第七高等学校造士館 写真集

武藤 誠さんのアルバム集
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1941年(昭和16年)12月9日 
七高造士館の東寮で太平洋戦争勃発の新聞記事を読む武藤 誠さん

三寮対抗テニス大会

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グラウンドでのテニスの試合

テニス大会後のストームの風景

東寮の旅行;人吉・球磨川方面

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川下り途中の景勝地での記念撮影

球磨川下り
傘をさして乗っているのは、川下り船の説明嬢

川下りの途中で降りた所での記念撮影

川下りを終わった場所での記念撮影
女性は川下り船の説明嬢
  
紋付き姿で立っている人は、東寮総務の江口邦雄さん(昭和17文甲)

紋付き姿で前列で座っている人は、東寮副総務の山内敏夫さん(昭和17理甲)
兄さんは海軍中尉で昭和12年南京総攻撃の爆撃機で大村から出撃して未帰還。
母上が海軍省に出された手紙が公表され、軍国の母と言われた。
どこか淋しそうな人だった。

昭和16年の東寮における武藤さん

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東寮で読書をする武藤さん

(ズボンの破れに注目とのこと)

東寮の前で記念撮影

昭和16年の寮対抗競漕大会(ボートレース);磯海岸にて:東寮の優勝

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鶴丸城正門前の欄干橋を出発する東寮選手団・応援団

磯海岸に到着した東寮選手団・応援団;左の旗持ちが武藤さん

磯海岸のボート
応援団も海に入って選手を激励

ボートレース後の表彰式;東寮の優勝

東寮優勝後の記念撮影

ボートレース後のファイヤーストーム
日独伊の旗に注目

昭和16年秋の寮祭;東寮

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東寮の展示
 

寮祭が終了し、東寮の前での打ち上げ会の様子。
 ;金色夜叉の貫一・お宮のパロディーのジオラマ。
 ;日本の東郷茂徳外相(七高第一回卒業生)が、米国のルーズベルト大統領を足蹴にしている。
 ;背景の絵は、熱海の海岸ではなく、鹿児島の磯海岸と櫻島とのこと。
 
時恰も動乱の超非常時
我等が東郷外相の印綬を帯ぶ我等彼に期待する物切なり、敢て愚作を弄して、心の叫びを奉げんとす。乞ふ必死の絶叫を聞かれん事を。
「西チヤーチルを撲りつけ、東ルーズベルトを一蹴せよ」

東寮の演劇:「西郷隆盛の首級」
 ※武藤さんは私学校生徒役で出演

東寮の演劇出演者の記念撮影
  ※桟敷席の七高生のマント姿に注目。

天文館ストーム;東寮

天文館ストーム;東寮
 
「天文館」とは鹿児島市一番の繁華街の名称です。
七高生は、度々、天文館に繰り出してストームと呼ばれる大騒動の示威行為を繰り返していました。
鹿児島市民の七高生を見る目は、「七高さん」と呼んでおおむね好意的で、街での大騒ぎも大目にみていたそうです。

昭和16年の東寮

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三寮合同の校庭でのストームの様子

昭和17年入学の東寮生の写真
背景は東寮 前列中央は総務とその他の役員
総務は大中春朝(S17文甲)

昭和16年東寮の櫻島登山

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桜島北岳の火口底に七高造士館の文字を掘っている

櫻島登山前の登山口近くでの記念撮影

昭和16年東寮の開聞岳登山

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登山前に開聞岳山麓で記念撮影

開聞岳山頂で記念撮影

七高造士館での生活やスナップ

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隼人町の鹿児島神宮前での記念撮影

東寮の前で読書をする。
右側が武藤さん。
左は吉良公平さん(文2)

エルステ(鹿児島第一高等女学校)の女学生

昭和16年12月8日太平洋戦争勃発

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1941年(昭和16年)12月9日
太平洋戦争勃発の新聞記事を読む武藤さん


