冨山清升の修士論文研究の概要
1983〜1984年(修士論文研究)
修論研究のテーマ「タネガシママイマイの個体群間変異の研究」
【要旨】 陸産貝類は陸上匍匐を主要な移動手段とするため,他の動物群に較べ移動能力は極めて低い.また,湿潤なある程度安定した環境でなければ恒常的な繁殖ができず,集団を維持することができない.このため分布も不連続な場合が多い.こうした理由で集団間の個体のやりとりとそれに伴う遺伝子交流は極端に低いものと考えられる.事実,陸貝には局所的な分化の例が数多く見られ,特に島においてはそれが著しい.
琉球列島北部に分布するタネガシママイマイSatsuma tanegashimaeは種内変異を研究する材料として以下のような利点を持つ.(1) 島にの み分布するため各島の個体群を全体として1つの自然個体群としてみなすことができ,各島から採集した標本で自然個体群を代表させることができる;(2)分布が比較的限られているのでこの種を構成する自然個体群の大部分を把握することができる;(3)地理的変異が著しい;(4)大きな変異を示す形質が多い.本研究ではタネガシママイマイの種内変異を殻形,生殖器,アイソザイムの各視点から分析し,いくつかの統計学的手法を用いて解析を行った.
その結果,タネガシママイマイの種内構造といくつかの生物地理学的知見が明らかになった.
材料と方法
(1)標本の収集;本種の生息地は,宇治群島,草垣群島,種子島,屋久島,黒島,竹島,硫黄島,口永良部島,口之島,中之島,諏訪瀬島,悪石島の各島である.生物区界の東洋区と旧北区を分ける渡瀬線を越えた分布はしていない.各島で比較的生息数の多い地点から採集した標本でその島の個体群を代表させた.黒島では島内3地点から十分な数の標本を採集しえたのでこれらの集団を島内小個体群と仮定して解析の対象に加えた.本種に最も近縁とされるコベソマイマイ Satsuma myonpharaも比較のため解析に加えたが標本は南九州産のものを使用した.
(2)殻および生殖器の分析;今回用いた統計処理の性質上,量的形質のみを用い,殻では33個,生殖器では10個の形質を測定した.個体群間の距離 (どの程度違っているのか数値化したもの) は線形2群判別分析法で求められるマハラノビス汎距離(以下MD値と略す)で表した.個体群間の類似性の解析とグルーピングにはクラスター分析法を用いた.クラスター分析では主として群平均法を使った.また,飼育実験によって生息環境が外部形質におよぼす影響を調べた.
(3)アイソザイムの分析;比較的変異性の高いエステラーゼを用いた.現地で採集したサンプルは生かして持ち帰り,-50゜Cで凍結保存した.分析にはすべて成体を使用した.サンプルは分析時に解凍し,肝臓,腎臓,筋肉をそれぞれ分離し,ベロナール緩衝液と共にすりつぶした.内容物は0゜Cで10000 r.p.m.で15分間遠心し,その上澄液を資料とした.電気泳動には垂直平板型ポリアクリルアミド等速電気泳動法を用い,3゜Cでゲル10mmあたり3mAの定電流で泳動を行った.エステラーゼの染色バンドは各種の基質や阻害剤を用いて同定を行った.各遺伝子の個体群ごとの遺伝子頻度から個体群間の遺伝的距離をNei(1972)の式を使って算出した.
結果
(1)殻型の分析;判別分析で各個体群間のMD値を算出したが,F検定の結果,判別は0.5% 水準ですべて有意であった.コベソマイマイは本種のどの個体群からも離れており,本種の種内変異は種間変異より小さいという結果になった.宇治群島,草垣群島の個体群は他個体群とのMD値が大きく,かなり異質な集団である.黒島では島内でも集団間の距離関係が認められたが,島内個体群間のMD値は島間のそれより低い値になった.個体群間のMD値と地理的距離との間で回帰分析を行ってみたところ,両者の間に相関はほとんどないことが判った.判別分析によって算出したMD値を基に各個体群をクラスター分析により分割した結果,本種は宇治群島グループ,草垣群島グループ,トカラ・三島グループ( トカラ列島,口永良部島,黒島,硫黄島,竹島 ),種子島・屋久島グループの4グループに分けられることが判った.飼育実験の結果,本種は生息環境が異なってもMD値は安定していた.
