はた研究室
Chaos, Complex System,
Statistical Physics

駄文

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2007/11/18 授業で副読本として蔵本先生の「非線形科学」(集英社新書)を使っている。 授業で話しきれない考え方とか雰囲気とかが伝わるかもしれないとの期待からだ。 また、「数式を使わずに述べられている内容」を授業で「数式を使って説明する」 という試みでもある。うまくいくという確信があるわけではないが、どんな結果 を生むか楽しみながらやってみよう。

2007/9/30 札幌の郊外、野幌の森林公園を訪れる。雷雨に見舞われ大変だったが、 整備された公園の中であっても北海道の片鱗を見ることができた。
家族への土産の毛ガニを食す。 流石に美味。これも北海道の片鱗である。
北見の友人よりジャガイモとトウモロコシが届く。 同封される手紙には自然と向き合うことの厳しさと楽しさが充ち満ちている。 もちろん、長距離の運搬をして食すことへの疑問は自分の中に多少あるのだが、まぁよしとしよう。

2007/9/10 予測不可能なカオスを研究するとはどういうことか?としばしば尋ねられる。
ある回答はこうだ。 「ある時間が経過した後にどうなっているかを予測できない」ことは、何もわからないということではない。 決定論的記述ができなくなっても統計的記述は可能で、それを調べるのだ。
更なる回答はこうだ。 複雑な変動を不規則と片付けると、現象へのアプローチはそれで停止する。 決定論的予測が不可能なだけで、ダイナミクスは決定論的である(かもしれない)と考えることで、更なるアプローチが可能になる。

2007/8/27
一人の人間にできることは限られている。「何をなすべきか」と考えすぎると迷ってしまう。 なぜなら、唯一のベストな解などないのだから。
よさそうな解の1つをやっていくこと。 それでよいのだろう。それを自分の「なすべきこと」として進むこと。 それが「情熱」かもしれない。
僕が研究の中で順に出会った森・藤坂・井上先生の共通項は、 その「情熱」のように思われる。

2007/8/12
8月6-7日は Teacher's Science Camp ということで、 大口・加治木・国分高校の先生方と理科の体験的・実験的教育について模索した (大学のスタッフは教員3名およびTA2名)。研修の中身が有効であったかどうかは別に評価するとして、 「理科教育をどうにかしたい」という必要性をお互いが感じていることをわかりあうことは意味があったと思う。
「何だ。当たり前のことではないか。」 との声もあるかもしれない。その当たり前のことが、忙しさや何かの中で置き去りにされやすいのだ。評価もされにくい。 でも「学問に王道なし」なのだ。当たり前のことを繰り返していくこと、それが一番大事。

2007/07/20
梅雨が明けた。梅雨には「入り」「明け」がある。○○地方では○月○日から○月○日までが梅雨ということになる。 気候は連続的変化であって「始まり」とか「終わり」とかいうものはない。それを設けるのは人間である。 従って、梅雨入りや梅雨明けには"あやふやさ"がつきまとう。だからと言って梅雨があやふやなのではない。 1年の気候を眺めると梅雨という現象は確かに見えてくる。要は時間スケールの問題なのだ。 今日か明日かというスケールで見ると梅雨の始まりも終わりも明確になってこない。1週間程度のスケールで見ると明らかになってくる。 この辺りが多くの人には難しいらしい。 私達は、スケールを変えてものを見るということをもう少し学んでいく必要があるかもしれない。
ちなみに気象庁が梅雨入り・明けを発表し始めたのは1955年頃かららしい。 現在では速報値と確定値が発表されている。

2007/07/05
ここのところよく雨が降っている。 もちろん, 梅雨だから雨は当たり前だが, ここ数年降り方が変わってきているように感じる。 地球規模の気象変動と関係しているのだろうかとも思う。 ただし, 思うだけでデータはない。
いわゆる地球温暖化のような 地球規模の気象変動について科学はどれほどのこときちんと言うことができるのか。 気象の専門家ではない物理屋として言うならば, 「どうなるのか」について科学は苦しいというのが正直なところだと思う。 理由はいくつかある。
例えば, その変化は1日や1年の変化に比べて遅く小さい。 一日の変化, 一年の変化よりも大きな変化であれば, 簡単に物事を断じることができるかもしれない。 しかし問題の変化は遅く小さいのだ。物理現象においても小さく遅い変動が, 大きな速い変動に合わさっている場合, それを捉えることは難しい。
また, Newton力学に代表されるような 物理現象は様々な実験に支えられている。 科学的なデータとは繰り返した実験で得られるデータである。 しかし, 問題の変化は我々にとって(おそらく地球にとっても)初めての変化である。 つまり, 問題の変化に対し我々は科学的に満足できるデータを持ちようがないとも言えるのだ。

2007/06/20
これから1月ほどの間に, 小林高等学校,日南高等学校に出前授業に行く。 隣県とはいえ距離は80kmほど近くはないが遠くもない。しかし, 遠い。 日南はJRで4時間以上かかる。便数も少ない。 鹿児島-東京よりずっと遠いのである。これが今の社会の一側面なのだ。 人口が減り, 公共交通機関が消え, サービスが都会に集中し, ...これらが循環しながら社会は 「進化」している。
補足 : 確かに田舎でも都会に出るための道路は整備されている。 今や田舎の生活では生活必需品を買うために車が欠かせない。でも, 車がいつまでも使えるのだろうか。 次の問題が待ちかまえている。
参考 : 80kmは東京-熱海, 京都-明石くらい。

