2000年3月24日、鹿児島大学理学部地学科最後の卒業生を送り出しましたので、このホームページはこの日をもってフリーズしました。もう更新しません。悪しからず。
 なお、「かだいおうち」は日本における大学研究室ホームページの第1号です。歴史的遺産としてここにアーカイブしておきます。

シラス災害


鹿大生の被災|シラスとボラ|ボラすべり災害|表層すべり災害|浮きシラス災害|剥落型崩壊|防災戦略
 上の写真は、1976年6月25日午前6時30分、鹿大生4名と大家さん1名が犠牲になった学生下宿野崎荘です。裏山が崩れ1階部分が完全に土砂に埋まりました。梅雨末期の集中豪雨に伴う災害です。後で述べる典型的な「ボラすべり」でした。

◆シラスとボラ

 シラス災害のしくみを理解するためには、先ず「シラス」と「ボラ」の区別がわからなければなりません。上の写真がシラスです。シラスは鹿児島地方の方言で、白砂の意です。鹿児島は火山国ですから、結局、火山性の白色堆積物を全部シラスと称していたため、ずいぶん混乱しました。それ故、火砕流堆積物の非溶結部に限って使うほうがよいと思います。鹿児島で一番広く分布しているのは約2.4万年前に姶良カルデラから噴出した入戸(いと)火砕流です。当時はウルム氷期の真っ最中でした。
 ところで、火砕流とは、雲仙普賢岳で有名になりましたからご存知でしょうが、軽石や火山灰が渾然一体となって灰かぐらのように流れてきたものです。したがって、写真のように軽石の間を火山灰が埋め、粒が不揃い(淘汰不良)なのが特徴です。そのため、結構強く垂直な崖が自立します。「シラスは水を含むと角砂糖のように溶ける」との俗説がありますが、これはウソです。
<関連サイト>関東地質調査業協会「食べ物と地質」第一話

 これはボラです。やはり方言ですが、地質学用語では降下軽石と言います。火山から吹き上げられた軽石が空中を飛んできて積もったものです。当然、野にも山にも積もりますから、地形に平行に堆積するのが特徴です。また、重いものは早く落ち、軽いものは遠くまで飛びますので、同じ場所には同じような粒のものがそろいます。つまり、淘汰良好なのも特徴の一つです。空隙に富むため、地下水の良好な通路となります。鹿児島市付近で一般的に見られるのは薩摩降下軽石といって、約1.1万年前桜島火山誕生時に噴出したものです。シラスの上に載っています。一番新しいのでは桜島の大正噴火の際出た大正ボラがあります。なお、園芸店で売っている鹿沼土は赤城火山のボラです。

◆最近見られるシラス災害のタイプ

 第二次大戦直後には大規模な浸食の災害があったそうですが、最近見られるものは、学生下宿がやられた1976年の「ボラすべり災害」(本ページ最上段の写真)、1986年のいわゆる7・10災害や1993年の鹿児島大災害で頻発した風化シラスの「表層すべり災害」(災害地質学のページの写真)および1993年にあった思川流域で農地に被害を与えた「浮きシラス災害」の3種類です。なお、直立したシラスがけの亀裂に木の根が入り込み、ごく表面だけが剥げ落ちる「剥落型崩壊」もありますが、土量が少ないため、災害になるようなことは滅多にありません。

(1) ボラすべり災害

 これは1976年6月に発生した鹿児島市宇宿町災害の模式断面図です。ここは堆積物が積もったままとどまっていられる(堆積物の安息角と言います)程度に緩い斜面のため、ボラが斜面に平行に積もっています。傾斜が緩いということは、人間が利用しやすいということで、段々畑になったり、住宅が雛壇のように建てられたりします。ここのボラは地質時代を通じて地下水の通路になっていましたので、粘土化が進んで白く脱色されべとべとになっています。そこを団地開発に伴って人工的に露出させたため、台地上では雨水のしみ込み口を、台地下では出口を作ってしまいました。結局、台地下でパイピングが発生、ちょうど滑り台をすべるように、粘土化した部分がすべり面となってボラ層がすべったのです。

