下流にポケット型土石流堆積工を設置するそうです。
 なお、崩壊土砂量の見積もりは当初20万m3と言われていましたが、崩壊地から溜池まで3万m3、砂防ダムに5万m3、ダム下流に8万m3、計16万m3と修正されました。

◆針原は今

 10月25日避難勧告が解除され、長かった避難生活を終えて帰宅する方も見られました。また、同日自然災害科学総合研究班西部地区部会の現地見学会があり、牟田神出水土木事務所長から災害時の様子や復旧計画について説明をお聞きしました。その後、崩壊現場を調査しましたが、亀裂から下方の不安定土砂は排土され、法面の整形が行われていました。また、ボーリングも実施されていました。

◆被害統計

 県消防防災課による9月1日現在の被害統計は次の通りです。 (1) 人的被害
死者重傷者軽傷者
21211

(2) 住家・非住家被害
区分全壊半壊一部損壊床上浸水床下浸水
住家181 41740
非住家11 2  13

(3) その他被害額
商工業関係農業関係土木関係
17,544605,8364,126,200

被害額総計 4,749,580千円(砂防ダム被害を含む)

◆報告書・論文


<お詫び>

 標記災害が報じられたので、「かだいおうち」を早速見たが載っていなかったとのお叱りのメールをいただきました。実は熊本で地盤工学研究グループ(技術士をめざす会)の発会式があり、記念講演のため熊本に行っていたのです。交通途絶で帰れず、やっと11日夕刻たどり着きました。
 しかし、生き埋めの方がおられる間は現地に赴かないのが信条ですので、しばらくは新聞報道で我慢していてください。災害直後の大臣や議員さんの現地視察、さらにはさみだれ的に押し寄せる学者の調査は、不眠不休の活躍をしておられる救助隊の方や行政の方にとって邪魔以外の何者でもなく、「二次災害」だ「学災」だと苦々しく思われているのをよく知っているからです(もちろん、二次災害防止のための行政による緊急調査は別です)。それに、5分間息を止めれば死ぬことは理屈ではわかりますが、たとえ何時間経ってもご家族にとって生き埋めの方々は今でも生きているのです。その上をどかどか土足で歩いて調査する神経を持ち合わせていませんので。
 なお、文部省科研費突発災害研究を立ち上げるべく、準備に入っております。一両日中に本学砂防の下川教授を代表者に発足する予定です。(7/11) 宝塚でも土砂災害による死者が出ましたので、西日本全体の災害を対象とした研究に衣替えすることにしました。(7/15)

<御礼>

 今回の調査では出水市災害対策本部・鹿児島県出水土木事務所はじめ、関係諸機関の方々に大変お世話になりました。篤く御礼申し上げます。(7/16)


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更新日:1998年7月17日