(2)生殖器の分析;本種の生殖器は長大な鞭状器によって特徴づけられるが,この形質はどの個体群においても安定していた.陰茎付属枝の長さや形態,陰茎鞘や交尾のう柄部の相対的比率などには変異があり,特に宇治群島個体群は特異的であった.生殖器の形質からMD値を算出し,クラスター分析を行ったところ,おおむね殻の形質を用いた場合と同じ結果が得られた.しかし,草垣群島個体群はトカラ列島個体群と同じグループになった.また,生殖器の大きさと殻径との間で回帰分析を行ったところ,両者にはほぼ相関が見られたが,唯一,草垣群島の個体群は殻の大きさに比して著しく小さな生殖器を持つことが判った.
(3)アイソザイムの分析;筋肉中のエステラーゼはあまりに多くのバンドを持つため対立遺伝子の判定ができなかった.腎臓と肝臓はほぼ同じ発色パターンを示した.本種の腎臓エステラーゼには7個の遺伝子座が認められ,うち6遺伝子座に多型があり,対立遺伝子の存在するのは3遺伝子座であった.宇治群島個体群には特異な対立遺伝子が2個認められた.阻害剤による分析の結果,大半がアリエステラーゼに属し,一部がアリルエステラーゼであることが判った.ヘテロ接合体率を計算した結果,トカラ・三島グループに属する個体群は多型の程度が高いことが判った.各個体群の遺伝子頻度から個体群間の遺伝的距離を算出した結果,宇治群島個体群は他個体群と際だって大きな距離関係にあることが判った.個体群間の遺伝的距離とMD値との相関を調べた所,殻形質を用いた場合と生殖器形質を用いた場合の両者のMD値との間にほぼ相関があることが明らかになった.
考察
殻,生殖器,アイソザイムの分析から,本種の個体群間変異は非常に大きいが,種間変異より明らかに小さいことが判った.特に生殖器形態は他種と明瞭に区別ができ,エステラーゼの染色パターンは種が異なると,どのバンドが相同なのか同定すら困難なほどに違っていた.これらの結果から本種は1つの種として比較的まとまった集団を形成していることが判る.
殻形質は飼育実験の結果,生息環境の影響を受けにくく,遺伝的な支配が強いようである.宇治群島個体群は本種中にあっては非常に異質な集団である.各分析でも他個体群と明瞭に区別ができ,他個体群にはまったく存在しない形質を多数持っている.これらの事実から同個体群は明らかに亜種として区別して良い集団と思われる.同群島の成立は地史的に非常に古く(10m.y.),陸貝の固有種も多いことから,本種もかなり古い時代に隔離されて現在の状態になったのではないかと思われる.
草垣群島個体群は生殖器が小さく大卵少産である.同群島は孤立した小さな島で地史もかなり古く(5 m.y.),本種以外の大型の陸貝や捕食者は生息していない.マイマイ類は上記のような環境条件を持つ大洋島では体が大型化し,大卵少産になる傾向がある.同個体群は殻形は他個体群より著しく大きいが,生殖器はむしろトカラ列島個体群に似る.生殖器形態の安定性から考えて,同群島個体群はトカラ列島個体群と同じ起源を持ち,大洋島的選択圧によって現在のような形態になったのではないかと考えられる.
黒島では島内小個体群間で比較を行ったが,島間変異よりも小さい結果となっている.このことは,島内個体群間では遺伝的交流が頻繁に行われていることを示唆している.種子島,屋久島両島個体群は近縁であることが判ったが,これは両島がウルム氷期に陸続きであった頃に,両個体群間の遺伝的交流があったことを示しているものと思われる.
硫黄島と竹島は約6300年前の鬼界火山の大爆発によって形成されたカルデラ壁の一部であることが知られている.この爆発による降下物は遠く千島にまで及んでおり,両島生物は完全に死滅したものと思われる.当時,ウルム氷期は終っており,その後両島は孤立状態にあったと考えられるので,現在,両島に生息する生物はなんらかの手段で海を渡ってきたものと思われる.両島に生息する本種は各分析の結果,黒島個体群とほとんど同一であることが判った.これら3島は定期船で結ばれており,黒島の特産種と考えられていた陸貝が両島にも分布していることから,両島に生息する本種はごく近年になって黒島から人為的に移入された可能性が高い.
以上のようにタネガシママイマイの種内構造を明らかにできた.その結果,本種の個体群間変異の程度は地史的要因である程度説明ができることが判り,また,殻という単純な形質を用いても生物地理学的考察ができることが明らかになった.