| 烏島この下に |
|---|
![]() |
![]() |
![]() |
| 烏島は大正溶岩に埋まったとして有名です。その経緯は、東大理学部地質学教室(現地球惑星科学科)小藤文庫に所蔵されているスケッチ帳に記載されています。スケッチ帳は5冊ありますが、小藤文次郎教授が調査に出発する前の1月12日午前8時20分から書き始めていますので、小藤が書いたものではありません。七高の地質学鉱物学講師だった篠本二郎宛の葉書が貼ってありますので、恐らく篠本が小藤にプレゼントしたものでしょう。なお、大正大噴火は午前10時5分頃から始まっていますので、篠本は前兆現象を観察して記載していることになります。(文責・写真撮影:岩松 暉) |
| <碑文> 烏島この下に HUIO FUIT INSULA KARASUGASIMA <副碑> 烏島ハ高サ約二十メートル周囲凡ソ五百メートル玄武岩質岩石カラ成ス島デアッタ 大正三年「西暦一九一四年」一月十三日桜島西腹カラ流出シタ熔岩ハ十八日遂ニ此ノ島ヲ埋没シ終ッタ 茲ニ碑ヲ建テテ其ノ跡ヲ示ス 碑ノ建設ハ先ニ東京帝国大学名誉教授小藤文次郎並ビニ第七高等学校教授阿多実雄両故人ノ計画シタ所デアッタ 今其ノ実現ヲ見ルニ至リ由来ヲ記ス 西暦一九五一年一月十八日 東京大学教授坪井誠太郎 鹿兒島大学助教授有田忠雄 昭和廿六年一月十八日建之 西桜島村 芳湖人 |