戦争と第七高等学校造士館
学徒動員
長崎原爆被爆などの記録

第七高等学校造士館の生徒が学徒動員先の長崎で原爆を被爆し、多くの生徒が犠牲になった事実は、各種の文献で語られてきました。七高造士館が、戦争によって多大な影響を被ってきたという歴史的な事実を見据えた上で、そのような戦争と七高造士館の関係についての資料を集めてみました。

鹿児島市空襲と七高造士館の被害

 太平洋戦争の末期、鹿児島市は3回にわたる米軍の空襲にみまわれ、市街地は灰燼に帰しました。一連の空襲で七高生も2名が亡くなりました。第七高等学校造士館の校舎も壊滅し、多くの貴重な資料も失われました。これら鹿児島空襲と七高造士館にまつわる資料を集めてみました。

長崎原爆被爆

 長崎原爆投下により、学徒動員中の七高生が被爆し、15名(入学待機中の1名を含む)の七高生が犠牲になりました。敗戦後も、原爆の後遺症により、多くの七高生が亡くなりました。これらの記録を集めてみました。


浦上挽歌 (2011年5月) :学徒動員中に被爆された谷口治正さんが1951年9月9日に書かれた詩に、池田直樹様(日本大学芸術学部教授)の朗読・南 弘明様(東京芸術大学音楽学部名誉教授)が作曲され、2011年5月に制作された作品です。南 弘明先生は日本の音楽にシンセサイザーを導入された先駆者として著名な方で、国際的にもシンセサイザー音楽の第一人者として有名な方です。

「浦上挽歌」の公式CDは2011年7月25日に、東京芸術大学名誉教授南弘明先生より郵送して頂き、拝受いたしました。南弘明先生のご好意でこのCD「浦上挽歌」をご寄贈頂きましたので鹿児島大学総合博物館に保管することに致しました。


学徒勤労動員

太平洋戦争末期の学徒動員により、旧制高校は修養年限が2年に短縮され、文科は兵役免除が廃止され、在学時、もしくは、卒業と同時に徴兵されるなど、多大な犠牲を強いられました。また、在校生も授業停止により、各種の軍需工場に動員されました。これらの記録をまとめてみました。

学徒出陣・七高造士館卒業生の戦地での記録

 第七高等学校造士館の卒業生や教職員の中で、少なからずの方々が、応召により出征され、戦死や戦病死をとげています。これまでまとまった形での紹介がなされていなかったこともあり、その実態は必ずしも明らかではありません。各種の記録を拾い集めてみることにしました。

東郷重徳 (とうごう しげのり)

東郷重徳氏は、第七高等学校造士館の第一回卒業生で、外交官畑の要職を歴任し、開戦時の東条内閣で外務大臣、終戦時の鈴木内閣で外務大臣を務め、太平洋戦争の開戦と終戦に密接に関わった人物です。東郷重徳氏の記録を集めてみました。


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