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山川村、鳴川村の兩地に亘る、此港天然の海灣にて、其周廻凡一里、港口東に向ひ、濶さ凡八町、港深さ數十尋なり、港の總狀瓢に似たり、港口は瓢の頭にて、港内は瓢の腹の如し、故に大船巨舶も此港に泊繋する時は、如何なる大風といへども安隱にして、四方の風に至ても、畏ることなく、且薩隅二州の間、海水南より北に入ること數十里の裏海なるに、此港其海口にあるなれば、舟船の出入停泊甚便利なり、凡本朝の内、良港多しといへども、或は小く、或は淺く、或は所在不便利なるに、此港は、殊に衆美を備へたるゆゑ、大船巨舶數百十艘を出入泊繋すといへども妨くることなし、四方の人民、來り看る者、列國諸州かゝる良港はあること少しとて、稱賛せざる者なしといへり、然れば豈啻に本藩の良港なるのみならんや、實に天下の良港と謂つべし、故に琉球諸島に往る者、皆風候を待つの所とせり、本藩の舟舶は言ふを待たず、四方の商船賈舶常に輻湊するを以て、當邑には艚戸豪賈多くして、人煙繁庶なり、唐土及び朝鮮等の漂舶、當邑の近地に來る時も、此港に引入て後、諸事を調へ、長崎へ護送せり、此港は古來海門の藩籬なる故、應永中、 義天公の命にて、鎌田清只、兒玉某を此地に移し守らしめ給(変体仮名)ひしは、世人所レ知なり、當港を指宿十貳町村の境、渡と云所より眺望するに、風景特に佳勝たり
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