(2) 表層すべり災害

 表層すべりのしくみは単純です。シラスに限らずどんな地質のところでも共通して見られるメカニズムです。がけ崩れなどがあって裸地が出現したとします。先ず草が生え、その枯れ草を肥やしに日向を好む樹木(陽樹)が侵入します。鹿児島付近では松が一般的です。陽樹が生長すると日当たりが悪くなって、日陰を好む陰樹に取って代わられます。これが中学校で教わったいわゆる植物遷移です。地下では、この段階に応じてだんだん肥沃な土壌が厚く形成されてきます。やがて、自分自身の重みに耐えきれなくなると、ついに崩壊してしまいます。これが表層すべりです。ですから、一般の方の常識に反しているかも知れませんが、一見危なそうに見える裸地は比較的安全で、緑豊かに大木が繁っているところほど、そろそろ危ないところなのです。鹿児島市付近では80~100年経って、表土の厚さが数10cmになった頃崩れます。地質学ではこれを崩壊輪廻と言ってきました。一度崩れたところはしばらく安全だとして、崩壊には免疫性があるとも言われてきました。
 このようなメカニズムの崩壊は、自然の摂理であって、人間の力では阻止することはできません。崩壊によって下流に肥沃な土壌が供給されてこそ、平野が形成され、海岸浸食が防止されるのです。自然の現状をそのまま固定しようと試みることは、秦の始皇帝が不老不死を夢見たのと同じで、荒唐無稽です。山崩れ・がけ崩れは必ず起こるということを前提にして、自然とうまくつき合っていかなければならないのです。

(3) 浮きシラス災害

 1993年8月豪雨では、吉田町の思川流域でシラスの土砂流(浮きシラス、シラス洪水)が集落や農地を埋め尽くし、大きな被害を出しました。がけ崩れの土砂が直接川に流れ込んだのではなく、川の上流にある浅い谷に堆積していた二次シラスが流出して災害になったのです。

(4) 剥落型崩壊

 1997年10月6日午前11時頃、松元町入佐で直立したシラスがけが高さ約10m幅約11mにわたって崩れ(土量50m3)、農婦が一人生き埋めになって亡くなりました。先に剥落型は災害にならないと書きましたが、稲刈り作業の休憩中だったそうで、たまたま日陰でも求めてがけに近寄っておられたのでしょう。いわば事故です。剥落型もやはり雨に関係して発生するのですが、この日は晴天で、その前にも雨は降っていませんでした。非常に稀なケースです。お亡くなりになられた方は誠に不運で、お気の毒です。ご冥福をお祈りいたします。

◆シラス災害の防災戦略

 鹿児島にはシラスがけが何万個所もあります。シラス災害は宿命として諦めなければならないのでしょうか。片っ端から地質調査するのは確かに大変かも知れません。そこで、成人病検診になぞらえた防災戦略を考えてみました。地形や先ほどの植物遷移に注目して、先ず外からざーっと見てみます。多変量解析の手法を用いて、要注意個所を洗い出すのです。非専門家も動員した人海作戦ができるよう、ノートパソコンに組み込んだエキスパートシステムも開発しました。名付けてAI診断と言います(人工知能Artificial intelligenceのことでA.Iwamatsuの頭文字ではありません)。要注意個所については、土壌の厚さやボラの有無など地質調査によって調べます。これによって抽出した要精密検査個所については、物理探査やボーリングなど地質精査を実施します。この中から更に要工事個所や、住宅の要移転個所を抽出すればいいのです。成人病検診だって何十万人を対象としているのですから、シラスがけだってできるのではないでしょうか。

 これは1976年のシラス災害で亡くなった鹿大生の形見の目覚まし時計です。6時半で止まっています。冷たい土砂に埋まってどんなに苦しかったことでしょう。こうした悲しい災害犠牲者を二度と出さないよう、がんばって研究をしなければと思います。

 なお、シラス災害の詳細は岩松 暉著シラス災害―災害に強い鹿児島をめざして―をご覧ください。


ページ先頭|鹿大生の被災|シラスとボラ|ボラすべり災害|表層すべり災害|浮きシラス災害|剥落型崩壊|防災戦略
鹿大応用地質学講座ホームページ
鹿大応用地質学講座WWWもくじ
地学関係WWWリスト

連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp

更新日:1999年1月29日