2007/06/05
17年間地中で過ごした後, 成虫になって地上に出てくる17年ゼミがアメリカで大発生しているそうだ。 13年ゼミというのもいる。なぜ, 17と13つまり素数なのか。 仮に進化の過程で12, 13, ...,17, 18年ゼミが発生した場合, 12年ゼミは14年ゼミと 12×7 = 14×6 = 84年に一度, 15年ゼミとは12×5 = 15×4 = 60年に一度, 16年ゼミとは48年に一度出会う。 13年ゼミは12年ゼミと 12×13 = 156年に一度, 14年ゼミとは 14×13 = 182年に1度, ... しか出会わない。 この出会いの少なさが, 種の競合を押さえたと考えられている。
13年ゼミや17年ゼミは有利なリズムを見つけたのだとも言える。これは正しく素数の性質である。 素数を発見したのはヒトではなくセミかもしれない。

2007/05/21
井上(政義)先生が定年退職されたお祝いの席で「窮理熱」という言葉を紹介した。 「窮理」とは「物理」という言葉が政府によって定められる前の言葉である。
黒船が来て開国する中で, 日本人は広く数理・科学を学ぶ必要性を感じたらしい。 それを「窮理熱」と言ったそうだ。 日本で最初の科学入門書の1つである「訓蒙究理図解」(福沢諭吉)も、その中で出されたものである。 つまり, 諭吉は「窮理熱」の感染源とも言えよう。確かに慶応義塾の授業にも「窮理」の時間がかなりあった。
福沢諭吉の故郷中津(大分県)は井上先生の故郷でもある。 井上先生は(破天荒な面もある)面白い方だが, 諸科学に対する姿勢は真摯なものであった。 どうも子どもの頃過ごされた中津で「窮理熱」にかかられたのではないだろうか。

2007/05/08
かって経済活動は物々交換で行われていた。そこでは互いの必要性が整合しない限り, 交換は成立しない。 通貨が発明されると, 物への交換でなく通貨への交換を行うことで, 経済活動は盛んになった。 そして世界は豊かになったらしい。
でも, ちょっと視点を変えて考えてみよう。通貨によって様々な物は1つの物差しにのせられる。 1つの物差しにのせることは順番がつくということなのだ。物々交換では全体に渡る順番などはない。 通貨は, この世界に順番を持ち込んだのだ。
確かに通貨は便利なのだけれど...。

ちょっと下火になった感はあるが「へぇー」という言葉が流行った。先日、授業をしながら、この「へぇー」について考えた。知らないことを知ったときの驚きとして「へぇー」と受けるのであるが、ちょっと似たシーンで使う言葉に「なるほどー」というのがある。こちらは、自分が既に持っていた知識・情報と整合した場合に使う。合点が行くというやつである。科学で新しいことがわかる・理解すると言うことは、「なるほどー」に至ることであろう。「へぇー」を悪いとは言わないが、「483へぇ」で止まってしまってはつまらないと思うのだが。
追記:合点なんてあまり使わない言葉を使ったが、(自分としては)上記の意味合いにおいて、いい字面だなぁと思ったので語源を調べてみた。残念なことに、佳い和歌に印を付けるあたりに起源は遡るらしく、整合性とかいうことではないようである。しかしながら、和歌の佳し悪しもそれまでの体系の中で定まるものと考えれば、整合しないことはない。

2005/08/25
大学院入試が終わる。以前より少し減った気はするが, 「学部時代に不勉強であったので, 大学院に行ってもっと学びたい」と語る学生がけっこういる。「不勉強であったので勉強し直したい」というのはわかるが, 何故に大学院進学なのだろう。「もっと学びたい」というのは聞こえがいいが, では「今, 何を学んでいるのか」と尋ねると中身のない者が多い。「これからやります」と言うが, 今, 学んでいない者が, これから学ぶのだろうか。(もっとも, このやりとりを繰り返している我々も, 違った意味で何も学んでいないのかもしれないが・・・)

2005/7/15
育った博多(福岡)の祭り『山笠』のフィナーレ“追い山”の日である。高校時代、同級生が山を担ぐために“公休”となっていたのを思い出す。公休となるのは山笠の町内に住む山を担ぐ者である。学年に何人いたであろうか・・・。当時は特別扱いの不思議な制度があると思ったものだが、あれで良かったのだと思う。今は、どのようになっているのであろうか。そう言えば子どもの頃、小学校は宗像大社の放生会の日は休みだった。放生会に歩いて行ったことも覚えている。今は、そんなことはなくなったそうである。確かに特定の宗教の祭りを休みにするのはまずいのかもしれない。一方で昔からある地域の祭りを大切にするというのもいいことなのではないだろうか。ルールを厳密に適用することでギスギスとした社会になることがないように

桜井邦朋 著 『福沢諭吉の「科学のススメ」』 (祥伝社)を読む。福沢諭吉は『学問のすすめ』等で知られるが、科学(特に数理・物理)の必要性を強く説いた。彼が科学が重要であると説いたのは、富国・・を目指す上での技術の必要性故ではなく、科学的な思考ができる人間が育つ必要性故にであった。現在、我々は、そのような教育をなしえているであろうか。(このような本を世にだされた桜井氏に感謝)

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