竹屋鄕
 内山田村にあり、河邊郡山田の分界に係る、此所は瓊々杵尊、吾田長屋笠狹崎に到りて、此國の美人、鹿葦津姫を娶り、火闌降命、彦火火出見尊、火明命の三皇子降誕し給(変体仮名)へる地にて、書紀、及ひ風土記に、所謂竹屋とは即此なり、其地たる一の岡山にて、其顚に廣さ二畦計の平地あり、上古柱の礎三、小石多く殘り、前條鷹屋神社のありし跡なりと云、竹屋鷹屋通用するは彼條に記が如し、其祭神、所謂三皇子にて、爰に其三神を祀れるは、此地に降誕の故なるべし、地志略には、王子大明神と見江(変体仮名)たり、是亦三王子の故に、王子とはいへるなるべし、土人此所を竹ヶ尾とも唱ふ、尾は丘の事にて、猶竹屋の岡と云と同じ、又竹屋鄕の山下五六十間許に、竹林あり、是皇子の臍帶を截て棄し、竹林の遺蹟なり、此竹は、今の世に(キン)竹とも、笛竹とも、呼べる者也、其長さ二丈許、周圍二三寸、節相去こと尺餘、其根鞭行せず、其笋薑芽の如く叢生して、母子散らず、挿せは能活く、藩人植て檣屏に換へ、或は火繩を製し、或は舟子の輩索に作て、其用頗る廣し、漢名の義竹、孝竹と云屬なり、本藩に多く、九州にも稀にある者なり、(以下、略)
 南さつま市竹屋はシラス分布地域ですが、四万十層群の残丘が小高い丘を作っています。
かだいおうち