水害
| 鹿児島県における戦後の主な水害 | |||
|---|---|---|---|
| 河川名 | 発生年 | 原因 | 主な被害 |
| 川内川 | 1954.8 | 台風 | 死者13人、全半壊8,600戸、浸水12,000戸 |
| 川内川 | 1969.6 | 梅雨 | 死者52人、全半壊630戸、浸水20,000戸 |
| 川内川 | 1971.7 | 梅雨 | 死者12人、全半壊290戸、浸水12,000戸 |
| 川内川 | 1971.8 | 台風 | 死者47人、全半壊790戸、浸水14,000戸 |
| 肝属川 | 1949.6 | 台風 | 死者多数、家屋被害・田畑流失多し |
| 肝属川 | 1971.8 | 台風 | 死者2人、家屋被害479戸 |
| 肝属川 | 1976.6 | 梅雨 | 死者4人、家屋被害222戸 |
| 肝属川 | 1990.9 | 台風 | |
| 加世田川 | |||
| 甲突川 | 1993.8 | 梅雨 | 浸水12,300戸 |

県都鹿児島市のシンボルでもある甲突川は、江戸時代から何度も流路を人工的に変えられました。そのため、市内の部分はいわば運河で、自然堤防のない掘り込み川になっています。甲突川の水害は「平成5年8月豪雨」によるいわゆる8・6水害が有名です(左図)。五大石橋の撤去が社会問題になり、上流に団地を作ったことによる人災だとの論も叫ばれました。しかし、団地が作られるずっと以前からしばしば水害に見舞われてきたのです。
鹿児島市の新川は毎年のように水害に見舞われます。それには訳があります。左図は有史以前の鹿児島市の様子を示しています(鹿児島のおいたち,1955)。田上川は直接海へ注いでいました。それを江戸時代に新川にドッキングさせたのです。蟹が甲羅に合わせて穴を穿つと同様、川も集水面積に応じた谷を穿ちます。新川はもともと唐湊の小さな谷の水を流す川だったのに、そこに広大な集水面積の田上川を合流させたのですから、あふれて当然です。まさに人災ですが、責任者は当時のお殿様といえます。田上川を復活させるのが難しいとなると、新川を現在の集水面積にふさわしい広い河道にしない限り、水害はいつまでも続くでしょう。
川内川は熊本県の白髪岳に端を発する幹線流路長137km、流域面積1,600km2の一級河川です。途中に加久藤・大口・宮之城の盆地が並び、その下流側に狭さく部(くびれた狭いところ)が存在するのが特徴です。上流側がひらけた盆地で、下流側がしぼられているのですから、当然洪水氾濫常習地帯になっています。1972年には宮之城温泉街が流失しました(写真は1957年東郷町)。1966年に完成した鶴田ダムは多目的ダムですが、洪水調節も目的の一つだそうです。一方、最下流の川内平野は低平地ですから、やはり洪水の危険が大きいところです(図は建設省による川内川洪水氾濫危険区域図)。河道掘削など河川改修が行われています。
肝属川は高隈山系御岳に源をもつ幹線流路長34kmの比較的小さな一級河川です。流域の約70%がシラス地帯のため、河状係数(最大流量と最小流量の比)が50前後と、外国の大河川と同程度の値を持ち、流量が安定しています。シラスは透水性が大きく、貯留層(水がめ)の役割を果たしているからです。