第七高等学校造士館 詳細年表
1901年 明治34年


前の年へもどる 次の年へすすむ

【七高造士館の創設】

 第七高等学校造士館は明治34年(1901)3月に開設された。公爵島津忠重は政府に高等学校増設の議があることを知り、父祖の意志をついで金員16万2000円、元高等中学造士館の建物・図書・器具・器械などを寄付し、鹿児島に高等学校開設のことを請願した。これが納れられ第七高等学校造士館の設立となったのである。

 初代館長には、岩崎行親が任ぜられた。そして、学校の位置は鹿児島市山下町117番地と定められた。即ち旧鶴丸城本丸址の地である。同年6月、文部省令第13号をもって本校に大学予科を設置し、7月に予科各部1年生を募集し、9月に入学試験を施行、合格者147名の入学を許可して、同月26日より授業を開始した。

 そして、9月30日には寄宿舎を開いて生徒を入舎せしめた。10月25日に開校式をあげ、文部大臣菊地大麓、学務局長上田萬年らがこれに臨席した。以来この日をもって開校記念日と定め、記念行行事を行うことになった。 (増村,1960)

増村宏教授(1960)の「七高略史」より転載

【公式校務】

1月
2月
3月 勅令第24号を以て文部省直轄諸学校官制中改正の件を公布せられ、同官制第一条第一項中に第七高等学校造士館を追加せらる。 (七高祝賀会,1926)
勅令第25号を以て本校職員の員数を定められる。(七高祝賀会,1926)
4月 鹿児島県第一中学校校長兼教諭鹿児島県中学造士館長 岩崎行親 本校教授に任じ、校長心得を命ぜらる。 (七高祝賀会,1926)
5月 本校規則を制定す。(増村,1960)
6月 文部省令第13号を以て、本校に大学予科を設置し、同省告示125号を以て本校の位置を鹿児島県鹿児島市山下町117番地と定めらる。 (七高祝賀会,1926)
7月 大学予科各部1年生を募集す。 (七高祝賀会,1926)
8月 事務分掌規定及び事務所順序を定む。 (七高祝賀会,1926)
9月 入学試験を施行し、合格者147人の入学を許す。 (七高祝賀会,1926)
本校諸細則を定め生徒の制服制帽及び帽章を規定す。 (七高祝賀会,1926)
26日、授業を開始し、30日、寄宿舎を開き生徒を入寮せしむ。 (七高祝賀会,1926)
10月 天皇皇后両陛下の 御真影並びに教育に関する 御親書の勅語を拝受す。 (七高祝賀会,1926)
25日、開校式を挙行す。菊池文部大臣、専門学務局長文学博士上田萬年等を随え臨場す。 (七高祝賀会,1926)
開校式を挙行、菊地文部大臣臨場、提灯行列、大運動会を挙行す。 (anonymous,1970)
11月
12月 毎年10月25日を以て本校開校紀年日と定め、規則中に追加す。 (七高祝賀会,1926)

【寮・福利厚生関係】

9月 創立の際における寄宿舎は、舊高等中学造士館時代のものにして、木造二階建て259坪、階上を寝室、階下を自習室、上下各16室、1室定員8人とし、9月30日開舎。初めて生徒118名を収容せり。 (七高祝賀会,1926)

前の年へもどる 次の年へすすむ


1901年の写真集


【引用文献・参考文献】


ホームページにもどる  沿革にもどる