2000年3月24日、鹿児島大学理学部地学科最後の卒業生を送り出しましたので、このホームページはこの日をもってフリーズしました。もう更新しません。悪しからず。
 なお、「かだいおうち」は日本における大学研究室ホームページの第1号です。歴史的遺産としてここにアーカイブしておきます。

水害


日本の水害|鹿児島県の水害|甲突川の水害|新川の水害|川内川の水害|肝属川の水害|水害に対する心がけ

◆日本の水害


 わが国は豊葦原の国と呼ばれ、大昔から低湿地帯の多いところでした。そこに農耕文化が栄えたのです。しかし、山紫水明の国は、一方で水害も多いことを意味します。上図(建設省河川局リーフレットより)は、土砂災害も含んでいますが、ほとんど全市町村が何らかの被害を受けていることを示しています。とくに、被害は平野部に集中しています。

◆鹿児島県の水害

 鹿児島県にはあまり大きな河川はありませんが、しばしば水害に見舞われます。記憶に新しいのでは1993年の甲突川の水害ですが、加世田市の加世田川や鹿児島市の新川でもよく水害が発生します。昔は、川内川や肝属川のような比較的大きな川で大水害がありました。
鹿児島県における戦後の主な水害
河川名発生年原因主な被害
川内川1954.8台風死者13人、全半壊8,600戸、浸水12,000戸
川内川1969.6梅雨死者52人、全半壊630戸、浸水20,000戸
川内川1971.7梅雨死者12人、全半壊290戸、浸水12,000戸
川内川1971.8台風死者47人、全半壊790戸、浸水14,000戸
肝属川1949.6台風死者多数、家屋被害・田畑流失多し
肝属川1971.8台風死者2人、家屋被害479戸
肝属川1976.6梅雨死者4人、家屋被害222戸
肝属川1990.9台風
加世田川
甲突川1993.8梅雨浸水12,300戸

◆甲突川の水害

 県都鹿児島市のシンボルでもある甲突川は、江戸時代から何度も流路を人工的に変えられました。そのため、市内の部分はいわば運河で、自然堤防のない掘り込み川になっています。甲突川の水害は「平成5年8月豪雨」によるいわゆる8・6水害が有名です(左図)。五大石橋の撤去が社会問題になり、上流に団地を作ったことによる人災だとの論も叫ばれました。しかし、団地が作られるずっと以前からしばしば水害に見舞われてきたのです。
 なお、甲突川の上流はシラス地帯ですから、シラスが大量に流れてきて河道を浅くするという、他の河川にない厄介な問題があります。8・6水害では上流の郡山町上常葉や小山田で河道が大きく洗掘され、大量の土砂を供給しました(写真)。1917年(大正6年)の水害でも、「三日経っても水が引かないので、変に思って竹ザオを入れたら約20cmの深さしかなかった」そうです。鶴尾橋から玉江橋・梅ヶ淵橋付近まで土砂で埋め立てられていたのです。1993年に吉田町思川流域であったようなシラス洪水(浮きシラス災害)のような状況だったのでしょう。したがって、教科書的な治水対策だけではダメで土砂対策も考えなければなりません。

◆新川の水害

 鹿児島市の新川は毎年のように水害に見舞われます。それには訳があります。左図は有史以前の鹿児島市の様子を示しています(鹿児島のおいたち,1955)。田上川は直接海へ注いでいました。それを江戸時代に新川にドッキングさせたのです。蟹が甲羅に合わせて穴を穿つと同様、川も集水面積に応じた谷を穿ちます。新川はもともと唐湊の小さな谷の水を流す川だったのに、そこに広大な集水面積の田上川を合流させたのですから、あふれて当然です。まさに人災ですが、責任者は当時のお殿様といえます。田上川を復活させるのが難しいとなると、新川を現在の集水面積にふさわしい広い河道にしない限り、水害はいつまでも続くでしょう。

◆川内川の水害

 川内川は熊本県の白髪岳に端を発する幹線流路長137km、流域面積1,600km2の一級河川です。途中に加久藤・大口・宮之城の盆地が並び、その下流側に狭さく部(くびれた狭いところ)が存在するのが特徴です。上流側がひらけた盆地で、下流側がしぼられているのですから、当然洪水氾濫常習地帯になっています。1972年には宮之城温泉街が流失しました(写真は1957年東郷町)。1966年に完成した鶴田ダムは多目的ダムですが、洪水調節も目的の一つだそうです。一方、最下流の川内平野は低平地ですから、やはり洪水の危険が大きいところです(図は建設省による川内川洪水氾濫危険区域図)。河道掘削など河川改修が行われています。

◆肝属川の水害

 肝属川は高隈山系御岳に源をもつ幹線流路長34kmの比較的小さな一級河川です。流域の約70%がシラス地帯のため、河状係数(最大流量と最小流量の比)が50前後と、外国の大河川と同程度の値を持ち、流量が安定しています。シラスは透水性が大きく、貯留層(水がめ)の役割を果たしているからです。
 肝属川の水害では1938年10月の台風による水害が語り草になっています。死者304人、行方不明者131名の犠牲を出し、大隈9ヶ町が大惨害を受けました。写真は1976年鹿屋市で発生した水害です。そのため、1984年から鹿屋分水路の建設に着手し、1996年には暫定通水が行われています。シラス地帯の地下水面下に建設する分水路ということで有名になりました。しかし、まだ下流では氾濫の危険があるそうです(図は建設省による肝属川洪水氾濫危険区域図)。

◆水害に対する心がけ

普段の心構え
  • 気象状況に気を配る…ただし、増水状況を見に行っておぼれる人が跡を絶ちません。くれぐれも危険個所には近づかないように。
  • 非常携帯品を準備する…非常食・懐中電灯・携帯ラジオなどをポリ袋に密封してリュックに詰めておく。
  • 避難路や避難場所を確認しておく…自分の地区の避難場所を知っておくことと、そこまでの複数の避難路を日頃から考えておくことが大切です。
  • 家の周りの点検をする…水害は台風や豪雨の時起きますから、それらに対する備えも必要です。
緊急時の心がけ
  • 避難命令には速やかに従う…一人のわがままが消防団員やみんなを危険にさらすこともあります。
  • 災害弱者を優先し、一緒に行動する…災害時には助け合いが一番大切です。単独行動は厳禁。
  • 荷物は少なく身軽で暖かな服装を…命より大切なものはありません。たくさん持ち出すのは逃げ遅れる原因になります。

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更新日:2000年1月31日