2000年3月24日、鹿児島大学理学部地学科最後の卒業生を送り出しましたので、このホームページはこの日をもってフリーズしました。もう更新しません。悪しからず。
 なお、「かだいおうち」は日本における大学研究室ホームページの第1号です。歴史的遺産としてここにアーカイブしておきます。

シラス台地の地形発達


シラス台地|ピナツボ火山の浸食|浅い谷と深い谷|シラス台地の浸食|後氷期の気候とシラス台地の浸食|シラスドリーネ

◆シラス台地

 鹿児島の地形を特徴づけているのは何と言ってもシラス台地です。周縁を急崖に囲まれた比高100m程度の台地が広く分布しています。一番大規模なものは鹿屋の笠野原台地ですが、高隈山から撮影すると単なる平野にしか写らず、高い台地というイメージがわかないので、ヘリコプターで撮った鹿児島市桜ヶ丘団地の写真をお目にかけます。鹿児島市内の台地はほとんど全部団地化されています。

◆ピナツボ火山の浸食

 シラス台地が最初に出来た時はどのようだったのでしょうか。それがどんな風に開析されていったのでしょうか。シラスは火砕流堆積物ですから、火砕流が目の前で流れたところを見ると参考になるはずです。1991年フィリピンのピナツボ火山が噴火して大量の火砕流を出しました。現在ではその後の雨で随分浸食が進んでいます(写真:北大宇井忠英教授提供)。シラスが噴いたのは氷河期ですから亜熱帯のフィリピンとは違いますし、第一規模が桁違いですが、ミニチュアを見ていると思えば、なかなか示唆に富んでいます。

◆浅い谷と深い谷

 シラスが地表全面を覆った後に雨があれば、布状洪水を起こして浅い谷が傾斜方向に無数に出来たことでしょう。今でもその痕跡が残っていないものでしょうか。空中写真を丹念に見るとそれらしきものが見出されます。さらにそれらが後からできた深い谷に移行したり、河川争奪を受けたりしたことが分かるところもあります。左図は知覧町におけるシラス堆積面の復元です(佐久川,1996卒論)。赤線は推定等高線で、白抜きが浅い谷を示します。

◆シラス台地の浸食

 そのような浅い谷には二次シラスが積もっているはずです。しかし、台地の上は露頭がありませんから、なかなか確認するチャンスがありません。最近、高速自動車道の工事に伴って、時々見られるようになりました(福田,1995卒論)。
 では、それらを浸食する深い谷はどのようにしてできたのでしょうか。佐々木登範(1997卒論)は、谷頭浸食のように下流側から浸食が進むと述べています(左図)。河川に遷急点が出来ているのは安山岩が伏在しているためだそうです。

◆後氷期の気候とシラス台地の浸食

 岩松(1976)は切り立った崖を持つ深い谷の斜面上には薩摩降下軽石がないことなどから、深い谷は縄文海進後の新しい谷で、浸食基準面の下降に伴って浸食が活発になった際に形成されたとしました。詳しくは『シラス災害』第4章をご覧ください。

◆シラスドリーネ

 シラス台地にはカルスト台地と同じようにドリーネがあります。図は川辺町鳴野原台地のシラスドリーネです(堀切卒論, 1989)。直径数10m深さ8m程度の大きな窪みが6個直線状に配列しています。ここは四万十層群の基盤に近くてシラスが薄いところです。シラスドリーネの成因についてはよくわかりませんが、火砕流堆積物の下部非溶結部がパイピングを起こして流亡したため、その上にある溶結凝灰岩が陥没し、その結果上部非溶結部のシラスが崩れてできたのだろうと考えられます。

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更新日:1999年6月17日