昭和16年12月8日
七高造士館の本館背后の通用口の黒板
黒板に書かれた太平洋戦争初期の戦果速報
ラジオ放送のものを断片的に伝えたものと思われる。

帖佐勝年さん ;復員後に亡くなられた。
戦後、軍隊から帰り、すぐに死去されたとのこと。
昭和18文甲
鹿児島県川辺郡知覧町・川辺中学・京都大学法学部
武藤さんと仲が良かった。

吉良公平さん ;戦死
昭和18文乙
大分県北海郡臼杵町・臼杵中学・京都大学経済学部
武藤さんと仲が良かった。
 「臼杵市出身の吉良公平君は、文科だったので陸軍に入り、将校として比島のレイテ島攻防戦で戦死した。米軍が占領した飛行場を奪回するために、輸送機で斬り込み要員を満載したグライダーを牽引し、このグライダーを飛行場に着陸させて、飛行場を占領しようとするもので、高千穂空挺隊といわれた。吉良君は着陸に成功したが、銃弾に倒れた。出発にあたり山下奉文大将は同君に軍刀を授けたとのことである。」
武藤 誠 (2003) いくさ世の回想.私費出版(131pp),p.125.
 
倒れた後、部下の下士官が背負ってきた、とのこと。

昭和17年は、武藤さんは運動のやり過ぎで体を壊して休学。


昭和18年七高造士館での集合写真

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霧島神宮前での西寮メンバーのの記念撮影

中央の和服姿が西寮総務の武藤さん

霧島温泉内の団体用大衆旅館にて記念撮影
西寮のメンバーと

中央は佐伯徳樹先生
  
当時、寮は既に学校当局の管理下におかれ、国士寮東寮と呼んだ。同じく国士寮西寮、南寮といった。
武藤さんは西寮総務をやるようにとの学校からの辞令で任命された。
各寮の自治権はなくなった。戦時中のことです。

昭和18年霧島旅行・韓国岳登山

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韓国岳山頂にて記念写真

霧島山麓にて記念写真

昭和18年七高造士館陸上部

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陸上部員

陸上部員による宮城遙拝

昭和18年七高の生活

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国文学の川出朝須美教授

昭和18年勉強中の七高生(昭和18年入学生)

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昭和18年軍事訓練

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七高裏の土蔵

この土蔵は七高跡地にある黎明館裏手に現在も残っている。

城山の登山遊歩道にて

昭和18年吹上の散策

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軍隊に入る前に、友人と別れの旅行で吹上浜に散策に行った。

昭和18年学徒出陣

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七高造士館における出陣学徒の記念撮影

学徒出陣時の武藤さん
武藤さんの実家前で撮影
福岡県八女郡白木村



昭和18年卒業記念写真

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何の写真か、小生(武藤さん)にもわからない。

左から後藤弘毅先生。イタリアで仕込んだだけあってスマートですね。
その右は黒木長太郎先生(数学)などです。
なにか正式の屋外での集会(先生方だけの)。
どうして小生が持っているのか分からない。

当時の高校の先生は、気品と風格があったね。
学生も寮生活は写真のように派目をはずしたところも多かったが、教室では真面目に勉強していた。

先生も立派な人が多かった。
中学の頃の先生とは格段の違いがあった。

  • 七高造士館卒業生の武藤 誠さん(昭和19年文1)から貴重なアルバムを貸与いただき、アルバムの写真情報を提供していただきました。
  • これらの写真は、他には未公開の貴重な映像だと思います。
  • 特に、1941年(昭和16年)12月8日の「太平洋戦争勃発の新聞記事を読んでいる様子を撮った写真は歴史的な1枚ではないか」と、武藤さん本人も言っておられます。
  • 写真に多く写っている昭和17年卒業・昭和18年繰り上げ卒業の七高生はその後、多くが戦地に赴かれ、戦死された方々も何人もおられます。その意味でも貴重な写真の数々ではないかと思います。
  • 貴重な写真を御提供下さった武藤 誠さんには篤く御礼申し上げます。また、仲介の労をとってくださった木アさんにも御礼申し上げます。

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